1995年1月22日、降誕節第4主日
震災から5日目(震災直後の礼拝説教)
▶️ 週報「地震の後に」
(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん61歳)
イザヤ書 24:17-23
”地に住む者よ、恐れと、落し穴と、わなとはあなたの上にある。恐れの声をのがれる者は落とし穴に陥り、落し穴から出る者はわなに捕えられる。天の窓は開け、地の基が震い動くからである。”(イザヤ書 24:17-18、口語訳)
暗闇の、深い地底から、地鳴りを立てて押し寄せ、噴き出して来る衝撃が、手足も、五臓六腑も、思考も、一切の動きを金縛りに縛りつけるように、震度7の烈震は、私たちの街を襲いました。
いや、そんな思いを巡らす一瞬の時もなく、建物や家具の下敷きとなって圧死された方々(今も、その柩の一つは、教会の中に安置されています)、この方々を思うと、出来事の巨大さと激しさを思わざるを得ません。
教会が、神戸市の中央部幹線道路に位置するとはいえ、地震発生以来、緊急自動車のサイレンは、ついに6日間、昼夜を分かたず鳴り続けております。
神戸でも、湾岸部に比べて比較的、地盤の固い山手地区で丈夫な建物の中にいた私などのような人間には、着の身着のままで被災をし、ビルや古い家屋の倒壊さらには火災、あるいは雨天時の屋根瓦の脱落による雨漏り、差し詰め当面の不安を抱える方たち、現在避難所生活を余儀なくされている方たち、さらには、家族親族に死亡者を出された方たちの気持ちを、どのように思いやっても、思いやれるものではないことを痛感いたします。
「灯台下暗し」の諺のごとく、マスコミの情報には当事者はかえって疎く、おそらく、遠くの人の心配の大きさの割に当事者は達観していたりします。
逆に、遠くの人、周囲の人にはわからない、当事者の重い不安があります。それらが混在しているのが現在です。
被災の悲しみ、応援ボランティアのエネルギー、個人の救援行動への内面的促し、行政への苛立たしい関わりなどが絡み合い、私たちの生活の日常と非日常、通常と緊急などが輻輳(ふくそう)しているのが、今の私たちの生活ではないでしょうか。
今日の礼拝を考えても、日常的なこと、非日常的なことの重なり合いを深く覚えます。
今朝は、当たり前のことから言えば、教区の交換講壇でした。
芦屋西教会の築山牧師が「インマヌエル、アーメン」という題で説教し、午後にはいつもの年のように、教会学校教師の懇親の食事があるはずでした。
私は、芦屋西教会で、ルカによる福音書で、《99匹と1匹》のテキストで説教することになっていました。
しかし、それは全くひっくり返ってしまいました。
予定されていたことが出来ないという面から言えば、非日常であり、緊急であります。
しかし他方、「御名をあがめさせ給え」という祈りに添って、あるいは、「汝、わが顔の前に、我のほか何物をも神とすべからず」という「十戒」の第一の戒めに添うて、さらには「わたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」という福音書のイエスの言葉に従うならば、今日このように幾人かの人たちといつものように、主日礼拝を守るということは、教会にとっては極めて日常的なことであります。
が、また今は、そのように疎開をするということが、生活の連続であるとするならば、地震のある生活では、やむを得ない日常なのかもしれません。
私は昨日、神戸栄光教会の北村宗次牧師をお訪ねいたしました。
今日、神戸栄光教会は、パルモア学院の講堂で礼拝を守っています。
「130名入れるから場所はあそこで大丈夫でしょう。そんなに来られないでしょうから」とのお話でした。
神戸栄光教会の建物は、1924(大正13)年の設立ですから今年築70年です。
神戸の街のシンボルでした。
あの建物が倒壊してもうなくなる、いやなくなっていくということは、どんなに寂しいことでしょうか。
神戸のアマチュア画家にとって、レンガ造りの教会のある風景を、もう描くことは出来ないのです。
日常的な風景の消滅です。
