格子戸のある園舎

神戸教會々報 No.138 所収、1993.4.18

(健作さん59歳、牧会36年目、神戸教会牧師16年目)

成長させて下さるのは、神である。  コリント第一 3:6


 朝日新聞の「天声人語」(1993年3月31日)に「最近のことばから」と題して、寸鉄人をさす言葉の紹介があった。例えばカナダ厚生省はタバコの箱に印刷する警告文の内容を厳しくする案を発表。「喫煙は寿命を縮めることがあります」を「喫煙で死ぬことがあります」に等。「喫煙」のところにいろいろな言葉を入れて遊んでみたら仲々面白かった。その一文の中に思わず心高鳴るものがあった。

《二歳の時に肢体不自由児と診断された袖山ゆみちゃんは一昨年春、鳥取市湖山町のひかり幼稚園に入園、車いすで通った。今月、卒園した。今6歳。卒園式で三浦修園長「みんながゆみちゃんのお助けをした。そして、それ以上に大きな贈り物をもらった。『ともに生きていく』ことのすばらしさをゆみちゃんに教えてもらったんです」》

 湖山教会に電話を入れてみた。園長である三浦牧師は不在で夫人が出られた。喜びと感謝と励ましを述べた。鳥取の地方版の紹介記事が「天声人語子」の目にとまったらしい。ゆみちゃんは筋ジスで、毎日車いすの乗り降りをお友達が手伝ったという。日々の場面を想像し、教会のたたずまいを思い胸にこみあげるものを感じた。


 わが神戸教会いずみ幼稚園の旧園舎は今秋には姿を消す。山手幹線道路をへだてて北側のマンションの7階の園児Hさん宅から映したパノラマ写真をいただいたが、やがてよい記念になるだろう。

 5月から工事が始まる別館(新園舎)を心に画いてみる。エレベーターがつく。電動車椅子が入る。一番に乗ってもらって教会に来て欲しかった子がいた、と祈祷会の「証し」のお話の時、31年間いずみ幼稚園の教師を勤められた沖口菊子さんが言われた言葉が思い起こされる。やはり筋ジストロフィーだった。幼稚園生活の途中でそのことが分かった。彼、大森主雄君は14歳、中学3年で、旧友たちの明るい友情と両親の慈しみに囲まれて、車いすの生涯を閉じた。小さい時から精神力の強い子で、湖山のゆみちゃんと同じように、友だちにたくさんのことを、その存在が教えてくれた。

 旧園舎は建物そのものとしてみれば、質素そのものだったが、歴代の園長・教師たちが手を入れ丁寧に使ってきた。今ではあまり見られなくなった木の格子戸の板ガラスが波打っていて、外の景色がゆがんで見えるときなど古い時間がよみがえってくる。

 一方で早期知能開発教育や能力主義教育が親を駆り立てる中で、共に生きることの感性を、友だちとの遊びの生活の中で豊かに養うことを貫き、その底に祈る生活を置いた保育は、古くゆったりとした時間と共に流れ続けてきた。「障害」をもった子供たちが、いつの時にも自然にその中にいて、神の使いのように、語りかけてくれた。


 今は廊下に3000冊ほどの絵本の本棚がずらっと並べてある。お母さんに読んでもらった絵本のことばは、お母さんの愛と共にこどもの心に生きたことばとなって宿る。

 絵本はこどもに読ませるものではない。読んでもらって楽しむものだ。

 土間に等しい入口に並べてあるので、こども自身が帰りがけに借りやすいが、ほこりがかかって本のためにはよくなかったが、今度の別館には、夢にまで見た図書室ができる。

 経費の関係で別館建築委員会は次々と計画を縮小した。けれど最後まで図書室は残った。夢のある使い方をしたい。


 中央区では私立幼稚園がここ何年かの間に4園も休園・閉園となって今春から11園となる。少産時代に輪をかけて、都心部は家賃も高く、こどもの生活圏ではなくなっている。公私の保育料などの格差が大きく、さらに宗法幼(私学法102条園)は、私立の学法幼に出ている運営費補助がないので、父母負担がどうしても多くなる。近くに伝統ある公立幼稚園もある。それでもこどもを教会附属の幼稚園に送って下さる方があることは、神の委託と受けとりたい。入園案内に今年はこんな一文を書いた。

「通園バスはない、給食はない、いわゆる勉強は特別には教えない……でも、こどもの生活を遊びとして捉え……宗教性を重んじ思いやりのある心を……お母さんと一緒に絵本をたくさん読む環境を作り……伸び伸びとその子なりの個性を育てたいと思われる方のご期待には応えられると思います。」

 今年は建築の中での保育なので、マイナスをプラスに変える保育にとりくもう、と現場の教師会では話し合われている。

(サイト記)格子戸の画像は「明治村の漱石宅」で、実際の「いずみ幼稚園旧園舎・格子戸のある園舎」とは無関係です。どんな格子戸の板ガラスだったのでしょうね……。