レジュメ「神戸のキリスト教 ー その光と影 『近代日本と神戸教会』が問うたこと、問えなかったこと」(2006 学会)

 2006.9.29、キリスト教史学会第57回大会「特別講演」レジュメ
於 神戸海星女子学院大学

(明治学院教会牧師 健作さん73歳)

1.『近代日本と神戸教会』(以下『近代』と略)について

 編者、日本基督教団神戸教会。創元社 1992年刊。A4版.227p. 編集委員:武藤誠、笠原芳光、中永公子、岩井健作。

特徴
① 一般向け、写真・図版多数使用、見開き1ページ1テーマ。
② 特定の歴史観に立たない、強いて言えば、社会史的方法。
③ 女性史的視点が底にある。

書評 秋山憲兄『本のひろば』1992年9月号。本井康博『信徒の友』1992年9月号。竹中正夫『基督教世界』1992年7月号。『神戸新聞』1992年6月21日。土肥昭夫『キリスト教史学会会報』。中永公子『ほんのしるべ書標』1993年1月号。

2.本講演の方法

 牧会者の役目(虫瞰図的、共時・共苦的、部分的、関係的、感性的)から関わった人々(葬儀を司った方)の足跡に「神戸のキリスト教」の一端を探る。(『近代』の方法と「細部」という点で同質性あり)。

3.戦争の罪責が償われる歴史の物語

 鈴木玉子さん(1897-1993)。鈴木浩二牧師(神戸教会第8・10代牧師、日本基督教団総務局長[1941-1945])夫人。社会福祉法人ぶどうの枝福祉会・特別擁護老人ホ−ム愛の園(日本ホーリネス教団神戸教会牧師・斉藤信男・溢子により1993年創立)にて死去。戦時下治安維持法による日本基督教団「6部9部」(ホーリネス系教師97名)に対する弾圧時の教団総務局長文書(日本基督教団資料集2、p.125)は「静観」「一層の皇国民たるの自覚」を促す。「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(鈴木正久議長名 1967年)。1985年、日本基督教団による「旧6部9部教師及び家族・教会への謝罪を公告。兵庫教区、関係教会訪問。「赦しは神に委ねたい。今の課題(老人ホーム建設)に祈りを」の言葉に「支える会」支援。鈴木夫人の逝去は「愛の園」第一号。「鈴木さんは身をもって信仰者の死の受容を証しして下さった」。被害者が償う現実を思う。

4.多様な価値理解を許容する精神

 吉田金太郎さん(1950-1985)。1970年「よど号乗っ取り」の「赤軍派」メンバーの一人。朝鮮民主主義人民共和国に亡命、病死。京都で葬儀を行なう。祖父、父、神戸教会員。伯父吉田信さんの寛容な挨拶。

5.神戸のキリスト教と音楽文化

 吉田信さん(1904-1989)。神戸教会員。1943年以降NHK音楽部長。「素人の ど自慢音楽会」を企画創設。日本レコード大賞審査委員長。頌栄幼稚園、神戸教会日曜学校での音楽素養を活かした人。

6.神戸のキリスト教と絵画

 小磯良平さん(1903-1988)。洋画家。初期女性宣教師の影響下にある女性たちに囲まれ、清澄感のある女性像を描く。参照、岩井健作「小磯良平の絵画と聖書」(『神戸と聖書』所載。神戸新聞総合出版センター 2001)。同「広島・長崎・沖縄からの祈り」(『講座日本のキリスト教美術・建築』所載。日本基督教団出版局 2006)

7.福祉即福音

 水谷愛さん(1899-1984)。神戸真生塾第3代塾長。神戸の社会福祉の開拓期を担った。(『愛ー水谷愛子の歩んだ道』神戸真生塾刊 1985)

 関連:野田正彰(関西学院大教授)「ランバスと中国での医療伝道」(『学院史編纂室便り』No.23所載、2006)。

8.神戸の風土とリベラルなキリスト教

 東山正芳さん(1908-1993)。関西学院大学教授、英米文学。『ヘンリー・ソロウの生活と思想』(1972 南雲堂)。自由人。教会の中に在りつつ笠原芳光氏の「キリスト教止揚」の理解者の一人。「イェスの名によりて」と祈る。

9.神戸と在日

 韓晢曦(ハンソッキ)さん(1919-1998、東神戸教会員、葬儀説教・岩井)。同氏著『七転び八起き ー 私の在日70年』(岩波書店 1997)。三足の草鞋、実業(日本ケミカル工業組合リーダー)、学究(青丘文庫[4万冊]主宰・神戸市に寄贈、77才「日本キリスト教海外伝道史」で、同志社大神学博士)、奉仕(神戸学生青年センター、神戸YMCA、日本基督教団など)。

10.『近代』が問えたこと。細部を、一つの方法で浮かび上がらせた事

11.「影」とは何か。二つの方向からの問いは影を作る。

 一つは、聖書が「福音」と表現している事態(原始キリスト教から始まる「信条」「標準文法」に収斂させてはならない)。近年の聖書学が明らかにしたように、歴史のイエスの「振る舞い・言葉」にまで還元して考えることが大事(イエスを巡る論議はある)。私には、イエスの「失われた羊」の譬えに象徴されるように、疎外された側に自らをおいて歴史に関わることが最低限の「聖書・キリスト教」のメッセージ。牧会の根拠。

 第二の問い。日本の近代は「国民国家」の形成と共に「富国強兵」政策(戦前・戦後を一貫している)の結果、生命を絶たれた人達(政策の犠牲者の筆頭は戦争犠牲者)、人権を剥奪され、差別された人達からの問いを受けている。神戸でどれ程聞こえているか。イエスが疎外されたものの側で「批判的主体」として当時の体制や権力に関わったという「イエス理解」に立てば(私のイエス理解はそこに近い)、どれだけ私たちが現在の状況に対して批判的関わりをする事が出来るか、という問いが残る。

『近代』はそのような役目を担った「本」でない事を十分承知しながら、そこを敢えていうなら一歩踏み込んで、問えなかった、と思っている。でも、そのような芽を宿している「本」だとも思って評価しています。

講演原稿はこちら

『近代日本と神戸教会』(1992 書籍)

あとがき 『近代日本と神戸教会』(1992 書籍)

波の輪のように(1992 教会報)