街を守る《詩編 127:1-3》(1995 礼拝説教・震災から12日)

1995年1月29日、降誕節第5主日
(阪神淡路大震災から12日目の礼拝)
▶️ 週報「地震の後に(Ⅱ)」

(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん61歳)

詩篇 127:1-3

 ”主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてはならぬものを与えられるからである。見よ、子供たちは神から賜った嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。”(詩篇 127:1-3、口語訳)


 この1週間、悲しい情報が次々と入ってきます。

 1月15日の主日礼拝を、ここで一緒に守った芦屋のA.T姉妹のご主人とご子息は、倒壊家屋の下で「がんばれ」との外からの声に応えていたのに、7時間後の救出も空しく、死亡されました。ご本人が、全身打撲でご入院中とのことです。

 S.T・Mご夫妻のお孫さん、M.Aさんがやはり倒壊家屋で死去されたことは先週週報でお知らせしましたが、とにかく火葬にされたとの報が入ってきました。

 この週、教会の和室では、既報の故N.Tさんの柩を囲んで、前夜式・出棺をした後、O.N兄のご尊父、独立伝道者・奥幸郎牧師の柩を安置し、前夜式・出棺をいたしました。

 奥先生は、前から入院ご加療中の病死ですが、地震の前日、見舞われたお元気なご親戚のご夫妻は、家屋倒壊の中、「お父さん、がんばれ」との息子さんの声にも関わらず、二人共亡くなられたとのことです。

 兵庫県で5千人あまりの方が亡くなられたということは、どれほどのことなのでしょうか。

 神戸市の斎場の火葬能力は一日180体だそうです。

 周辺都市の応援があったとはいえ、市内の至る所に設けられた遺体安置所に幾日も置かれたままであるというのは本当に異状です。

 ここだけ考えても通常の人間の生活が息づく都市機能は狂ってしまいました。

 住むところを失った方は、9万世帯に及ぶと言います。

 27万人余りの避難所生活者の不安は他人事ではありません。

 私ども、教会の関係者がひとまず身を寄せている避難所の学校を、西宮、神戸といくつかお訪ね致しましたが、先の見通しのないことの不安、プライバシーのない生活で、心身共に疲れておられます。


 一昨日、中央区の私立幼稚園の園長会を私どもの幼稚園で開きました。

 都市機能が破壊されて、子供達のかなりの数は、神戸を去って、祖父母や親族などの周辺に疎開を余儀なくされています。

 たとえ、被災した園舎を修復したところで、子供はもう集まっては来ないのです。

 いずみ幼稚園でも、49名中25名は疎開、4名が避難所です。

 すでに、短縮の保育を再開してはいますが、十数名の者が、集まれるだけです。

 まだ、幼稚園保育再開を考える段階ではなく、園が避難所になったり、救援物資の集積所になっているところもあります。

 自分の幼稚園の園児の何人かが地区5つの避難所に散在して生活しているのを訪ねた園長のひとりは、子供の笑顔が消えて、無表情になっていること、失語症に近いほどに「ことば」を失っている異様さに気づき「とにかく集まれる子で、友達と一緒にいる時間を作ること、遊びを取り戻すためにも保育を始めた」と語られました。

 園長会では、子供達の生活の取り戻しのためにも、中央区で具体的に利用できる土地、北野小学校、布引の市バス駐車場の一部、熊内市場の跡地、山手小学校跡地などに、仮設住宅を建てることの要望申し入れを、市当局にしてゆこうということになりました。

 ということは、神戸の街が回復しなければ、幼稚園の回復もない、という考えに、立つということです。

 これは、どの分野でも言えることではないでしょうか。

 例えば、歯科医院を三ノ宮で開業されているF.M兄は、医院内の医療器具が破壊されてしまったこともさることながら、ビルの一室にある診療所では、ビル機能が回復したり、さらには、交通が回復しなければ、患者さんは来られないし、平常に戻るのはおそらく半年以上の先のことであろう、と言っておられました。

 つまり、被災した人々を援助したり、その被害の復旧活動に連帯することは、都市機能の回復のためにも努力するという考えに立たない限り、有効ではないということです。

 確かに、当面、私たちは、まず自分の家の最低限の生活確保のために片付けをしたり、家にビニールシートをかけたり、水を汲んできたり、物資の救援を行ったり、受けたりしています。

 教会では、安否を気遣って相互に情報を得たり、問安したり、しているのが現段階です。

 教会堂を失った教会は当面集会所を確保し、会堂の再建の計画をしなければなりませんし、そのための教会間、教区間の連帯の支えも必要です。

 被害の少なかった私どもの教会ですら、鐘塔部分の補強など、かなりの工事をしなければなりません。

 それらのことは、当事者が当事者としてしなければならないことです。

 しかし、それにも関わらず、街全体の回復と、個々の生活の営みとは切っても切れない関係にあります。

 住宅、鉄道、道路、港湾、ガス、水道、下水、ゴミ収集、通信などは、行政の責任ではありますが、おそらく市民・住民の多大な関心と協力あるいは忍耐と支援なくしてはあり得ないでありましょう。

