幼な子と教会(2002 礼拝説教・城西教会)

2002.12.8、日本基督教団 城西教会(東京都渋谷区)礼拝

(川和教会代務者牧師 健作さん69歳、牧会45年目)
この年4月、健作さんは神戸教会牧師退任、
同9月、城西教会では徳永五郎主任牧師退任。

ミカ書 4:3、マルコ 10:13-16

「イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい』…」(14節) マルコ 10:13-16

 日頃から城西教会が宗教法人の幼稚園を運営なさっているということに親しみを抱いています。なぜ「宗教法人の」ということに殊更に強調があるかというと、いま「学校教育法」(第一条)では学校法人だけが幼稚園の設置者になることが出来るのですが、1947年の学校教育法制定の以前からあった教会の幼稚園の中で、学校法人に設置者を変更しないで宗教法人のまま継続しているところがありました。設置基準に合わないとかいろいろ理由はあったのですが、当初の実情が法の一部を改正させて、102条に「当分の間は学校法人でなくてもよい」ということに、一項を設けさせたという歴史の経緯があります。しかし「102条園」には公費助成はありませんでした。なぜ60年近くも、多くの教会が宗教法人のままやってきたかというと、子どもの立場に立てば、たとえ設置基準に合わなくとも「教会」が設置主体になって宣教の一貫として幼児教育をするのがよいと判断してきたからです。助成は子供の為のものですから、その形態に「法」を合わせて、方法を考え直すのが筋道だと主張してきました。就園奨励助成などもその中で生まれました。しかし、102条園への助成は涙程しかありません。そこで、全国の教会の多くの部分は、学校法人に変更します。学校法人で悪いことはないのですが、時が経つと、教会が設置者である、という精神が忘れられて、確かに、キリスト教主義ではあるのだけれども、教会の働きではなくなって、中には教会から離れて、世俗化してしまうものまで出て来ました。東京都は宗教法人のままでも「子どもへの助成」と考えてかなりの助成を出しています。他府県ではそうはなっていません。背景はそうであっても、この教会が宗教法人で頑張っていることに対する私の敬意は変わりません。

 私は、といえば、42年間、広島県、山口県、兵庫県と、102条園(宗教法人・個人立)には助成が極度に少ない所で、教会の幼稚園に携わってきました。しかも、みな30人から40人位という、小さな小さな幼稚園ばかりです。私は、この3月、関西で一番古いプロテスタントの教会といわれている神戸教会を退任しました。130年になるこの教会のよい働きを一つだけ挙げなさいと言われたら、明治の初期から一貫して子どもの福祉と教育に力を注いで来た、ということでありましょう。神戸で一番古い神戸孤児院(現在・神戸真生塾)を立ち上げ、今でもその支援をしています。初期婦人会が中心になり、理想を持って、かつ資金をつくり、フレーベルの幼児教育を継承する、幼児教育者A・L・ハウ先生をアメリカから神戸に招き、頌栄幼稚園と保母伝習所をつくり、保育者を育てて、幼児教育を教会の働きと考えてきました。そんな事を今でも受け継いでやっています。教会が主体となって幼児教育に苦労することは、宣教の働きの大切なことだと思っています。

 私と子どもとの出合いのことを少しお話しますと、いろいろな物語があります。今まで教会付属の二つの幼稚園でずっと園長をしてきました。そこで出合った子どもたちが、実は私に、イエスが子どもを祝福する意味を教えてくれましたし、もっと言えば、私をイエスに出会わせてくれたのは子どもたちだといっても過言ではありません。

 私を子どもの世界に連れ込んだ「やすあき君」のお話をします。彼は、今でいう「情緒障害児、自閉症」の子でした。はじめ三歳児のクラスにいたのですが、遅れを気にしてお母様は退園させ、小児科医や精神科医やいろいろな教育相談を受けさせました。彼が五歳の夏に慶応大学の平井信義先生に相談したところ、幼稚園で同じ年齢の中で生活するのが一番よいと言うことになり、また幼稚園にきました。まだ統合保育の理論などはなかった時です。私の園の教師陣もさすがに手の施しようがありませんでした。頼りにしていた教師まで「園長先生がお預かりになったのだから、園長先生がやったらよい」と言う始末です。目が合わない、多動で言葉が通じない。あっという間に印刷室のインクベタベタ、トイレの紙をモクモク。あらゆるものをひっくり返す、お友達に水や砂を掛けるなど現場は大混乱。でも頼りにしていた教師の聡明さと創造的な保育への努力と提案で、やすあきちゃんとその友達「けんさくちゃん」として私がクラス入りして、同じ目線で、園長を交えた統合保育が始まりました。

 その間しばらく教会の仕事が滞りました。でも役員会は子どものお世話は牧会の一つだからと励まし助けてくれました。「統合保育(その頃そんな言葉さえありませんでしたが)」の成果は、やっぱりメキメキあがりました。お友達とも心の通いが出てきました。ところが小学校への入学が近くなった頃からやすあき君はまた心を閉ざして様子がおかしいのです。お母さんが焦って、家で算数の勉強の学習機械を使っていたのです。私はそれを止めるように申しました。「北風と太陽」のお話しをしました。無理と強制は、子どもの心を開かないと、統合保育の意味をお母さんに話しました。虚ろの表情で、黙ってお母さんは聴いておられました。そのうち大粒の涙をポロポロと流されました。私はその時、お母さんは一生、この子と共に悩みを負わなければならないのに、私は第三者に過ぎないことに気がつきました。自分が「北風」そのものであったことを悟りました。お母さんの悩みの深さを思い絶句してしまいました。沈黙と祈りが、それから続きました。そして、また、やすあき君とクラスの子どもたちとの明るい日々が戻ってきました。卒園式はやすあき君とお友達との心の通いに皆が涙と喜びを持って迎えられ、感動的でした。この出来事は私が多くの子どもと出会う事の原点になりました。

