聖書にきく(11)(1981 保育)

「キリスト教保育」(キリスト教保育連盟) 1981年2月 所収

(神戸教会牧師・神戸教会いずみ幼稚園園長 47歳)

へりくだって貧しい人々と共におるのは、高ぶる者と共にいて、獲物を分けるにまさる。 箴言 16:19

 松谷みよ子さんの『民話の世界』(講談社現代新書 1974、講談社学術文庫 2014)という本を読んでいて、大変面白い貧乏神の話に出会いました。

 普通民話で伝えられている貧乏神の話は、怠け神で怠け者のところには居心地よく住み着き、何かの拍子でその家の主人が働き出すと貧乏神は小さく痩せて出て行ってしまうというタイプの話です。

 私が子供の頃、紙芝居で見せてもらった『なんにもせんにん』という話もそんなお話で、夏休みの前などに子供たちにそのバリエーションでもってお話しをしたことがあります。日課を怠けていると「なんにもせんにん」が住み着いて大きく太り出すぞー、というわけで、頑張って良い生活習慣を見つけようというのがポイントになるのです。いわば勤勉奨励説話です。

 ところが松谷さんの『いたく打たれた』という話はこうです。

「むかしむかし。ある村さ、若げ夫婦者がいだっだど。そこの家には、昔から貧乏神が一人、ずっと住んでいだっだど……」という語り出しで始まる民話を全部紹介できればいいのですが、紙数がありませんから要約しますと、その夫婦者は酒も煙草もやらない働き者で金持ちになっていきます。ある年越しの晩、貧乏神が泣いています。わけを聞くと、長年厄介になったが、福の神が来るので別のところへ行かねばならなくなったが出て行きたくないというのです。

 すると若夫婦は「今まで居続けてくったもの、行(え)がねでは。ずっと、こごさ、住んでくったら、えんねがや。福の神なの、追っ払ってやれ……俺達二人して手伝ってけっさげて、福の神なの、追い出すべ」というわけで、腹ごしらえもしてもらいます。

 そこへ福の神がきて(偉そうに)「コラ、貧乏神。こんげ働く家さ、お前なの向ぎんねべ。さあ、早ぐけづかれ(出て行け)!」と言いますが、貧乏神は二人の応援で福の神を追い出してしまいます。そのとき、福の神が慌てて忘れた打ち出の小槌でもって、貧乏神はすっかり福の神になった、というお話です。

 この話が心を打つのは、松谷さんも言っているように、貧しさの中をくぐってきた若夫婦が貧乏神を少しも恐れず、共に貧しさの苦しみがわかる仲間として差別をしないで優しさと連帯感を持っているところです。福の神はどこでも歓迎され大切にされるから、自ずとエリートが漂わせる高ぶりを持っていたと思われますが、それが見事打ちのめされているところにこの民話の心が出ています。

 さて、冒頭に引用した聖書の言葉には「貧しい人々」と「高ぶる者」とが対比されています。旧約聖書を調べてみると「高ぶる者」「高ぶる」「高ぶり」というものへの鋭い批判は預言書に出てきます。

「その日には高ぶる者はかがめられ、おごる人は低くせられ」とイザヤ(2章17節)は高ぶる者への神の審判を語りましたし、「彼らは食べ飽き、その心が高ぶり、わたしを忘れた」とホセア(13章6節)はイスラエル民族が荒野の旅を続けているときに知ったヤーウェ(主)なる神を、いささかの富の所有の中で忘れて行くことを批判します。この預言者の批判は、その後の時代に受け継がれ、詩篇、箴言、ヨブ記などの諸書では、警戒、自戒となって現れます。

「すべて不義を行う者はみずから高ぶります」(詩篇 94:4)
「私は高ぶりと、おごりと、悪しき道と、偽りの言葉を憎む」(箴言 8:13)
「高ぶる者を見て、これを低くせよ」(ヨブ記 40:11)
 と言ったように。

 その昔、イスラエル民族みずからがエジプトの奴隷であり、また貧しさのまま荒野を旅していた時代には「つぶやき」(出エジプト 16:2)が神からの離反であったのですが、農耕文化の恩恵に浴して富の蓄積ができ、貧富の差が激しくなってくると、神への反逆と不信は「高ぶり」となって現れ、それは貧しい人々を忘れ、ないがしろにすることと裏腹になって示されました。

 この箴言には「獲物を分かつ」などという軍隊の中でやられていることを暗示する言葉が用いられていますから、暴力や正義を踏みにじることによって富の独占が始まっていたのでしょうか。そんな中で貧しい人々との共存が「高ぶり」を超えていく手立てとなることを訴えています。

 私にとって、この箴言の言葉が忘れ難いのは、もう十数年前、高度経済成長の道をまっしぐらに突っ走る日本社会の中で、石油へのエネルギー転換で石炭産業が没落していくとき、小さな炭鉱町に伝道牧会していたK牧師が、この言葉を年賀状に版画で刷って送ってくださったことです。消費は美徳であるという怒涛の如き流れにくさびを打ち込むようにこの言葉が心に刺さりました。丁度あの頃、新しい保育者を探すのに苦労しました。何故なら、養成校の保育科を出た人たちが給料の高い企業にどんどん流れたからです。そのような中で、私立の、経済的には貧しい保育施設に踏みとどまってすすんで頑張っていた保育者達には、本当に頭が下がります。

 その後、この言葉は、影に日向に、幼児保育に関わりを持つ自分につきまとってきた聖書の言葉です。例えば大状況で、アジアの諸地域の幼児の環境と教育という視点で見れば、日本の教育全体がすっぽりと「獲物を分けて」いるように、アジアの犠牲の上に成り立っている経済の中に入ってしまいます。しかし、さらに小状況では、同じキリスト教保育に携わっていながら、その設置形態と行政との関係から見て、未・非認可施設は国家の教育行政に対して大きく自由を確保しているとはいえ、経済的には(設置主体からの支援があれば別ですが)開きのあることも事実です。設置形態を越えて繋がりを持つ、といっても、もう一つ抽象的に過ぎるという感も免れ得ません。

 そんな中にあって「共に生きる」ことの枠組みをできるだけ大きくとっていくことへの促しが、この聖書の言葉の指し示すところではないでしょうか。考えてみれば日本はここ30年弱の間にすごく富める国になったわけですが、少し以前は貧乏神と一緒だったはずです。エリートで高ぶりを持った福の神と一緒になって、貧乏神を追い出すのではなくて「ずっと、ここさ、住んでくったら、えんねがや。」と包んでいく人材を生み出せるかどうか、こんな感覚が「世界の国々の人々と共に生きていく」道ではありますまいか。

聖書にきく(12)

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