2011.10.2、明治学院教会(248)
(明治学院教会牧師6年目、牧会52年、健作さん78歳)
コリントの信徒への手紙 第二 4:7-10
”このような宝を土の器に納めています。”(Ⅱコリント 4:7、新共同訳)
1.パウロは、コリントの街に2年近く滞在して、伝道しました(使徒言行録 18:1-11)。
そこを去って、エフェソに滞在している時、「教会」内の様々な問題を聞き、福音の原点を説き、訓戒を述べたのがこの手紙です。
パウロがいかにこの「教会」に心を砕いたが滲んでいます。
コリントの”エクレシア”(共同体・教会)は、この街の最下層の人々の間に実現したものでした。
ここを見逃してはなりません。
「知恵のあるもの、能力のあるもの、家柄のよい者が多かったわけではなく」(Ⅰコリント1:26)が、それを物語っています。
”兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。”(Ⅰコリント 1:26、新共同訳)
町工場の零細経営者と、そこで働く労働者を巻き込んだ”オイコス”(家の教会)、ある意味では、住民共同体でした。
この世の感覚では、社会の底辺で喘ぐ虫けらのような住民たちでしかなかったのだが、その人たちがイエスに繋がることで、この世の価値観を逆転させたのです。(おそらく、ローマ帝国は、上から下まで、強い、能力のある、知恵や家柄を力とする価値観で成り立っていた)
イエスが貧しい者と共に生き、その者たちに寄り添いながら、その者たちの味方に徹したが故に、十字架の上に殺されて死んでゆき、そこに神の力が働き、その死は深い感動を呼び、神の与える”命”がそこに現れるという価値観でした。
この世では蔑まれ、弱く、能力や知恵、学歴のない者にこそ、失われてはならない”命”の価値があると示したのが、パウロの説いた「十字架の福音」でした。
2.底辺の人々は、未だかつて受けたことのない”力”をこの「福音」によって受け、生き始めました。
それがコリントの街の信徒の群れ(地域共同体)であったのです。
しかし、常にローマ帝国の原理である「力の価値観」の圧力がかかっていました。
だから、その中で「十字架の福音の逆説」を言葉にして、コリントの信徒を励ましたのです。
8節以下です。
”わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。”(Ⅱコリント 4:8-10、新共同訳)
その「逆説」の表現として用いられたのが「土の器」という言葉です。
3.「土の器」は日常生活で使う食器を連想させました。
金銀など高価な飾り物の器ではありません。「土の器」は、ある意味では、価値のない器です。
この言葉自体が、実はコリントの信仰共同体集団そのものを示唆しています。
しかし、ここにこそ、神の偉大な力が働いたのです。この逆説が”いのち”の回路であったのです。
4.かつて親しい哲学の教授から頂いた”葉書”の言葉が今も私の心に沁みています。
”おもむろに歩み、たたずみて息をととのえれば、路傍の草木が、息づきて迎えてくれる”
肺の機能が弱って、人並みのスピードでは歩けなくなっておられた時の言葉です。
自分の弱さを「土の器」として見直し、そこに”いのち”を見ておられます。


◀️ 2011年 礼拝説教
▶️ 土の器に宝を – 逆説による現実の突破(2012 聖書の集い・Ⅱコリント)
▶️ 土の器(2013 礼拝説教・Ⅱコリント)
▶️ 土の器(2014 信徒講壇 ②)