教会堂の“用”と“美”(2002 宣教学 ㉒)

       2002.11.18(月)、西宮公同教会、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(22)
関西神学塾 岩井健作 

(川和教会牧師代務者、前神戸教会牧師、健作さん69歳)

1.このテーマを選んだのは、神戸在住の最後の役目(2002年3月、神戸教会牧師を退任、その後、神戸栄光教会に最も近い元町ハイツの14階に 7月まで居住していた間の出来事)が、日本基督教団 神戸栄光教会(相浦和生牧師、以下栄光と略)の「会堂建築審査委員会」の委員に選任されたことによる。

 栄光の旧会堂は1923年の献堂で、市内の中心地、中央区下山手通4丁目の兵庫県庁、兵庫県県民会館、兵庫県公館に道路を隔てて三方を囲まれた「一等地」にその煉瓦造りの優雅なゴシック様式の建物を、兵庫県の、あるいは神戸市の一つのシンボルとして印象づけてきた。

 しかし1995年1月17日の阪神淡路大震災の朝、一切が倒壊した。

 10年は保つという大型テントの仮会堂を建て、以後7年、本会堂の再建に向かって努力が続けられてきた。



 いよいよ再建に向かってどのような設計にするか、広く意見を聴取するために、6社の設計コンペを実施する運びとなり、その内一社を選ぶ「審査委員会」を、教会幹事会が教会外部の専門家を含めて選任する運びとなった。

 建築の専門家2名、キリスト教関係者1名、栄光教会員(会堂建築に直接関知しない各層の信徒)4名の構成で、小生は「キリスト教関係者1名」の役割を果たすことになったという次第である。

 設計案を見る限り、6社は、それぞれ著名な建築家あるいは設計会社であり、力作ぞろいであった。

 私は、私なりに、教会堂とは何か、また栄光の会堂再建とは何か、地震は神戸の教会堂に何をもたらしたのか、そもそも日本では宣教の視点から教会堂を考えるとはどのような営みなのか、などを思いつつ、自分なりに、コンペ設計案に判断を下して、他の委員から学びながら協議に加わり役目を果たした。

 そこでの思考の過程をまとめてみたのが、本論考である。

2.論考の過程で、一体自分はどんな「会堂」体験をしたかを振り返ってみた。

 物心がついた6歳の時、父親は、東京・渋谷で日本組合基督教会の開拓伝道の一翼を担い、二階建ての借家(借家が伝道の最初の拠点になるケ-スは日本の教会ではかなり一般的である)で、一階を牧師の生活の場とし、伝道が始められていた(日本組合渋谷教会、後に移転して永福町教会)。


 日曜には二階8畳間二間(週日は牧師書斎兼事務室)の襖を外し、折り畳み椅子20脚ぐらいを並べ、講壇、花台、聖餐机(普段は献金台)、オルガンをおき礼拝の場所ができた。

 このスタイルはほぼ説教を中心とする言葉の宗教としてのプロテスタントの礼拝を満たす空間的要素は大体含まれている。

 門には子供心にも立派な印象の看板がでていた。その後この教会は郊外の幼稚園を買収し、土地建物と園舎とその経営を取得することになる。

 牧師館は一つの建物内ではあるが分離し、園舎玄関屋根はゴシック・スタイルに、ホール正面にもゴシックのデザインの装飾壁面が施され、礼拝空間の工夫がなされ、さらに講壇は弓町本郷教会で海老名弾正が使っていたものが譲り受けられ、精神性が加えられ、礼拝の場は借家時代と比べると格段に雰囲気(美的要素)を備えていた。

 私が中学に入った頃、親は、岐阜県で、開拓農村伝道を始めた。

 再び藁屋根の古い農家が牧師住居兼礼拝場所となった(坂祝教会、現中濃教会)。


 縁側に面した面の8畳間二つが日曜日には生活空間から礼拝空間になった。その後牧師館のみ建築、和室8畳間二つが礼拝場所となったが牧師家族の生活と兼用ではなく、正面をえんじ色のビロ-ドカーテンで覆い十字架を付けるなどして、長椅子がおかれ礼拝空間の演出が為されていた。十字架も画家「田中忠雄」の作品で、美的要素が加味されていた。


 その後、私は、同志社神学部時代は、京都教会、浪花教会、神戸教会で過ごした。

 京都教会は古い木造建築で、会堂は説教台と聖書朗読台が別れていて正面奥に聖餐台がある祭壇様式で、初期信徒に商人が多かったせいか、実際的な交わりの場を別館で持っており庶民感覚が漂っていた。

 浪花、神戸は講壇を中心とする近代ゴシック様式の鉄筋コンクリートの会堂で、それぞれに「昭和」初期の近代建築であった。付属集会室などもその時代なりに良く整い、“用”と“美”のバランスのとれた都市教会の会堂らしい会堂であった。

 いずれにしろ、説教が中心で、講義所的でロビーあるいは交わりに対する機能的考慮は充分とは言えないと思えた。

 後に神戸教会は24年間牧会を担当することとなり、古い建物を、現代の生活に合わせて機能的に補うこと(例えば、障害者・高齢者、冷暖房、音響、会食のための厨房設備)と、近代建築をありのままに保存することとの間のジレンマを味わうことになる。

