笠原芳光様(2009 書簡・杉原・大貫/笠原対談)

2009.6.5 執筆、笠原芳光さん宛
(笠原芳光さん:京都精華大学名誉教授 当時82歳、1927.5-2018)
(杉原助さん:日本基督教団隠退教師、当時82歳、1927-2013)
(大貫隆さん:東京大学教授・新約聖書学、当時64歳、1945.4-)
(健作さん:単立明治学院教会牧師、当時75歳)

笠原 芳光 様 

 ご懇篤なる御書簡ありがとうございました。

 過日は失礼いたしました。奇遇というか御令室にお会い出来たことで充分な時を与えられました。その後ご無沙汰していて申し訳ありません。大貫さんとの往復書簡の「新教出版」の企画に乗って下さり感謝いたします。最初のキックオフの文章は見事でした。

 たまたま岩国への用事で出かけた折り、杉原さんを尋ねました。杉原さんはまだ読んでいなかったので、彼の居室で僕が朗読しました。杉原さんがあんなに喜んだ姿は初めてでした。「やっぱり笠原はひとかどの人だ」と。

 その帰り、「もしも在宅であれば」と御影に下車をしました。しかし、スケジュールを余り崩さずに鎌倉に戻れたので、実は良かったと思っていました。「大貫さん……真面目な方ですね」との御書簡の言葉、その通りで、それが「かみ合わない」最大の理由ですが、結果「笠原ペース」で進むのではないかと思っていましたら、ご同封戴いた次号のゲラを拝見して、案の定との感を抱きました。

 これは「福音と世界」と「福音の世界」の枠組みの違いと同質の問題だと感じています。最初の『違和感』として大貫さんが提起したことの背景には大貫さんなりの事情があります。大貫さんの言う、イエスの「天上での祝宴」は、聖書学の方法で限定できるイエスの言葉から引き出した「ルート・メタファー」(根源的隠喩)で、大貫さんとしては、従来の聖書学がイエスの言葉・振る舞いの個々の言葉の限定の探求に留まったことを破って、イエスの生き方の根底、あるいは固有性を措定したもので、聖書学者としてのイエス理解の方向を語った箇所です。それを「古代人」としてのイエスの固有性として特徴づけることに、大貫さんの仕事があった訳です(余り早く非神話化しない)。ここのところは「一般化しない」という歴史学としての聖書学のルールを破っているというのが大貫さんの自負です。「切り花」(資料)として放置されたものを「花束にまとめた」(もちろん一種の比喩です)作業が大貫さん仕事でした。そこを大貫さんは「この点が先生に正しくご理解いただけるかどうか、私には非常に気がかりです」(5月号60頁)と言っておられます。その様な作業(聖書学内でのまとめ)から見ると、いきなり無前提な一般的思考の領域での普遍化した言説へ還元することがが「違和感」として感じられるのです。つまり、「盲人…」「人間はいずれ死ぬ…」のイエスの発言への、歴史的・個別的・テキストへの釈義的、意味を抜きにしての一般化(聖書学者は当然そこを問題にしますが)を指して「違和感」と言ったのだと思います。それに対して、笠原さんが、そもそもイエスの「天上の祝宴」というまとめ方は、「聖書学者が、これでは教義学者になってしまわれたのかと思わざるをえません」(ゲラ50頁)と言って、「私にとっても最も違和感が大きいところ」と言っているのはもっともです。大貫さんはいわば「聖書学の中の」論議をしているので、言い換えれば「福音の世界」の出来事です。笠原さんは、それは言葉の主体的在り方の問題を言っているので、イエスの発言は、同時に今の私の発言(「福音と世界」という関わり)という「相互主体的」関係において理解すべき事柄だという主張です(と僕は捉えています)。根本的にかみ合わないのです。それに、眩しいように、笠原さんの「古今東西の小説や詩歌などの文学、音楽や絵画芸術、思想と哲学そしてキリスト教のみならず仏教も含めた宗教思想について縦横に論じておられます」(大貫5月号58頁)という文脈での論述が繰り広げられます。

 しかし、大貫さんの真摯さと笠原さんの自由さが心に残ります。もともと「かみ合わなくて」良いのだと思っていますから、往復書簡は有益なことだと思っています。

 ところで、6月19日(金)午後2時からの聖学院大学での「シンポジウム」のご案内と、翌日20日(土)午後2時からの立教大学の佐藤研さんとの公開討論のご案内をありがとうございました。

 どちらも興味あるテーマです。後者は特に。

 残念ですが、20−22日は日向新生教会の応援で、宮崎に行っていて、参加が出来ません。ご了承下さい。

 また、お目にかかれる機会があれば幸いです。

岩井健作

(サイト記)大貫隆さんと笠原芳光さんの往復書簡企画(「福音と世界』誌面)が背景。企画の仕掛け人は杉原助さん。▶️ 小林望様(2008 書簡・大貫/笠原対談)
 本書簡では、杉原さんの遺言と受け止めた健作さんが杉原・笠原・大貫・新教出版社の間に入ってゲラのチェックなどをしている様子がうかがえる。

『笠原芳光ー大貫隆 往復書簡(1)絶叫するイエスをめぐって』(「福音と世界」新教出版社 2009.4)。

 筆者の手元に冊子がないため企画の全体像については不明。分かればアップデートしたいです。

 前半に登場する杉原助さんは、2009年当時82歳(社会福祉法人西中国キリスト教社会事業団の施設にお住まい)、『ヨハネの福音書』(ブルトマン、日本基督教団出版局 2005)の翻訳者である。2005年出版の訳書の冒頭には、大貫隆さんが杉原さんの訳業に対して極めて印象的な推薦文を書いている。どこかで書いたと思うけれども、西中国教区では、佐竹明さん(広島大学教授、後にフェリス女学院大学学長)と牧師がドイツ語原書購読を続けていた。杉原さんの訳業は、長年にわたって佐竹明さんとドイツ語でブルトマンの原書を読み込んできたという背景がある。

▶️ 小林望様(2008 書簡・大貫/笠原対談)