1995年1月22日、降誕節第4主日、神戸教会週報
(阪神淡路大震災から5日目の礼拝)
同日説教「地の基震い動く時」
神戸教会 諸集会報告
地震の後に(Ⅱ)
(牧会36年、神戸教会牧師17年目、健作さん61歳)
まず、このたびの地震で親しい方を亡くされた方々に心からの哀悼を申し上げます。
また、全壊・半壊など、住む所・家財を失われた方々に心からのお見舞を申し上げます。
多くの方々からご心配いただきましたが、私共教会にいる者たちは無事です。
教会施設の被害は軽微でした。会堂鐘塔取付部の横亀裂、それに伴う会堂後部内亀裂、窓ガラス損傷二三、会堂中央シャンデリア取付部周囲飾り天井のはずれ、そのほか外壁亀裂、敷地東部石塔崩れなどです。
教会員の地震後消息は昨日夜までに知り得たところは別紙の如くです。
かかりにくい電話を使ったり、さらには徒歩や自転車で近隣や地区内を消息を訪ねて廻ってくださった方々の情報に大いに助けられました。
幼稚園は、石井幼稚園・いずみ幼稚園共に園児・建物共々に無事で何よりでした。
また、教会を気遣う実に多くの方々から、西は沖縄、東は関東から見舞いの電話をいただきました。
さらに、車の動く夜半、遠方から、あるいは歩いて、手作りの食事を届けてくださったり、車で水を運んでくださったり、足の踏み場もないほどに書類、書籍、食器、日用品の散乱した各室を片付けてくださった方々に深く感謝をいたします。
初めの三日位は、衝撃から立ち直り、消息の情報確保が精一杯でした。
四日目には、階下講堂を市の遺体安置所にお貸ししたり、地震で亡くなられたN姉の棺を和室に安置、ご遺族が泊まられたり、教区の対策活動の一環として近隣諸教会等の問安活動、情報の整理・共有などが続けられています。
1月18日(水)
地震翌日、18日の祈祷会は金日太兄がソウルから帰神出席。
ヨブ記 38章1〜18節から学びました。
”わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか”(ヨブ 38:4、新共同訳)
”ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ”(ヨブ 38:11、新共同訳)
という神の言葉に撃たれました。
「被害が少なくてよかったということが、私の高慢になりませんように」との金兄の祈りが心に沁みました。
『近代日本と神戸教会』(神戸教会編 1992)には、関東大震災のページがあります。
地震に宗教的意味付けをした内村鑑三と、朝鮮人虐殺の具体的事実を批判反省する柏木義円とがコラムで扱われ、神戸での救援活動が記録されています。
おそらく神戸教会の歴史が始まって以来のこの地震を、私たちがどう受けとめ、どのように取り組んだかは、後世の歴史の中で顧みられることであろうと思います。
それだけに、今を大切にしたいと存じます。
(岩井健作)
▶️ 説教「地の基震い動く時」