小林望様(2008 書簡・杉原・大貫/笠原対談)

2008.9.13 執筆、小林望さん(新教出版社社長)宛

(笠原芳光さん:京都精華大学名誉教授 当時81歳、1927.5-2018)
(杉原助さん:日本基督教団隠退教師、当時81歳、1927-2013)
(大貫隆さん:東京大学教授・新約聖書学、当時63歳、1945.4-)
(健作さん:単立明治学院教会牧師、当時75歳、1933.8-)

小林 望 様

2008年9月13日

 拝啓 秋の涼風が望まれる思いの日々です。

 日夜、ご多忙のうちにもお励みのことと存じます。

 さて、お願い事とご相談があり、お便りいたします。

1.事柄の推移からお話しすると、私が親しくしている、知友の牧師・杉原助(たすく、広島南部教会)さんから、ある日突然、頼み事の電話を受けました。

 彼は、ちょっとした脳の手術を受けて静養中なので、認知症が出ていると自分で言っていました。

「岩井君、僕は大貫さんと笠原君の対談が実現出来たら、共にイエスに真剣に関わっている人で、その点共通するところがあるが、全く別々な道を歩んでいるので、有益で面白いと思うのだが、僕には、今大貫さんとその事を交渉するだけの体力も実際的余力もない。僕に代わって大貫さんに話をしてみてくれませんか?」

 という事でした。杉原さんは「噛み合わないかもしれないが」としきりに言っていました。僕は大貫さんに手紙を書いて「今は忙しいけれど11月以降であれば、笠原さんの本を読んで、お応えいたしましょう」という返事をもらいました。

2.6月、他用で岩国に行ったので杉原さんを尋ね、そこまでの役割終了の報告をしました。「後は杉原さんが進めて」と言うつもりでしたが「君に一切をゆだねるから、先に進めてくれ」との事でした。認知症及び体力の衰えを大変気にされており、なにか「遺言」めいた気もして、断り切れず、その後の進行に関わる事にいたしました。

3.その後、大貫さんは、早々と笠原さんの「イエス本」3冊を読み、批評をくださいました。

・『イエス逆説の生涯』(春秋社 1999)
・『イエスとはなにか』佐藤研共編著 (春秋社 2005)
・『日本人のイエス観』(教文館 2007)
(サイト記:書名が書いてないのだけれど、この3冊ではないかと思う)

① 笠原さんは「キリスト(メシア)」の、キリスト教・ユダヤ教における意味論的格闘の認識が希薄。

②「イエスは私」は合致する面のみ取り上げ、合致しない部分への視線の不在。イエスの「客体化」の不足。その点イエスの言動への相互的関連(ネットワーク)を全体として考え、それを現代にどう翻訳するかが私の方法。

③ イエスの絶叫はなんのためかが曖昧。

 笠原さんに自分の最近の3冊を読んで欲しい(笠原さんが加齢で可能かどうかの心配はあるが)とのことなので、笠原さんに念を押しましたら「読むよ」という事なので(思想書でない本にどれだけ肉薄できるかはさておき)、大貫さんから3冊を贈呈して戴きました。

・『イエスという経験』(岩波書店 2003)
・『イエスの時』(岩波書店 2006)
・『グノーシス「妬み」の政治学』(岩波書店 2008)

 お二人は面識はありません。これが初めての接点です。笠原さんはお礼に2冊を送ったと言っていました。
・『言葉と出会う本』(法蔵館 1996)
・『思想とはなにか』(春秋社 2006)

4.ここで「笠原芳光・大貫隆対談」のルートは出来ました。

 さて、4-① これをどんな枠で実現するのかです。

 4-② なかなか噛み合いそうもない「対談」を、少しでも関心ある人に資するようにどう構築するのか、という難問が残っています。

 杉原さんが元気でいれば、彼に問題点を整理してもらって、進めれば良いと思っていました、しかしそれは無理です。

5.4-② から触れますと、笠原さんは、吉本隆明氏との対談(「中外日報」2006/1/3)を私に送られ、次のように書いています。

「大貫さんとはこのようには噛み合わないと思いますが、杉原さんは何故こんな対談を思いついたのか分かりませんが、彼も思想の間口を拡げたいと思ったからでしょうか。」

 これは私見ですが、笠原・杉原共に、赤岩栄の影響下の友人です。

 杉原さんは「教会」の枠内で仕事をして、持ち前の語学力を活かしブルトマンの『ヨハネの福音書』(日本基督教団出版局 2005)を訳しました。その時の、大貫さんとの接触で、イエスについて方法論を立てて、探求している姿への憧憬があると思います。

 杉原さんは、大貫さんの『イエスという経験』には笠原さんの『イエスとは何か』、大貫さんの『イエスの時』には笠原さんの『イエス逆説の生涯』が文献表にあるのを見て「これはうれしかった。」と笠原さんへの手紙で言っています。

 今回のことは杉原さんの笠原さんへの友情だと僕は見ています。

 対談が噛み合わないとすれば、笠原さんが、大上段に、学者は「木を見て森を見ず」の論法にとどまる場合でしょう。噛み合うとすれば、笠原さんが大貫さんの「方法」を(よく)理解して、その方法が持っている現代への「思想史的意味」にまで丁寧に接触して付き合うか、それともそれを大貫さんの方で「接点を作るかです」。

 そうするには大貫さんに、笠原さんが赤岩栄の思想的継承者であることや、さらにはルナン辺りからの立場への評価と批判辺りから接点を作って丁寧にやっていただく事になろうかと思いますが、私にはよく分かりません。

6.さて4-①のこれを実現する枠です。

 大貫さんにちょっと相談したら「新教出版社の小林さんに相談してみたら」とのアドバイスです。僕も初めからその思いはあったのですが「噛み合わない」可能性を思うものですから、言い出せないで時を過ごしてきました。今朝も笠原さんから電話をもらいましたが、「ロラン・バルトが、花の植物学者には、花束の意味は分からないといった」との「博学」な論議の展開で「なかなか難しいな」と思いました。

 とにかく『経験』『時』『グノーシス』を読んで、その書物の意図を汲んで戴かないと始まらないな、と思いました。といって、僕自身が双方の書物を読んで理解しているわけではないので、少々気の引ける話です。本音。

7.というような具合で、お忙しい時に、御無理な相談ですが、知恵を貸してください。僕は杉原さんの「遺言」めいた依頼に、何とかして応えたいという思いだけは持っています。急ぎませんので。アドバイスを。

岩井健作

(サイト記)小林望さんは健作さんにとって甥の一人、小林さんにとって健作さんは親戚の叔父さんの一人という親しい関係の書簡です。

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