歴史を見る目(1974)

1974年7月21日 岩国教会週報
「先週説教より」マタイ7:13-28
《翌週週報欠落》

(岩国教会牧師9年目、健作さん40歳)

良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。(マタイ7:19)

 山上の説教を学んできたが、その中心は「父なる神への信頼」が「行い」にまで結実していくことの大切さである。世々の教会は、このことを目指しながら、試行錯誤を繰り返してきた。マタイ福音書の書かれた時代にも既にその誤りはあった。恵みによる自由を強調して「行い」を無視した人々(無律法主義)があり、また熱狂主義者があった。偽預言者の問題は、歴史のあらゆる海を航海する教会にとって、いつも自分の問題とせねばならない。

 さて、マタイ7章15〜20節では「木は実によって知られる」として、「信仰と行いとの密接不可分」が強調される。

 ①それゆえ「実」が結実するまでは、人を審いてはならない(コリント第一4:5、テサロニケ第一2:4、ロマ8:27参照)。兄弟の内面性には干渉できない。待つということ。耐えるということ。希望を持つこと。これが教会の姿である。裁判を終えて「遺民(いみん。残された民)」の姿で現代日本社会の禍根を問う紙野柳蔵氏(カネミ油症被害者)の戦い方は、教会の原理を歴史と社会に肉薄させている鋭さがある。

 ②火で焼かれる「実」を冷静に見つめること。神の前に審かれるものは審かれてゆく。それを自分との関係でよく見つめることが歴史を見つめる目である。自己弁護や主観的偏見や解釈から解放されるためには、隣人に仕えることを通して知らされる「父なる神のみこころ」を求めて謙虚であらねばならぬ。

(1974年7月14日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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