北海道の旅

神戸教會々報 No.104 所収、1983.10.16

(健作さん50歳)

 今夏の2週間の休暇を、役員会並びに皆様に心から感謝いたします。
 父が半年ほど前から病床にあったので、もしかすると幻の旅になるかも知れないと思いつつ、北海道への旅を計画した。動機は、札幌で生まれ育った妻が離道して36年経ち、一度は思い出の地を訪れてみたいという人生の一里塚に佇む思いと、ゆかりの教会や人々、そして自然と歴史への出会いを求めてのことである。


 函館上陸第一に新島襄海外渡航記念碑を訪れる。
 旧習から自由へと陸地を離れ、洋上に出て思想の転換を遂げていく若き新島の志の大きさに驚きつつ、その百年の計の一翼につながる業として、上州安中にある新島学園に於て教育の業にたずさわり「走るべき行程を走りつくし」(テモテⅡ 4:7)て召された父を偲んだことであった。


 雨の道南の海岸線を走り、主日礼拝を元浦河教会で守る。旧三田藩出身三代目に当る荻伏村元村長の竹内鼎氏(「信徒の友」9月号参照)ら教会の方たちの厚い歓迎を受け、神戸教会初代信徒・鈴木清らの偉業になる赤心社記念館に案内されて見学。改めて『ピュリタン開拓 ー 赤心社の百年』(本多貢 1979 赤心)のページに思いを馳せた。現会堂(大正7年)はこの8月をもって札幌の開拓村に引き渡されるとのことで、訪問はまことに僥倖であった。

 別れを惜しみつつ、えりも岬をまわって帯広に出る。姫路出身の吉岡英世牧師に帯広名物ジンギスカンをご馳走になり、ワインの池田を経て、ようやく晴間に映える牧草地を北上、阿寒湖から網走へ。名所になっている網走刑務所の前に立ち、かつて自由民権運動の政治犯を鉄道開拓に使役した状況を偲ぶ。

 サロマ湖の素晴らしい夕日に永遠を思い、遠軽に北海道家庭学校を訪れた。
 留岡幸助の生涯については『一路白頭ニ到ル』(高瀬善夫 岩波新書 1982)を読了、その感動さめやらぬものがあり、加えて温情の教育者、現校長・谷正恒先生との交わりを与えられたことは旅の大いなる果実であった。世のゆがみを背負う少年達の再生に向かう目と、その修練を共に負う職員の落ちつき、そして静寂そのものの森の礼拝堂が印象に残る。


 旭川では旧知の六条教会々員・井合寿美姉の紹介と同道を得て三浦綾子氏を訪問、その健康と働きに祈りを捧げた後、教会々堂(家兄の設計)を見学、神戸出身の芳賀康祐牧師にアイヌ墓地を案内していただいた。
 旭川からは月形町へ廻り、行刑資料館を見学し、大井上輝前典獄の業蹟や留岡らキリスト者教誨師の働きの偉大さを思ったが、町はずれの墓所に1200余りが整然と並ぶ囚人塚の墓標に刻まれた死期の一様さと年令の若さは、夏の陽の明るさに反し心に暗く刻印されている。

 道央高速道から恵庭を横目で眺め、千歳に出て後輩の池田隆夫牧師宅を訪問、在宅の夫人から自衛隊の街での牧会の知られざる面などの話に耳を傾け、美しい支笏湖畔に一泊。野生のリスの姿に北海道ならではの自然を味わった。


 東京に似た大都市札幌では、同級の滝口孝、矢島信一、同窓の橋本左内、五味一各牧師達と旧交を温め、日曜日はクラーク博士ゆかりの札幌独立教会の礼拝に出席する。『札幌独立キリスト教会百年の歩み 上・下』の寄贈を受けたが、この中の大友浩氏の論文「大島正健と有島武郎」は新島襄と独立教会の関係を見直す好論文である。妻の両親はかつてこの教会の会員であり、また宮崎亮氏(JOCS派遣医師)や小林義康氏(小樽第二市民病院長)、深瀬忠一氏(憲法学者)らもこの教会のメンバーであって、同信の親しみを深めたことであった。

 その昔、夏期伝道に派遣された小樽の教会は今無牧である。通りがかりにそのままになっていた前週の看板をそっと裏返しておく。

「かなしきは小樽の町よ歌うことなき人人の聲の荒さよ」
 啄木の歌を心に宿し、波の光に旅の恵みを感謝しつつ、フェリーに乗って帰路についた。