しかし、神戸栄光教会の主日礼拝は、「私は、よみがえって、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」という言葉と共に守られています。
イエスの十字架の死を悲しむ、弟子たちより先にガリラヤの日常に立ち給うのが、よみがえりのイエスです。
十字架の死という、非日常にうろたえる弟子たちに、ガリラヤでの日常への帰還が促されます。
神戸の街の中心部に立ついくつかの教会のうちで、建物の被災度から見れば、最も大きかったのが、神戸栄光教会と下山手カトリック教会でしょう。
中山手カトリック教会、バプテスト教会もかなりの痛みです。
比較的被災度が少ないのが私たちの教会です。
でも、鐘塔付け根部分の亀裂は専門家の判断を仰がねば、今後の危険につながります。
地震により使命を終わった会堂、あるいは、もう少し使命を与えられている若い会堂というべきかもしれません。
曲がりなりにも、幸・不幸という尺度で考えられるべきではありません。
「主は与え、主はとり給う、主のみ名はほむべきかな」(ヨブ 1:21)という言葉は、ここでも、私たちに語りかけられてきます。
私たちは、昨年秋以来、講壇で私の担当の時にはヨブ記を学んできました。
そして、それはまだ21章まで行ったままで、ヨブ記の分量からすれば丁度半分です。
結論を出すにはまだ早いし、そもそもヨブ記は苦難の意味をたずねる実存的生き方に重点が置かれているので、神学的結論が重要ではない、という点はあります。
しかし、それでも義人の苦難を問うヨブに38章で神はつむじ風の中から、逆にヨブへの問いをもって相対します。
主は「わたしが大地を据えた時、お前はどこにいたのか」、口語訳では「私が地の基をすえた時、どこにいたか」と問うのです。
”わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。”(ヨブ記 38:4、口語訳)
大地が揺るぎなき時には、地の基を据えた方への思いが薄れてゆくのが日常です。
しかし、この度の地震で日常と非日常とは常に同居していることを、これほどまで知らされたことはありません。
苦難は非日常ですが、それを経験し突然の親しい者の死を経験する中にも、神はいまし給うということ、復活のいのちのイエスは立ち給うということを、今、私たちは改めて知らされます。
イザヤ書24章17節の「地に住む者」とはバビロニア帝国のことを指しています。
彼らも、栄華と繁栄と領土の拡張を誇った歴史上の民族です。
彼らには高ぶりをも含めて日常が揺るぎないもののように思われていたのでしょう。
預言者イザヤは、彼らに「地の基が震い動くこと」を語ります。
”地に住む者よ、恐れと、落し穴と、わなとはあなたの上にある。恐れの声をのがれる者は落とし穴に陥り、落し穴から出る者はわなに捕えられる。天の窓は開け、地の基が震い動くからである。”(イザヤ書 24:17-18、口語訳)
私たち、神戸に住む者は、「地の基が震い動く」とはどういうことかを、世界の諸国諸民族注視の中で、経験しました。
これからは「地の基震い動く」ことを経験した街の民にふさわしい生活を繰り広げて参りたいと存じます。
それは、地の基が震い動くにも関わらず、地の基をすえた方がいますことへの信頼に生きることではないでしょうか。
祈ります。
父なる神さま、
私たちの街も、そしてキリスト教界も、地の基が震い動く経験をいたしました。
世界が注目しています。
どうか、この街に、この街に住む住民に、そしてイエスに従う教会の群れに、その経験の意味を悟らせてください。
それぞれの境遇には隔たりがあります。
それゆえ、それぞれが謙虚に、温かみを作り出しつつ関わっていくことを教えてください。
癒しがたい被災の内にある者に特に、慰めと励ましを与えてください。
主イエスの名により、この祈りを捧げます。
アーメン
(岩井健作)
<出典>
『地の基震い動く時ー阪神大震災とキリスト教ー』(岩井健作、SCM研究会 1996)所収
『地の基震い動く時ー阪神淡路大震災と教会ー』(岩井健作、コイノニア社 2005)所収

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