(日本基督教団)西中国教区から「日本伝道150年」を問う集会
2009.10.5(月)14:00-17:00、於広島流川教会

岩井健作テキスト&スケッチ / iwaikensaku.com
(日本基督教団)西中国教区から「日本伝道150年」を問う集会
2009.10.5(月)14:00-17:00、於広島流川教会
2009.8.2(日)溝ノ口教会(川崎)平和聖日講演
(最終版ではないため、段落が整理されておらず、編集を加えています)
2009.6.5 執筆、笠原芳光さん宛
(笠原芳光さん:京都精華大学名誉教授 当時82歳、1927.5-2018)
(杉原助さん:日本基督教団隠退教師、当時82歳、1927-2013)
(大貫隆さん:東京大学教授・新約聖書学、当時64歳、1945.4-)
(健作さん:単立明治学院教会牧師、当時75歳)
2008.12.24 執筆、「福音と世界」(新教出版社)2009年2月号 原稿
(出版社での推敲前のものと思われます)
2008年12月11日 農村伝道神学校 集中特別講義「私の宣教論(2)」レジュメプリント
“”戦責告白”の歴史的意義とその現在(2008 神学校)” の続きを読む2008.9.13 執筆、小林望さん(新教出版社社長)宛
(笠原芳光さん:京都精華大学名誉教授 当時81歳、1927.5-2018)
(杉原助さん:日本基督教団隠退教師、当時81歳、1927-2013)
(大貫隆さん:東京大学教授・新約聖書学、当時63歳、1945.4-)
(健作さん:単立明治学院教会牧師、当時75歳、1933.8-)
「体感としての右傾化とキリスト教」(2)
「福音と世界」2007年8月号原稿
「教会と聖書」15号(2001年3月6日発行)所収
(神戸教会牧師、健作さん67歳)
下関の長府教会を初めてたずねたのは神学生の時だった。
当時牧師は杉原助氏(下の写真は岩国教会時代の一枚。中央右が杉原氏、中央左は健作さん)。
続いて川上潔・千葉宣義・尾崎牧夫・小林平和・板垣弘毅の諸氏が牧会にたずさわっている。
小林平和さんは、御父君亡きあとの東長崎ウェスレー教会に移り、同時に教団嘱託幹事を務めた。彼の癌の末期、かつて描いた長府教会のスケッチを持って、池袋まで行ったが、もはや面会は不可能だった。彼と共に眠っていた一枚である。
「合同特設委員会」の席での彼の眼差し、訥々とした語り口が忘れられない。
その思想は今も活きている。
エルサレム ヴィア・ドロロ一サ(2001 教会と聖書 ⑨)