聖書にきく(10)(1981 保育)

「キリスト教保育」(キリスト教保育連盟) 1981年1月 所収

(神戸教会牧師・神戸教会いずみ幼稚園園長 47歳)

はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。(創世記 8:11)

 かつて職員会で12月の行事予定を相談していた時でしたか、6日もダメ、7日もダメ、「そんなら8日にしたら」なんて声がかかったものだから、思わず「タイショウホウタイビやね」なんて呟いたら「それなんのことですか?」と若い職員に聞かれてしまいました。

 そこで『昭和16年12月8日』が、日米開戦を宣した『天皇の詔勅』(大詔:たいしょう)を『奉戴(ほうたい)』(つつしんでいただくこと)した日で、当時の軍国日本の国家的行事であり、自分の子供の日に心に強く焼き付いていることなどを話しました。そして、つい先ごろ読んだ一つの文章のことを思い浮かべました。

「12月8日。私たちにとって忘れられないあの日です。あの朝の感激、奮起。それに直ぐ次ぐ、あの歓喜、感謝。あの瞬間から、あのありがたい御勅語から、我々は立ち上がって此の大東亜戦争に入ったのです。……あの日から1年を経た昭和17年12月8日。大東亜戦争の精神と決意と気力とは、この通り盛り上がっています。私たちにとって、本当に忘れられない12月8日は、日本の子ども一人残らずに忘れさせてはならない日です。……」

 これは1942年(昭和17年)11月発行の「ミクニノコドモ」(日本保育社)の「大東亜戦争開戦一周年記念、12月8日特集」の冒頭、表紙の見返しの頃に執筆された『忘れられない12月8日/忘れさせてはならない12月8日」という文章だということです。

「ミクニノコドモ」は「キンダーブック」というのが敵国語で改題させられたものであり、「日本保育社」は「フレーベル館」の改名だということです。そしてこの文章の執筆者は、幼児教育の権威、倉橋惣三氏だということです。

「だということです」と書いたのは、私がそれを直接読んだのではなくて、そのことを山中恒氏の論文「天皇制教育と戦時下少国民の周辺」(『天皇制と靖国を問う』勁草書房 1978)で読んだからです。そしてそれぞれの専門分野の大家たちが、国家の戦争政策遂行の中で協力させられていったことは、幼児教育の分野でもこうして行われていったのだなということをしみじみ感じさせられました。

 1980年代に入って、日本は防衛予算の拡大、軍備拡張の足音高い時代に突入してきましたが、平和教育という視点から見て、キリスト教による保育が戦争肯定国家政策に抵抗力を持つとはどういうことなのか、を本当に考えさせられてしまいます。

『幼児期の平和教育』(藤井敏彦編著、さ・さ・ら書房、1978)という本を読みました。執筆者の大半の方が広島なので、さすが平和教育活動の積み上げのある広島だなぁ、と感心させられました。戦後平和教育の理念が、日本国憲法や教育基本法の平和理念に基づくものであり、とりわけ教師の側の戦争協力への苦悩に満ちた反省と、戦死して二度と帰ってこなかった教え子への懺悔と贖罪感に裏打ちされており、そして具体的には、アメリカの対日占領政策の変化とそれを良いことに頭をもたげた日本の再軍備政策との対決から平和教育が生み出されてきたことが記されていますし、戦争体験の継承や幼児期の感情の世界に関わる価値観との関連で、間接的な平和教育がなされる必要も説かれています。そして広島のいくつかの園の実践例やカリキュラムが記録されています。そういう意味では、幼児教育の分野で「平和教育」への基礎付けを試みている大きな労作であります。それにも関わらず、一つの疑問を持つのは、幼児教育のオーソリティであり、保育の心につきあれほどまで説いた倉橋惣三氏のような人までもが戦争協力している(またはさせられてしまっていた)ことと、平和教育を進めることとは、どのようにつながっていくのだろうかということです。言い換えれば「保育の領域における戦争責任」とでも言うべき問題を、歴史の課題としてしっかりと捉えておかなくてはいけないのではないか、という思いがします。戦争への責任を問われるならば、戦争に加担し協力してしまう社会構造の中で、生命の破局を味わわねばならないのが人間の現実です。しかしなお、そこに平和への徴を見るとするならば、それは破局の彼方からのものではないでしょうか。

 旧約聖書、創世記の「洪水とノアの箱舟の物語」(6〜9章)は、暴虐が地に満ちた世界で人間の破局が経験される物語です。しかしノアはその破局を経て、地上で再び生の営みを許された人間として登場します。地上での平和の生が与えられる徴は、洪水の水が引き始めてから、二度目に放ったハトがオリーブの若葉をくわえて戻って来ることによってもたらされます。洪水という破局の中でただひたすら神に従い、水に漂いながら待ち、審きを通じてなお赦しを信じる信仰の受動相を経て、新しい地上への徴が示されています。

 そういう意味では、保育者が幼子に「平和」を伝えていくために「平和教育」は平和を包み込んでいる感情や思想の伝達であるだけではなく、保育者が自分の人生を受容されている究極的な方との関わりにおいて、あのオリーブの若葉を見ることを赦されている希望に生きることではないでしょうか。

「実に被造物全体が、今に至るまで共にうめき、共に産みの苦しみを続けている……」(ローマ人への手紙 8:22)とあるように、保育者が呻きを持たないままで、平和のイデオロギーを伝えることだけになりがちな「平和教育」への自戒としたいと思うのです。

 幼児の平和教育教材として実にすぐれた作品として「かわいそうなぞう」(つちやゆきお・文、たけべもといちろう・絵、金の星社 1951年作, 1970)があります。涙なしには読めない作品です。それでさえも幼児に読むとき、ためらう場面があります。動物園にお墓があって死んだ動物たちを「おまつりしてある」というところです。

 英訳では「There is a marker in a quiet spot showing where animals …. have been buried.」と注意深く宗教色を抜きに訳されています。戦争で死んだ兵士が靖国神社に「おまつり」されているという表現が使われますが、本来個人の内面の問題である宗教的感情表現までも取り込んで、戦争に巻き込んでいく国家の力に汚されたこの言葉に抵抗を覚えるからです。

 80年代、平和への努力は「箱舟のノア」の如く閉じ込められた状況へと向かいつつありますが、保育者は徹底して神の給う平和のオリーブをくわえて来るハトを待つハト派であり続けようではありませんか。

聖書にきく(11)

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