はじめに(2014 書籍『兵士である前に人間であれ』)

2014.1.6 時点の「はじめに」
最終版は2014年3月30日執筆で
最終版の文字数はざっと倍。

(明治学院教会牧師、健作さん80歳)

はじめに

「兵士である前に人間であれ」。

 1970年代、ベトナム戦争の最中、山口県米軍岩国基地内で反戦活動を始めた兵士たちがささやくように語ってくれた言葉である。

 徴兵で戦場に駆り出された18歳を少し超えた米国青年たちが、あの厳しい軍の統制の中でつぶやき、お互いを励ました言葉であってみれば、戦闘の現場は人間破壊そのものであったに違いない。

 ジャングルでベトナム兵と向き合った時、ベトナム兵は黒人米兵への銃口を正確に避けたという。

 他方で米兵は自軍の将校の弾で後ろから脅されたという。

 また米兵は枯れ葉剤を使った空爆の実行者の立場に置かれた。

 軍隊は彼らにとって想像を絶するほどに非人間的であったに違いない。


 当時、岩国教会で牧師をしていた私は、思想のアナロジーとして「牧師である前に人間であれ」と言い換えて自分に言い聞かせ「人間」の根源的尊厳を考えてみた。

 また、そこに「政治家」「学者」「医師」「教師」「官吏」などを置き換えて語り直してみたが、「兵士」という人間の文脈が国家権力に曝されているむき出しの魂である凄まじさにおいては、アナロジーでは言い表わせない現場の重みを感じてきた。

 兵士たちには理念が先にあって反戦の運動があった訳ではない。

「魂の叫び」が行動そのものであったのだ。

 その魂の叫びは、40年近くを経て、岩国では『岩国は負けない』との叫びとなって継承されている。(『岩国は負けない 米軍再編と地方自治』週刊金曜日編 2008)

”もう私たちは黙っていません。今後も私たちは命や平和を決して諦めることなく、全国の方々と連帯して粘り強く闘っていきたいと思っています。”(同書 P.132)

 とは現岩国教会牧師・大川清さん(住民投票の成果を活かす岩国市民の会代表)の叫びである。

 そして岩国地区、さらには西中国教区の諸教会が大川牧師をバックアップしている。

 私の昔馴染み(元市職労委員長)の田村順玄さんは現在4期目の市議として、岩国の運動の底力となっている。また「ピースリンク 広島・呉・岩国」世話人でもある。

 さらに、やりたい放題の安倍自民党政権に対して「3・11(東日本大震災での福島原発事故)」以後ずーっと継続している国会前の、また全国各地での「脱原発」を叫ぶ市民の「魂の叫び」もまた闇の中の光である。

 これらの「魂の叫び」に触発されて、当時書いた文章を、畏友大倉一郎さんから記録として残す事をすすめられた。

 もう劣化寸前の古い雑誌から起こしてまとめたのが第一部の「岩国」に関わる文章である。

 読み直してみて「時(クロノス、歴史の流れ)」を超えた「時(カイロス、実存の時)」を覚える。

 第二部は、キリスト教の牧師にこだわり続けて生きてきた人間が、自分の足場から掘り起こしてきた「日本基督教団」の「戦争責任告白」の問題にまつわって、「教会という場」でその都度しゃべったり、綴ってきた文章の幾つかをまとめた。


 今、「日本基督教団」の政治的主流は、歴史的文書「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(1967年 鈴木正久議長)」(通称「戦責告白」)の意義を認めない。

 教会は純粋に「信仰告白」集団であり、社会の問題に関わることを潔しとはしないと言う。

 しかし、明治以降、日本の近代主義に与してきたキリスト教を反省して、天皇絶対主義の国家に屈服させられた教会の体質を問い直し、戦後は日本国憲法の基本理念の実質化を自らのこととして歩んできた底流の諸教会は、教会の歴史の転換としての「戦責告白」を、教会の歩みの内に抱え込んで、宣教の展開を目指している。

 そのような教会への一つの記録として、第二部は意味を持つのではないかとの思いを抱く。


 もう一つ、岩国でベトナム戦争のあの時代を振り返った時、どうしても忘れることのできない人物がいる。

 中川六平氏である。

 彼は2013年9月5日、食道がんで63歳で他界した。

 彼には自らの青春を綴った著作『ほびっと 戦争をとめた喫茶店 ― べ平連 1970-1975 in 岩国』(講談社 2009年)がある。

 この本には、6箇所ほど私に触れた描写がある。

 ただ、出版年代がほんの少し遅いので、この度の私の論考には引用出来なかった。

 彼の記念碑的著作は、時代を当事者が語るすぐれた文献として紹介をしておきたい。


「岩国」というと、触れざるを得ない論考がある。

 それは知念ウシ氏の発言である。

”在沖海兵隊の岩国への一部移転を打診された時、当時の玄葉外相は岩国市長に「お願いするつもりはないので、安心いただきたい」と述べた。8月末、森本防衛相はオスプレイ駐機中の山口県知事に「大変な心配をかけて申しわけない」。沖縄の民主主義を否定して、オスプレイを強行配備する。これが沖縄の「日本復帰」体制40年への「祖国日本」からの応えである。”(『シランフーナー(知らんふり)の暴力』知念ウシ、未来社 2013、p.154-155)

 知念氏は沖縄が日本の植民地だと言う。

 そして「岩国」への国の発言がこれを如実に示している。


 反戦米兵の運動に関わって、私は初めて沖縄を訪れた。

 以来、大城実さん・名嘉隆一さん・山里勝一さん・平良修さんら、沖縄で闘い、沖縄から「本土」を問う牧師たちと交流をもち続けてきた。

 最初の訪問の時の、基地の巨大さ、住民被害の熾烈さに圧倒された経験は鮮烈に今も甦る。

 以来、沖縄と如何に関わるかは「日本人」(最も使いたくない言葉であるが)のアイデンティティーの問題として問われ続けている。

 この度の本には、沖縄に関する論考は入れていない。

 しかし、岩国での事を語るからには、自ずからを問う課題として、沖縄への関わりを纏めなくてはならないと思っている。


▶️ あとがき

▶️ 『兵士である前に人間であれ-反基地・戦争責任・教会-』岩井健作 (2014 ラキネット出版)

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