聖霊の働きと教会(2009 礼拝説教・ペンテコステ)

2009.5.31、明治学院教会(156)聖霊降臨日・ペンテコステ

(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん75歳)

使徒言行録 2:1-13

1.今日は、教会の暦では「聖霊降臨日・ペンテコステ」である。

 キリスト教教義の「聖霊」についての信仰理解を深め、聖霊の働きを自覚する日でもある。

2.三位一体とは、神の超越性(父)、歴史的存在イエス(子)、現在個々人の内に働く神(聖霊)が、一つの神であるとの信仰告白である。

 キリスト教信仰の歴史(三位一体の教理は、3世紀の教父・テルトゥリアヌスによる)と共に古い。

3.聖霊について新約聖書が語るところは、多様である。

 代表的テキストを挙げると、
・コリント第二13:3は信仰告白をさせる神の働き。
・ヨハネ14:26は「歴史のイエスの言葉と振る舞い」を想起させる助け主(弁護者)。
・コリント第二3:17は、自由を得させる根拠。

4.使徒言行録1-2章では、聖霊は教会の宣教の働きと関係づけられる。

「集まっている」は教会を指す術語。初代教会には”異言”という宗教的恍惚状態で意味不明の言葉を発する現象を主流とした活動があった。

 地中海世界の宗教の一般的傾向でもあったが、パウロはこれ(”異言”)を批判した(コリント第一14章)。使徒言行録の著者も、パウロのこの流れを汲んで、異言活動を福音宣教の中心的活動とは考えていなかった。

5.著者は2章で「聖霊降臨物語」伝承と「多言語奇跡物語」伝承の二つを用いつつ、聖霊は異言と結びつくのではなく、他者にわかる言葉による宣教と結びつくことを強調した。

 そこで注目したいのは、「一同が一つになって集まっていると」(2:1)「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」(2:3)「ほかの国々の言葉で話しだした」(2:4)の一連の繋がりである。

 誰が何のために一緒に集まっていたのか。

「イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たち」(1:1-2)が「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1:8)ために集まっていたのである。

 ここでは「選び」と「証人」がキーワードを担っている。

 他の表現で言い換えると、教会とは何かを端的に捉えている「招きと応答」である。

「応答」は「他国の言葉で話す」、つまり自国語(自分たちだけに通じる言葉)ではなく、相手に通じる言葉で話す(言葉が異なる他者と通じ合う)宣教活動が示唆されている。

 聖霊は働きなのである。

6.現代の思想的課題に翻訳すれば、あらゆる文化・社会・民族での「共生」の課題となるだろう。

 例えば、言葉を用いず、武力や虐殺を是認する戦争やセーフティーネットを外した自由競争優先の思想とは相容れない。

 在日・アイヌ・沖縄・障害者・性差別の問題も、共生が課題だ。

 異なる者と一緒に生きることは大変なことではあるが、それは人間のありようの根源性に目覚めることである。

 自分の都合の良い人間関係だけに逃げて一緒にいることに耐えないことは、神の御心ではない。その重い壁を突破する「神の働き」が「聖霊」である。

「一緒にいる」ことの大切さを思う。その日常的・根源的意味を重んじる教会でありたい。

7.浅見定雄氏(東北学院大学名誉教授・旧約聖書学)はその著『統一教会=原理運動・その見極めかたと対策』(日本基督教団出版局 1987)の中で、「原理」から青年を取り戻しても、両親と一緒にいるのは嫌だ、という青年には打つ手がないと語っている。

 身近な共生が大事なのだ。

156-20090531

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