「ローマ人への手紙」と取り組む《ローマ 9:1-18》(1993 週報・説教補助)

1993.4.18、神戸教会
復活節第2主日

(神戸教会牧師16年、牧会35年、健作さん59歳)

この日の説教、ローマ 9:1-18「足もとを照らす」岩井健作

 今年度は、別館建築がいよいよ実施されるので、外面的なことで気配りしなければならないことが多いと思います。

 だからこそ、その時に”内なるもの”の養いを深めねばならないと存じます。

 伝道部・教育部は、夏期集会(7月18日)の信仰の研鑽を計画しています。

 今年度の夏期集会には、農村伝道神学校の教授(新約学)で牧会経験も豊かな、高橋敬基先生をお招きすることにしています。

 

 主題はまだ確定的ではありませんが、「聖書と教会 − ローマ人への手紙を学ぶ」(仮題)を原案として考えています。

 高橋先生は、3年ほど前、「ローマ信徒への手紙」(『新共同訳新約聖書注解Ⅱ』日本基督教団出版局)を執筆されました。

 これは、一般読者を対象としたものです。


 ローマ書は古来、キリスト教信仰の骨格として学ばれてきている文書ですから、信仰歴の古い方は何度も学ばれたでありましょうが、新しい養いを受けると存じます。

 新しい方、若い方は、ちょっと苦手でも体当たりで一度取り組んでみてください。


 さて、講壇では、昨年6章〜8章を何回か学びました(1992.5.3-6.12)。

 これは、ローマ人への手紙の中心テーマ「信仰義認としての神の義」(ローマ 3:21-8:39)の後半部分でした。8章に続いて、9章〜11章、12章〜15章の二つの大きな部分があります。

 その全体的な構造を掴んでおくことは大切です。9章〜11章は「イスラエル問題としての神の義」、12章〜15章は「生活における神の義」ということです。


 ローマ人への手紙の主題は「神の義」だと申しました。

 ”それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。”(ローマ 3:26、口語訳)


 ここには、「神みずからの義」と「イエスを信じる者の義」という二面が含まれています。

 後者の「信仰義認論」が宣言されると、かつてイスラエル民族に約束された「神の選び」の約束はどうなるのか、それは破棄されてしまったのかどうか、という問題が生じます。

 パウロは、三つの仕方でこの問題に答えようとしています。次のような内容です。

(1)神の自由意志(ローマ 9:6-18)、神の憐み(9:19-29)

(2)イスラエルのつまづき(9:30-10:4)、信仰義認に対する拒否(10:5-21)

(3)不信のイスラエルの意義(11:11-24)、神の秘儀(11:25-36)


 神の救いの約束は、神の自由意志に基づくということは、当時のローマ教会の人たちの、特にユダヤ的伝統に生きる人たちには、少々聞きづらいことであったでしょう。

 足もとの問題には、そういう面があります。

 さて、私たちの信仰の文脈ではどうでしょうか。

(1993年4月18日 週報 岩井健作)


1993年 説教

1993年 週報

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