2009.6.3(水)12:20-13:00、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」㉓
(明治学院教会牧師、健作さん75歳、『聖書の風景 − 小磯良平の聖書挿絵』出版10年前)
画像は小磯良平画伯「神殿での少年イエス」
ルカ 2:40-52
1.小磯さんは聖書の挿絵を描くにあたって、絵にし易い場面を選んだと語っている。
「神殿での少年イエス」は絵にし易い場面であったであろう。
「三日の後、イエスが神殿の境内で、学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられる……聞いている人は皆、イエス……に驚いていた」(ルカ 2:46-47、新共同訳)
という、絵画的文章があるからである。
あとは少年イエスを中心にして、学者たちの「驚き」を描写すれば、挿絵としては成功する。背景としての神殿の柱と天井と人物との位置関係、神殿内の人のざわめきを描けばよい、と考えたのではないか。
学者を6人にして、一人をイエスの背後に立ったままで描いていることなど、安定した構図になっている。よくバランスのとれた絵である。この絵の特徴は、外から光を当てないで、イエスを光源として描いたことで、さすがである。
2.少年イエスの話はルカのみに出て来るお話である。
イエスが12歳〜13歳のころエルサレムに上ったことは事実であろう。両親が「過越の祭り」にエルサレムに旅をしたことも事実であろう。しかし、それ以上の史実性の詮索はできない。
この物語についての聖書注解は、この物語が「ルカの神学的意図を述べる物語」として位置付けられると語っている(三好迪「ルカによる福音書」『新共同訳 新約聖書注解1』日本基督教団出版局 1991)。
物語全体がイエスの公生涯の縮図である。そこには「復活の信仰」を語るルカの神学が根底にある。
「父の家にいる」は天の父の子であることを示し、原始キリスト教の復活信仰(復活によって天の父の子となる)を前提にしている。
「三日目」は、復活信仰を前提とする。「三日の後、……見つけた」(ルカ 2:46)、「捜した……見つけた」(ルカ 2:45-49)は「復活用語」である。
全体に文体はルカ的であり、口伝資料を想定するのは困難である。この挿話は公的宣教生活への移行へと導く筆法である。
少年としての隠れた家庭生活(誕生)から、公的生活との中間移行の縮図を示す。
「親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかった」(4:44-45)は、「神の子」の信仰は肉親の絆によって得られるのではなく、「神の言葉を信じることによって得られる」(11:27-28、8:21)というルカ神学。
「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(ルカ 8:21、新共同訳)
「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(ルカ 11:28、新共同訳)
三日後に少年を神殿で見つけるというのは、「復活者として父の家におるべきもの」との先取りである。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(ルカ 2:49、新共同訳)
「神殿」はイエスの活動の縮図である(19:47、21:37)。
「驚き」は「神殿」での教えの「驚き」(20:26)、彼の初めての説教への驚き(4:22)のはしりである。
「自分の父の家に居るのは当たり前だ」の「当たり前」は原語「デイ」、「苦しみを受けて栄光に入るはず(デイ)」で、ルカがよく用いる用語。「神の計画」という意味を含む。
以上から、史実としての物語ではない。
「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ 2:52、新共同訳)
は旧約のサムエル記上2:26に由来する。さらに「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」(ルカ 3:22)の伏線になっている。
3.他の資料にイエスの少年時代の物語があるが、神の子として奇跡を行う作品が多く、史実のイエスに迫るものではない。
『トマスによるイエスの幼時物語』のアラビア語版は、5歳〜12歳のイエスの幼年時代について語っている。イエスは、この場合、しばしば非常に利己的な動機から唖然とする奇跡を成し遂げる一人の神童として描き出されている。
「ある日、イエスは子供たちとあちこち走り回って遊んでいると、ある染物師の仕事場のそばを通りかかった。その仕事場には布地がたくさんあって、彼はそれを染めなければならなかった。主イエスはその染物師の仕事場の中に入り、これらの布地を全部取って藍で満たされた釜に放り投げたのである。さて、染物師がやって来て、これらの布地が台無しになっているのに気づくと、彼は大声で叫び出し、主イエスを怒鳴りつけて言った。『マリヤのせがれよ、お前は、私に何ということをしでかしたのか。お前は、町のすべての人々の前で私の評判を悪くしてしまった。誰だって調和のとれた色彩を注文しているのだ。それなのに、お前はこちらに来て、全部を台無しにしてしまったのだぞ!』と。
その時、主イエスは答えた、『あなたがどのような布地の色に変化させてもらいたいと思ったとしても、私はそれをあなたのために変えるつもりです』と。
すると、彼はすぐにそれらの布地を釜から取り出し始めると、すべて別々に、その染物師が望んでいた色で染められていた。そしてついに彼は、それらを一つ残らず取り出したのである。ユダヤ人たちがこの奇跡としるしを目にした時、彼らは神をほめたたえたのであった。」
(R・ハイリゲンタール、新免貢訳『イエスの実像を求めて』教文館 1997、p.76f.)。このような話は多々あるようだ。
4.小磯さんのこの場面は、絵画的にさりげない絵であるが、ルカの神学をよく表現した絵になっていることに感心をした。
5.「驚き」がテーマであるなら、学者の一人一人の表情から、いろいろ思い巡らしてみると味わい深い。