 さて、今日の聖書朗読は2か所(旧約はミカ4:3、新約はマルコ10:13-16)を選びました。私は、マルコのイエスがこどもを祝福した、という箇所を読む時、一緒に旧約のミカを読むことにしています。なぜそうかと言うと、子供の命が危機に晒されている背景には、戦争が存在するからです。ミカは紀元前8世紀(BC740-690)、イスラエルで活動した預言者です。自分の村が、アッシリアの侵略で戦場として荒らされました。廃墟の中から立ち上がる時に語った言葉です。「剣を打ち直して鋤とする」戦後状況を告げます。「剣」と「鋤」の対比はいろいろなことを暗示しています。剣と鋤というのは、丁度反対のイメージを持っています。死か生か、軍か農か、武力か外交か、即効か遅効か、統制か自由か、破壊か生産か、即断か待ちか、軍事基地か国際交流か、支配層の都合か底辺層の現実か、などです。この対比は象徴的なものです。そうして「剣」に象徴されるやり方で物事に決着をつけるのと同じやりかたは、少し単純ですが、「大人の分別」が傾きやすいところです。

 今日のメッセージの中心をマルコ10:13-16から読み取りますと、弟子たちの「大人の分別」は、宣教の視野から子どもを外してしまっています。そのことをイエスは憤られたのです。しかし、この「憤り」はマルコ福音書にしかでてきません。他の福音書は、イエスが「憤る」なんて都合が悪いと思って取ってしまっているのです。当時の社会は、子どもを、それ自身、尊い人格、命、としては考えていませんでした。それは、裏を返せば、人間を有用性、何か役立つ価値から見ていたということです。子どもを遠ざけた弟子たちの考え方には、そういう所があったので、イエスは叱ったのです。

 何故子どもは神の国のしるしなのか。それは、功利性から考えることの出来ない存在だからです。その存在は「信頼、愛、加護」の関係の投影です。関係の中の人格ということが大事なのです。電車の中に、まわりの人に愛嬌を振りまく赤ちゃんがいると凄く和やかであることを経験した方はありませんか。

 イエスは、子どもを「神の国」の「指標、しるし」とされました。今、子どもの命がむしばまれていることに世界の危機を覚えるのです。「神の国」のしるしが失われているのです。

 かつてないほどに子どもが命を失い、傷ついています。その現実を知り、イエスと共に子どもの存在を尊び、祝福する業に、そして子どもの存在を蝕む力に抗っていこうではありませんか。

 今世界で、最も悲惨で命の保証すらない厳しい状況におかれている子どもたちは?多分その答えはパレスチナの子ども、でしょう。もちろんあらゆる地域に子どもの危機はあります。私はあのガザの街に1993年、中東キリスト教協議会を通じて、日本キリスト教団からアハリ−・アラブ病院に支援金を届けるための教団訪問団に加わって旅をしました。

霧のナザレ」神戸教會々報 No.140 所収、1993.11.28

 イスラエルのプラスチック爆弾に傷つけられた沢山の子どもが入院していました。ガザの中心地人口密集地にあるこの病院は、自治政府の病院からあふれてしまった負傷者の緊急手当をしています。電力供給が途切れがちななかで、ソーラーシステム発電のための募金の訴えが、この夏、日本に来ています。さらに、パレスチナの子供の状況は聞きしにまさるものです。もう1948年以来50年以上戦闘状態が続いています。

 子供の死は大人以上に悲惨です。

 阪神・淡路大地震で亡くなった子どもたちのことを思い出します。514人。その中の長田の喫茶店の二人の子供たち、和雄君(15歳・中3)と芳子さん(12歳・小6)のことを思い起こします。芳子さんは当時12歳、8年経ったので成人式です。ダイレクトメールで成人式の着物の案内が送られてきました。お母さんは「人の気も知らないで」と怒っていました。それを聞きながら、地震以後、私は「流れる時間」と「流れない時間」の二つがある事に気がつかされました。和雄君のお父さんは、まだ子供の死とまともには向き合っていないようだ、と申されていました。

 亡くなった人達は、分別とは別な世界の、流れない時間をゆっくり生き始めていると感じます。あの地震によって告げられた鮮烈な事柄の数々を忘却の彼方に手放しそうになる時、私たちを、その「流れない時」の中から、もういちどあの出来事へと呼び戻してくれるのです。子どもは大人の分別の枠組みでもある「流れる時間」の彼方から「神の国」という可能性と祝福を呼び覚ます存在なのです。

 そこには想像力やファンタジーが渦巻いていて、分別でしかものを考えない私たち大人を魂の豊かさへと導くのです。教会が「幼な子のことを」宣教の正面にすえて祈りを合わせていきたいと思います。

 良寛の歌に「この宮の、森も木下で、こどもらと遊ぶ春日は暮れずともよし」とあります。

「(イエスは)子どもたちを抱き上げ、手をおいて祝福された。」(マルコ10:16)。

 その重さを悟りたいと思います。