 神学校を卒業。最初の任地は広島流川教会

 原爆後、再建の会堂であったが、歴史的には、写真や、原爆記念館の被災模型のなかの焼け跡の会堂として世界にメッセージを発した会堂と言った方がふさわしい。

 典型的なメソジスト・スタイルの近代ゴシック建築であった。

 次の任地は、呉山手教会

 戦後アメリカの教会が日本の教会の復興に寄贈した木造のアメリカ開拓期を思わせるシンプルな会堂(4間×6間?)。

 このタイプの会堂は全国に数多く残っている。地震前の神戸多聞教会、神戸雲内教会。最近見たものでは宮崎教会。小さな会堂としては以外と講壇のおかれている段が高い。

 高い所から教えを説くというスタイルは、教職と信徒など関係を表し、教会の成り立ちの歴史を反映しているものなのか。教会堂が、神と人との出合いの場、「天と地をつなぐ空間」(岩井要・佐藤雄一著『天と地をつなぐ空間・教会堂』日本基督教団出版局 1995からの言葉)であってみれば、教会堂には、それぞれ「天(神)」を象徴する部分と、「地(人)」を象徴する部分があって、その絡み合いがどのように表現されているか会堂の性格を示すものとなって来るであろう。実際にはこれをどう活かすかが、大きな課題である。教会堂を静止したものではなく、動的なものとして見ることが大事であろう。

 次に、岩国教会に赴任した。

 ここは、小さな町に長老派の日本基督教会 岩国教会とメソジスト派の岩国教会があった。どちらも1941年に日本基督教団に入り、その後、牧師高倉徹のリーダーシップで、二つが合同した。その時点で会堂・牧師館・幼稚園舎が新築された。地方の小規模教会でのぎりぎりの建築であった。機能を満たすことが精一杯で、必ずしも「美」に属する象徴性は充分とは言えない。

 その後、私は神戸教会に赴任する。

 阪神大地震後、神戸の近代建築の教会は多くが倒壊した。特に中心部の古い会堂、中山手カトリック教会、下山手カトリック教会、神戸栄光教会の倒壊は大きな損失であった。

 その中で破損程度で残った神戸教会会堂には、近代建築としての歴史的意味が新しく生じることとなった。それは地域社会に対する会堂に持っている歴史的「美」に対する要素といってよいのではないか。


3.さて、本題の会堂における「用と美」」のバランスであるが、このことは昔から工芸品、建築について言われてきた。

 使い勝手を選ぶ「用」と観賞あるいは精神文化に資する「美」とは、相反するものを持っている。

 機能だけを考える近代建築が多い中、宗教建造物は「美」の要素を持って、文化に貢献することが大事なことになる。日本では、寺社仏閣はこの面で優れた文化を持つ(鎌倉に住んでみてその思いを抱く)。


 最近『別冊太陽』(”日本のこころ 119” AUTUMN 2002、平凡社)が「日本の教会をたづねて」の特集をしている(筆者も「神戸の街の教会をたづねて」と題して、エッセイとイラストを寄稿した)。

 その中に採録されている教会堂は編者(八木谷涼子氏)の主観によるのであろうが圧倒的にカトリックの会堂が多い。特に九州地方では著しい。その中の「五島巡礼」八木美穂子氏(画家・カトリック信徒)のエッセイは、「信者にとって教会という場は、祈りを捧げる聖なる領域であり大切な空間である。」との書き出しで、「五島の古い建物はその壁に生息する人々の思いを記憶し、伝えてくれる。それらが『お帰りなさい』と語りかけてくれる」と言っている。

 五島の教会堂は「用」の面では、かなりの補いをしないと用を為していないのではないか、と思う。しかし「美」の面では、外国の巡礼地に勝るものを持っているのではないか。う

4.やっと本題に入る。神戸栄光教会に出された6設計事務所のコンペ図面を見ながら、約20項目の要素を拾いあげ、二つの視点からそれぞれに点数を入れてみた。

 二つの視点の一つは、「美、超越的、神、聖」といった視点。

 もう一つは「用、内在的、人、俗」。

 例えば、会堂の外観が地震を受けた神戸の地域との関連でどれ程考えられているのか、それとは別に建築家の自己表現としての独自性担っているのか、前者は「用」に点数が入り後者は「美」に点数が入る。

 礼拝堂の位置をどこにおくか、1Fか2Fか、2Fにした場合、多数の人の出入りや、一般の人の教会への出入りの親近感はどうか、2Fの場合「美」に点数は傾く。礼拝堂の形も様々で、あまりにも奥行きの長いものには「人」の要素が欠ける。

 事務室の位置が3Fのものがあった。会堂の「美」を重んじる結果の位置であるが日常的業務からは「用」の考慮が不足している。その場合「美」に点数をいれる。

 音響、照明、ランニングコスト、厨房、多目的ホール、玄関ロビー、トイレ(障害者、老人への考慮)、子供、もし大きな地震の場合、地域の避難所の視点から考えたらどうか。

 総合的に「神と人」「天と地」の緊張関係とバランスのある設計作品を選ぶことになり、私の意見と、建築専門家や教会員委員の意見は大まかな所で合意を得て、一社が決まった。

 この経験は会堂について考える機会となった。

⬅️「岩井健作」の宣教学インデックス

▶️ 教会スケッチ「教会と聖書」インデックス(全39本 1999-2010)

▶️ 神戸教会堂細部のスケッチ(12点)

▶️ 故山下長治郎兄の祈り – 震災による倒壊をまぬかれた神戸教会