十字架の力(1974)

1974年4月7日 受難週 岩国教会週報
「先週説教より」第一コリント2:1-5

(岩国教会牧師9年目、健作さん40歳)

十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。(コリント第一2:2)

 このような言葉を語るパウロは、アテネで伝道の失敗を体験している(使徒行伝17:22以下)。十字架に示されている真理、苦難を通して互いに仕えあう姿勢が後方に退いて、救いについて自分にだけ満足を与えてしまう自己完結的理解が(パウロはそれを「巧みな知恵の言葉」(4節)と呼ぶ)前面に出てしまうとき、信仰共同体は生まれてこなかった。この失敗の体験は、パウロを「弱くかつ恐れ、ひどく不安」(3節)にした。そして「信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるため」(5節)にパウロは、恐れつつ、目を十字架に集中させていく。そして「一つの肢体が悩めば…共に悩み」(第一コリント12:25以下)という、苦難を負い合う共同体の根本として、イエスの十字架を語る。

 福音を宣べ伝えるとは、十字架を負うことによって結ばれていく人と人の繋がりが作られることであり、その基礎としての神の力(=イエスの十字架)を信じることである。

 パウロが徐々にそのような決心を固めていく彼の生涯の道のりに注目したい。私たちも、そのような方向へと向かわしめられていくことの中に、キリスト者であることの自覚を深めたい。

(1974年3月31日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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