1970年8月2日 平和聖日
岩国教会週報「先週説教より」マタイ7:7-12
(岩国教会牧師5年目、健作さん37歳)
『何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのようにせよ』(マタイ7:12)とイエスは言われる。私たちはいつの間にか、この言葉を格言として聞いていないだろうか。この言葉は古代精神史に多くの並行句を持つものだから無理もない。例えば並行句の中でも消極的表現形式に属するもの『汝の欲せざるところを人になすなかれ』(孔子『論語』)を思い浮かべるであろう。つまり、このイエスの言葉は新しいものではなく、また独自なものでもない。古代から一般的で妥当な「合点のゆく永遠の真理」(シュタウファー『イエスの使信』)に属する言葉に過ぎない。問題は、この言葉をイエスが改めて取り上げているところにある。しかも消極的に「……してはならない」という形ではなく、積極的に「……せよ」という形で取り上げているところが大切である。そこには深い「神の人間への肯定」がみられる。もし私たちがこの言葉に、自分の罪を鋭く突き刺す響きに慄くか、または単なる理想論として受け流すだけならば、それは言葉の表面しか見ていない。限られた人間性、罪の人間性、その限られたものを確実に把握して、その中に無限の肯定を表現することが、この言葉によって命じられている。人からして欲しいと望むことの何分の一ですらほんとうに表現できるか分からないが、表現のための努力・試練への激励がイエスの言葉の中にある。それは、ちょうど制作品への制作に取り掛かるように、私たちに積極的行動を促さないだろうか。
(1970年7月26日 岩国教会 岩井健作)


