局地の苦難 95.2.5

説教 於神戸教会 1995年2月5日
震災から19日目

ピリピ 1:27-30

 この度の地震で、鉄筋コンクリートや鉄骨構造の建物が倒壊した地点は、須磨海岸の国民宿舎須磨荘から西宮市の山陽新幹線高架に至る25キロメートルの間で、幅200から300メートルの帯状になって伸びていることが、日本建築学会近畿支部の調査で分かった、と新聞が伝えています。

 この東西に走る狭い帯の中にあった鉄筋コンクリートのビルの倒壊率は約5割です。この中にはJR新長田駅、兵庫警察署、中央区では三宮を中心に倒壊した10階建ものビルがいくつも入っています。そうして、この帯状地帯を挟んで幅約2キロの範囲で木造家屋が多数倒壊しています。その中でも、古い木造家屋の倒れ方は本当に酷いものです。家屋倒壊は兵庫県で約8万7千棟に及んでいます。それは、ほぼこの東西の帯状の地帯です。さらに、長田区、兵庫区、中央区、灘区のこの地帯では、倒壊に追い打ちをかけるように、猛烈な火災がありました。結果、死者数は5千人を越えました。それも、多くの方がこの帯状の地帯です。もちろん集中的にひどかった地帯以外の被災も、それぞれに多方面に渡っていることは言うまでもありません。それでも、この帯状の地帯を北へのぼって、六甲の山麓に近づくにつれて、被害は部分化し、少なくなっています。

 ある団体が地震後の救援の活動に必要であろう、と言って、原付バイクを貸して下さいました。用心して乗りなさいよ、との声を背中に負って、私は必要に迫られて須磨から西宮の間を、問安、見舞い、会議と何回か走るうちに、この帯状の地帯の被災の凄さを目の当たりにしました。そうして先の新聞記事の信ぴょう性をこの目で確かにしました。まさに、千年に一度という極大の被害です。ところが、山麓地帯は被害が緩やかですし、少し離れて、六甲山の北側へ出れば、全く、日常的な営みは変わらない別世界です。もう地震後20日も経っているのに、家屋を失った人たちには、具体的住宅のメドもなく、様々な問題が襲いかかっていて、将来への見通しのない不安があります。「住宅の必要な人には全部、仮設を含めて7万戸を用意する」という県知事の言葉は、ひとまずの安心を与えます。しかし、具体的施策が進むまでには幾多の難関があります。私たちの教会の兄弟姉妹の中にも、今もって小学校の避難所生活の方がおありです。その不安はいかばかりでしょうか。

 被災の痛手とその深さは鋭角的に、ある部分、ある人々を鋭く襲い、死別という償うことの出来ない苦難となったり、財産や生業を奪われることになってしまいました。そうして、同じ都市のすぐ近くに住みながら、そうでなかった者との被災の明暗の差の激しいところに、この地震の特徴があります。経済活動のことを考えれば、この明暗は複雑に広がります。中国系の方から電話をいただきました。大きな中華料理店を三宮で経営しているが、ビルの損壊を含め、商売が元どおりになるまでにはかなりの時が必要でしょうと声を落とされていました。逆に大阪釜ヶ崎の日雇労働者野宿者の夜間訪問に出かけた、浅居神学生の話によると、建設業は活気を呈し、6千人とも言われた仕事のない人が2500人くらいになったとのことです。六甲山のホテルの空室は大手建設業が抑えているという噂も聴きました。

 地震が及ぼしている社会生活、経済生活、個人の日常生活への影響は計り知れないものがあります。このことは、本当に一人一人が異なった負い方をしています。そして、その陰影の濃淡が様々に異なるのが今度の地震です。そうして、それを被うように、様々な苦しみや悲しみ、問題や課題があります。仕事を持っている人は、地震のために被いかぶさった仕事を連日連夜果たさねばならず、神経が高ぶったり、苛立ったり、人間関係に歪みが出たりしていることすらあるでしょうし、子供たちは子供たちで、精神的負担を負っているでしょうし、高齢者、「障害者」は、普通の人以上に厳しい状況に置かれているかもしれません。

 精神的にも物的にも、それぞれが負っている苦難が、それぞれに個別で、激しく異なるのが、地震のもたらした結果です。それは、代わったり、一緒に担ったりできる部分もありますが、それぞれ、自分で負うほかはないという部分もあります。遠く離れている方は、TVをはじめとするマスコミの報道を見ておられます。特に悲しい場面、酷い状況にスポットを当てて報道をしますから、神戸市中央区、と聞いただけで、いてもたってもいられない気持ちを持たれるでしょう。「何か必要なものを」とおっしゃられます。西宮のS牧師のところに、知人の書籍出版会社の会長のMさんが「何かできることは?」と電話を下さったので、即座に「被災者の入る仮設住宅を建てる資金が欲しい。一億円送ってください」とお願いしたら、Mさんはさすがに絶句されたそうです。どんなに共に担おうとしても、負いきれない部分があります。逆に言えば、苦難そのものが不条理であっても、ヨブの苦難のように自らが負わねばならない苦難があります。なぜ、あの被災のひどかった帯状地帯にいたのかを問うても、答えられないところがあります。苦難というものは、そのような形で存在するものなのでしょう。そのことを、心に留めざるを得ないのが、この度の地震です。苦難を自分の十字架と置き換えるならば、「自分の十字架を負うて我に従え」(マルコ8章)とのイエスの招きを思い起こします。