 特に、この復旧の中で、弱者が置いてけぼりになることがないように、声を上げ、また働きかけていくのも、市民・住民の責任であります。

 私たちの教会の礼拝にお年寄りが戻って、共に礼拝できるということは、街の再生と深い関係があります。

 私たちは、街の回復と教会の宣教活動とが、直接には繋がっていないにも関わらず、実は深いところで繋がっていることへの思いを巡らせたいと存じます。


 おそらく、直接に、街の回復に作用するのは、キリスト教で言えば、YMCAや社会活動団体でありましょうし、NGO(非政府機関)に属する団体の諸活動でありましょう。

 教会は信仰の団体であり、直接の活動団体ではありません。祈りの群れです。

 私たちの力が、直接何かをするということでは、無力であることを知っている群れです。

 この度の地震で大事なことは、力ある者も、無力さを知らされたということではないでしょうか。

 無力さを知った上で、与えられているもの、手持ちのものを捧げて用いるということができれば、それが大きな力となることを改めて知ることが、大切なことだと思います。

 マルコ福音書の中には、「五つのパンと二匹の魚」という物語があります(マルコ 6:30-44)。

 大勢の群衆が食べるものがない時、イエスは、弟子たちに、手持ちのものを確かめさせ、五つのパンと魚二匹を、「天を仰いで、賛美の祈りを唱え」分かち与えた時、それは人々の飢えを満たし、力となった、という物語です。


 西宮の甲東教会は、この度の地震で、地域の被災者が避難してきました。

 初めの頃、食料がありませんでした。

 西澤牧師は、とにかく寄せられた手持ちのパンで、みなさん、今はこれだけです。分けあって食べて下さいと叫んだ、という話を聞きました。


 北海道の親しい信徒の方から、地震見舞いの電話を受けました。

 「今、何をしたらよいでしょうか。あまりの被害の大きさに私たちは無力です」との言葉でした。

 「いや、その無力さを感じてくださっていることが尊いのです」とお答えしました。

 無力さの中で、何か手持ちのできることを、あの五つのパンと二匹の魚のように、確かめられれば、それが尊いことではないでしょうか。

 「何か、それぞれに与えられているものがきっとありますよ、決して無理はなさらないで下さい。もし私が、今、これをして下さいとお願いできることを申し上げるとすれば、祈り続けて下さいということです」と言って、電話を切らせていただきました。


 教会は、直接に街の回復に、力をもつことはできません。

 しかし、祈りの徴として、「五つのパンと二匹の魚」を差し出し、それを力としてもらうことはできます。

 手持ちのものを、よく調べてみることは大事なことではないでしょうか。

「五つのパンと二匹の魚」というのは、現実の事柄の大きさ、厳しさ、激しさの前に、一度無力を感じた者の発想です。

 「これしかない」ではなく「これだけある」という発想です。


 今朝は詩篇127編を読んでいただきました。

 その冒頭には、三つの「空しさ」が記されています。

 家を建てることにまつわる空しさ、町を作ることにまつわる空しさ、仕事をすることにまつわる空しさ、が歌われています。

 しかし、この詩はただ「空しい」と言っているのではありません。

 「神なしに」という条件が付いています。

 これは、聖書全体の中心思想です。

 逆に言えば、神共にあってなされる仕事、街づくり、家を建てる営みは、一見どんなに些細な、つまらない、さらには苦労に満ちたものであろうと、神の祝福のもとにある、ということを述べています。

 都市機能を停止させてしまった地震の後、地震の直接の破壊力の前で、家や街や仕事にまつわる「空しさ」を衝撃的に知らされている、身近な友人、あるいは信仰の仲間と共に生き始めようではありませんか。

 「主が町を作るのでなければ守る者のさめているのはむなしい」とあります。

 ”主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい。”(詩編 127:1、新共同訳)


 主が、関西のいくつもの都市と共にこの街を守ることを、今こそ信じて、励もうではありませんか。


 先週、教会では、地震後の教会の情報を、会員の安否の消息を含めて、お送りしました。その後、Tさんから次のファックスが届きました。


「郵便物受け取りました。教会の様子がよくわかりました。

 木曜には風邪薬と、解熱剤、胃薬少しですが、送らせていただきました。

 金曜には○○万、口座振込で送らせていただきました。
 
 何か他にできることがあれば御連絡下さい。

 1月14日にひったくりに遭い、住所録も取られてしまったこともあり、連絡が遅れましたが、本当は私自身、傾いた神戸の家に取り残されている両親のこと、余震に怯えている子供を一人残して仕事(彼女は病院の医師)に出なければならなかったこと等でパニック状態で、これ以上の精神的ダメージを受けたくないという思いが、連絡が遅れた原因でした。

 お祈りの言葉も唱えられない私ですが、何かお役に立てればと切に願います。

 豊中も私の住む南部はダメージが強く、半分くらいの家の屋根瓦が落ち、古い文化住宅の中には傾いているものも余震が心配されます。

 どうかお疲れがたまり、倒れられたりすることのないよう気をつけて欲しいと思います。」


 これは私にとって大きな励ましでした。

 私たちのできることは、ほんの些細なことです。

 でも「主は、その愛する者に、眠っている時にも、なくてはならぬものを与えられる」ことを信じて励みたいと存じます。


 ”あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてはならぬものを与えられるからである。”(詩篇 127:2、口語訳)

 ”朝早く起き、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる人よ、それはむなしいことではないか、主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。”(詩編 127:2、新共同訳)


 祈ります。

 父なる神さま。

 悲しい出来事が、たくさん伝わってきます。

 私たちの街では災害の明暗の隔たりが、隣り合わせになっています。

 痛手の大きい者たちを特に顧み、励まして下さい。

 それぞれの痛手を内に抱えながら励ましあっていく力をお与え下さい。

 私たちの街が地震を経験したことで、以前にはなかった暖かさや優しさを持つことができるように導いて下さい。

 この街の回復の希望をまず、その中に与えて下さるようお願いします。

 今朝も、ここには集まり得ないけれど、それぞれの場所で礼拝を守る兄弟姉妹を祝福して下さい。

 病める者を励まして下さい。

 主イエスのみ名によって祈ります。

 アーメン


<出典>
『地の基震い動く時ー阪神大震災とキリスト教ー』(岩井健作、SCM研究会 1996)所収
『地の基震い動く時ー阪神淡路大震災と教会ー』(岩井健作、コイノニア社 2005)所収

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