地震の後に(Ⅱ)(1995 週報・震災後第2週)

1995年1月29日、降誕節第5主日、神戸教会週報
(阪神淡路大震災から12日目の礼拝)
同日説教「街を守る」
前週「地震の後に(Ⅰ)」
翌週「地震の後に(Ⅲ)

(牧会36年、神戸教会牧師17年目、健作さん61歳)


1月23日(月)。震災から6日。

 教会での「遺体安置所」が終わる。

 疲れ切った50代の男性が、毛布にくるまった段ボールほどの包みを前に「母親です。焼け跡から着物の切れ端と一緒に見つかりました」と肩を落として、一晩教会に居たが、いつともなく去った。

 豊田市の住民で神戸に長期仕事に来ていた人の柩をめぐって、ドライアイスの問題で遺族と市の係員が激しいやり取りをしていた。

 20日現在で、火葬斎場は31日しか入れないという。

 他都市の応援はあったであろうに、ここでも行政は後手後手であった。

 ある葬儀社は、気を利かせて横浜から運んだドライアイス10トンを、ボランティアとして各所の柩に詰めて廻っていた。


24日(火)。震災から7日。

 問安者、問安の電話ひっきりなし。

 事務所では青木伝道師・福島・岩井溢・橋本諸姉が教会員安否情報の収集および「地震情報第二報」発送に向けて全力を注ぐ。

 その間、下山手小学校と諏訪山小学校に避難している幼稚園児家庭を、上野・青木・岩井溢が問安。

 その情報に基づき、園舎の一室を避難居住所に利用していただくことを申し出たが、仮設住宅情報を得るには、避難場所を離れない方がよいとのこと。

 被災者自身の長期にわたる住宅確保の自主的活動が芽生えるように願う一方、住居の被害に合わなかった市民がこれにどう連帯するかが問われる。

 さて、私たちは何をしなければならないのか。


25日(水)。震災から8日。

 和室のN.S姉柩の出棺。

 夜。祈祷会。

 小講堂は救援物資置き場になっているので、教務室で。

 感話のご奉仕をピンチヒッターとして引き受けてくださった橋本貴子姉がマタイ6章25、26節を引用し、亡くなった人、ホームレス、外国人労働者への思いと神の守りへの願いを語る。

 藤村洋兄は、会社における社員の死亡に伴う一連の関わりの中での思い、被災者と非被災者がイーブンに生きるための関わりとは何か、6000人中4500人が出勤しているM社の活力、天災という試練を乗り越える人間の力は神の与える自然の中に再生を信じること、イエスの生き様に従うことから力を与えられることではないか、と語る。

 青木伝道師は、継続して学んでいる創世記3章9節以下を、この地震が改めて「あなたはどこにいるのか」と問うていることを、ヨブ記38章4節との関連で語り、この試練の中に神の徴(しるし)を読み取ることの大切さを語る。

 避難所で園児の愛ちゃんは友達ができたとお母さんが話す光景を「避難所で友達つくる子冬の虹」と紹介した。


26日(木)。震災から9日。

 事務所から通信物200余通発送。

 教区臨時常置委員会が、御影のセンターで。

「極大の地震が、たとえ局地的であっても、極大の被害を引き起こしている」ことの認識を持つことの感性を問われる会合であった。

 寒気強く、余震多し。

(岩井健作)


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