エルサレム入城(2009 小磯良平 ㉕)

2009.7.1、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」㉕

マタイ 21:1-11、マルコ 11:1-10、ルカ 19:28-40、ヨハネ 12:12-19

(明治学院教会牧師、健作さん76歳、『聖書の風景 − 小磯良平の聖書挿絵』出版10年前)

1.小磯さんの「さし絵入りの聖書」が出版されたのは1980年。

 最初の版は「中型聖書(口語)」となっている。挿絵は一枚一枚聖書の該当箇所に挿入されている。これは製本の際、一枚一枚手作業でいれたに違いない。初版本はそれだけに貴重である。

 新約の福音書の挿絵には、聖書箇所は絵の下の部分に入っている。並行テキスト三つ(共観福音書マタイ、マルコ、ルカ)がある場合と、さらにヨハネを含めた四つのが記されている場合もある。

2. 今日の場面は、ヨハネを含んでいる。小磯さんは四か所の聖書とその前後を読んで、絵のテーマを選び、全体の流れや物語を把握して、構図を考えたと想像される。

 今日のこの絵にはデッサンが2枚残されており。一枚はロバに乗ったイエスを横から描き、左手にエルサレムの城壁を配している。人々が敷いたとみられる上着の上をイエスは左手に向かって行進していく。女性が手を揚げて迎える。デッサンbである。もう一枚のaは今の完成図とほとんど変わらない。デッサンのa・bの順序からいうと、完成図aを描いてから、全く別の発想のものを書いて、結局aを選んだような気もする。

3.「エルサレム入城」の聖書記事には、二つの事柄が含まれているので、その両面を読み取って、絵を二枚書いているという理解の仕方は、ちょっと読み込み過ぎかもしれないが、わたしはその様に思える。

 b図には、戦いの場エルサレムを目指し進みゆくイエスが窺える。福音書ではエルサレムに入る前に「イエスの受難予告」が3回出てくる。

一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。(マルコによる福音書 10:32、新共同訳)

 とあるように、イエスが激しく対立し、批判した神殿体制の律法学者パリサイ人がいるエルサレムに行くということは大変なことであったと思う。

 敵対する権力の本山に乗り込むという流れが福音書、特にマルコにはある。イエスのガリラヤでの日常の宣教活動が「受難物語」を経て「十字架の死」へと突入してゆく凄さである。

 b図はそれを横から描く。

4.もう一方のa図は、イエスを迎え入れる側から見る。一見政治的メシヤ(救世主)として民衆が、歓呼の声を上げてエルサレムにイエスを迎えた(が、民衆は権力の扇動で裏切った)という解釈が為されるが、福音書記事を良く読んでみると、そんなに単純ではない。

 特に、ヨハネは旧約ゼカリヤ書9:9を引用して、平和(平安)を象徴するイエスを強調する。

シオンの娘よ、恐れるな。
 見よ、お前の王がおいでになる、
 ろばの子に乗って。
」(ヨハネによる福音書 12:15、新共同訳)

 これは生前のイエスに起こった事柄を、十字架と復活の光において理解した初代教会の信仰をもって旧約を引用したのである。「人の乗ったことのないろば」は汚れのない祭儀用の犠牲の家畜を意味している(申命記21:3、民数記19:2)。服を道に敷くのは王への敬意を示す(列王記下9:13)。みんな故事の引用である。地上の王とは別な、謙虚と柔和の王がイエスであるという「キリスト論的」な信仰がそこには表されている。

5.「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。」はどの福音書も引用している(マタイ21:9、マルコ11:9、ルカ19:38、ヨハネ12:13)。

祝福あれ、主の御名によって来る人に。
わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。
(詩編118:26、新共同訳)

 これは本来エルサレム神殿を訪れる巡礼者たちに祭司が述べる祝福を述べる言葉であるが、ここではメシヤ的王としてのイエスに対する信仰の表現とされている。「ホサナ」はヘブル語で「ホシャーナー」の音訳。「我らに救いを」の意味である。

6.福音書の記事は細かい所で差異がある。ロバを連れて来るに際し、マルコは

「『主がお入りようなのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」(マルコによる福音書 11:3、新共同訳)

 とある。「キリスト論」は権威の物語に構成されている。

「史実としては、旅人用に町はずれに賃貸用につながれているろばを借りたということであろう」という解説をする人がいる(『福音書のイエス・キリスト〈3〉旅空に歩むイエス―ルカによる福音書』三好迪、講談社 1984)。

 もっとラディカルには「この物語は、初期キリスト教団の理念が生み出したものであるから、イエスの出来事を直接に想像するわけにはいかぬ。」とまでいう人もいる(『イエスという男―逆説的反抗者の生と死』田川建三、三一書房 1980)。

7.福音書の「キリスト論的王、復活の主」の到来という信仰理解をベースにした、のどかな、平和の君のエルサレム入城という場面を象徴的に絵にした作品が小磯さんの絵であるが、小磯さんらしい感性をこの絵に盛り込んでいるのが、絵の特徴である。

 石組のアーチはエルサレムの町の絵画的表象であり、さりげなく全体を包んでいる。物売りの屋台、昔から、今でもそうだが、巡礼者に物を売る人々はこの都の風景である。

 そして、ちょっと見落としそうであるが、ここにも母子像が描かれている。

 子どもと母がいてイエスがいるという風景は小磯さんの聖書のイメージの基本なのであろう。

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