よいサマリヤ人(2009 小磯良平 ㉔)

2009.6.17(水)12:20-13:00、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」㉔

(明治学院教会牧師、健作さん75歳)

画像は小磯良平画伯「善いサマリヤ人」
▶️ 参照:善きサマリヤ人の話(2010 田中忠雄 ⑤)

ルカ10:25-37

1.この「よいサマリヤ人」のお話は、聖書の中でも、とりわけ有名なイエスの譬え話である。

 クリスチャンはもとより、聖書を読む多くの人に知られている。お話しの筋はいま皆で輪読したところの「ルカ10章30-37節」の通り。小磯さんは、この物語の34節の一句「自分の家畜(ろば)に乗せ」を挿絵に描いた。


 この絵が出来上がるまでの下絵を見ると、完成度の高い、サマリヤ人と抱きかかえられた人と家畜の三者の構図、それにサマリヤ人の頭部と顔の表情の図が同じ紙の余白に、別のトレーシング・ペーパーに背景の素描が描かれている、これを重ね合わせて完成したようだ。

 ここから類推するのに、注目したいのは、サマリヤ人の表情である。

 家畜の背中を鋭く凝視している。体は踏ん張った両足の膝に一旦抱え込んだ人を、腕の力で一気に持ち上げる瞬間が描かれている。

「半殺しに」された男の表情はもはや穏やかである。右手をだらりと下げて、苦痛の段階を超えて、微かな意識の瀕死だったのであろう。

 この絵の迫力は、絵の主人公サマリヤ人の逞しさにある。強盗(追剥ぎ:新共同訳)どもに襲われた人の現実をぐっと自らの足腰で抱え込んだ力の入れかたと、その意志的な顔の表情にある。

 エルサレムからエリコに下る街道は旅人が頻繁であったようだ。背景には人里の家々も窺われ、通り過ぎて行く旅人も描かれている。

 イエスのこのお話の最後はこう締めくくられている。

行って、あなたも同じようにしなさい。」(10:37)と。

 これは凄い。倒れた人の実情に関わって、これほど意識を集中させ、その救助に力をこめられるのであろうか。たじろがざるを得ない。そう呼び掛けるイエスとは一体何者なのか。また、この譬えの骨子になる話は実際にあったのであろう。

2.さて、有名なイエスの話のことであるから、これにまつわる解説やテキストの解釈は古今東西数限りなくある。例えば初期キリスト教の教父オリゲネスの寓喩的解釈などは聞いたら仰天する。「エルサレムは天を、エリコは世界を、強盗は悪魔を、祭司・レビ人は預言者を、よきサマリヤ人はキリスト自身を、ロバはキリストの体を、宿屋は教会を」といった具合である。

 現代日本の代表的聖書学者においても荒井献氏と田川建三氏では大きく違っている。

 荒井は律法学者がユダヤ同胞のみを隣人としてことを押さえて「『同胞』関係を超えた『隣人』に、自ら主体的になるように、ということ」を解いたと述べ、そのことは同時に「自らの振る舞いをもって私どもに問いかけてくるイエスに出会うのである」(『イエスとその時代』岩波新書、p.134)と結ぶ。敷衍すれば、このテキストの「隣人」はイエスその人を暗示しているという理解になる。

 ところが、田川は、サマリヤ人が何故ユダヤ人から差別されるか、の歴史をイスラエル王国の歴史から説き起こし、サマリヤ人を「隣人」概念から排除する、ユダヤ律法学者の差別性にイエスが激しく抗議した、という。ここまでは荒井と同じであるが、「サマリヤ人さえもこういう立派なことをするではありませんか、ましてあなた方は、という形の説教になる時、それは相変わらず差別意識の継続だ」(『イエスという男』p.39)と、サマリヤ人を引き合いに出す、この譬えの語り方の水準までも批判する。

3.聖書を読むのは初めての方もあると思うので、言葉の解説をしておきたい。

「律法」:ユダヤ教で、神から与えられた宗教上・生活上の命令や掟。モーセの五書を指し、広義には口伝のものも含める。キリスト教は律法のかわりに福音を説く(広辞苑)。

「心を尽くし、精神を尽くし」:これは申命記 6章5節の言葉。申命記 6章4節の「聞け。イスラエルよ」とともに、現代に至るまで、ユダヤ人が毎朝唱える信仰宣言(シェマー)。

「隣人を自分のように愛しなさい」:レビ記 19章18節に由来する言葉。律法解釈では「隣人」はユダヤ同胞に限定されてきた。それを破ったのがイエス。

「祭司」:神と人との仲介者。新約では、エルサレム神殿の宗教儀式を司る聖職者及びその家系。

「レビ人」:元来は祭司。歴史的由来で祭司の補助者、神殿の奉仕者。

「油(オリーブ油)と葡萄酒」:一般に傷の処方に用いられた。

「銀貨2枚」:労働者2日分の賃金。

「サマリヤ人」:紀元前 721年、アッシリアに滅ぼされた北イスラエル王国の人々は占領政策で民族を移住させられ、混血が行われた。南ユダ王国の人々はユダヤ教の正統から離れたとして、サマリヤ地方の人々を差別し軽蔑した。

4.聖書を演じてみる。

 この物語にはいろいろな人物が登場する。

「ある人」:(ユダヤ人とは特定されていない。何のために、エルサレムからエリコに行ったのか。強盗に狙われる金持ちだったのか)。

「強盗(追剥ぎ)」:組織的なものなのか。当時の治安はどうなっていたのか。

「祭司」:仕事中なのか。実家に帰って農業をしたのか、何故道の向こう側を通ったのか。

「レビ人」:(同じく)。

「あるサマリヤ人」:(何のためここを通ったのか。彼の経歴はどういう人だったのか)。

「宿屋」:(ユダヤ人か、サマリヤ人か)。

 さて、劇をするとして、いろいろな役回りを演じてみてはどうだろうか。

 現代社会では、これらの役割はどうなっているだろうか。

 例えば、開発途上国から収奪する日本は強盗ではないか、いや、忙しくて見て見ぬふりをする祭司だ、いや、経済のあおり(サイト記:2008年9月に端を発するリーマンショック・世界金融危機のことを指しているのか)で倒産をしたからには、旅人ですよ、等々、話を膨らませてみてはどうか。

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洋画家・小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ

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▶️ エルサレム入城(2009 小磯良平 ㉕)

▶️ 参照:善きサマリヤ人の話(2010 田中忠雄 ⑤

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