 さて、今朝はピリピ人への手紙を朗読していただきました。この手紙は獄中書簡と言われています。1章13節に「私が獄に囚われているのはキリストのためである」とあります。14節にも「私についての…苦闘」と言っています。「苦闘」と訳されている言葉、「アゴーニア」は、オリンピアの競技におけるような、競技の戦い、を意味しています。そこからさらに、非常な不安、苦悶、憂悶というように、悶える苦しみを表しています。新約聖書では、動詞形では、このピリピ1章30節に、そして名詞形ではルカ22章44節に用いられています。このルカの場所は、イエスの受難を記した物語でも、ゲッセマネの祈りの場面です。「イエスは苦しみ悶えて、ますます切に祈られた。そしてその汗が血の滴りのように地に落ちた」とあります。そうしてこの場面では、弟子たちは、寝てしまっていました。イエスは弟子たちに「なぜ眠っているのか、誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」(46節)と言っています。あのイエスの苦しみ悶え、すなわち苦闘についてゆけない弟子たちの姿があります。しかし、このルカの物語をよく読むと、イエスの弟子たちは、初めから眠っているのではありません。45節には「彼らが悲しみのあまり寝入っているのをご覧になって」とあります。弟子たちは弟子たちなりに、イエスの受難を予知して、悲しんでいるのです。その悲しみの質がどのようなものかはわかりません。指導者であるイエスとの死別を予感して、悲しんでいたのかもしれません。それは、イエスの「悶え苦しむ」と表現されている内面的悲しみ、つまり「私の思いではなく御心が成るようにしてください」ということと、「父よ、御心ならば、どうぞ、この杯を私から取り除けてください」という二つの祈りの間の葛藤とは程遠いものであったかもしれません。でも弟子たちは弟子たちなりに悲しんだのです。これが、ルカ福音書の記事です。マルコは、弟子たちが「悲しみの果て」寝たとは言わず、逆に、イエスは起こしても寝てしまう弟子たちに「もうそれでよかろう」と弟子たちを愛で包んでいく言葉を投げかけ、この物語を結んでいます。何れにせよ、イエスの苦闘は、イエス独りのものでありました。「苦しみ」というものはそのようなものなのでありましょう。それを担い切った方がおられるということを、パウロはピリピ人への手紙で「己を低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(2:8)と表現しています。

 私たちの「苦しみ」が、たとえ途中で寝てしまうようなものであるにしろ、イエスの十字架の苦しみを思い見るきっかけとなる苦しみであるならば、その苦しみは、誰にもわからない苦しみであってよいのだ、ただ神のみが知り給う苦しみであることの証拠なのだ、ということにならないでしょうか。パウロは、1章12節のところで、「さて兄弟たちよ。私の身に起こったことが(すなわち獄に囚われたということが)、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい」と言っています。「むしろ」という表現に注目してください。これは、ある事実を受け入れながら、否定媒介的に肯定して行くことです。パウロも、獄に捕らえられていることを、困ったこと、苦しいこと、とありのままに否定的に捉えています。しかし、そのことを通して、導かれていく、前向きなこと「前進」を、見つめています。神のみがご存知の苦しみだ、いや神はご存知なのだ、という時に、苦しみは苦しみでありながら、どこかで緩められた苦しみに変えられてゆくことを経験しているのです。

私は先日、芦屋病院に浅海敏子姉妹をお訪ね致しました。芦屋市楠町は、最も激震の帯状地帯の中です。本葺きの屋根瓦を持つ古い日本家屋の住宅に寝ておられました。激震と同時に家屋の下敷きになられました。手も顔も体も動かすことができないまま、ただ、わずかな隙間から入る空気だけが頼りで、7時間頑張られたとのことです。しばらくは頑張っておられたご夫君は、とうとうお亡くなりになり、同じ家屋内のご子息はほとんど倒壊と同時に圧死をされたとのことでした。ご自分は主の祈りを唱え、讃美歌を口ずさんで、ただ救出の時を待ったとおっしゃっておられました。そして、生かされたことを感謝しています。何かみなさんのお役に立つ生き方をこれからしたい、という意味のことを私に語ってくださいました。

 パウロは、入獄を苦しみとしながら「むしろ福音の前進に役立つようになったこと」と苦しみの底が割れていく経験を語っています。局地の苦難は、局地だけが知って、また負わねばならない苦難であって、それを他の者が代わることは出来ないものです。しかし、その苦難が、神に向かう心を開き、また人の心を開いていく通路になることを告げ知らして下さった方と結びつけられてゆくならば、それが「福音の前進」という事柄ではないでしょうか。

 パウロが「福音」という時、それは、イエスの十字架の死と結びつけられた時に与えられる喜ばしいおとずれ、いのち、を意味しています。ピリピの教会の人たちにしかわからない苦難があったと思います。パウロはそれを知っていました。そうして、1章29節では「彼のために苦しむことをも賜っている」と積極的に捉えました。

 先週、教会にはたくさんの方々がお見舞いや支援に駆けつけて下さいました。その中には、日頃、私たちが支援をしている団体やグループの方々があります。例えば、止揚学園の方達、などがそうです。その中で、特に、私たちがずっしり受けとめたいのは、バングラデシュの寺小屋学校の教師たちからの見舞金です。ここは、私たちが、いつもアジアキリスト教教育基金(ACEF エイセフ)を通じて、ほんのわずか、献金をお送りしているところです。そこの責任者、船戸良隆先生と井上儀子主事が足を運んで下さいました。お見舞いいただいた三万円は、経済格差のあるその国の人たちにとってどんなにか生活をかけた尊い金額であるかを思います。この方々は、バングラデシュで寺小屋を守り、その国の次世代を育てる日常の苦難、局地の苦難を負われている方々でしょう。それを負わされている負い方が、この見舞金を通して伝わってきます。希望を持って苦難を負っている様を垣間見させ、届けて下さったことは、私たちにとって大きな励ましです。

 局地の苦難、あるいは個別の苦難を、イエスを思い見ることで、緩められつつ生きることが、福音にふさわしく生きるということです。

 パウロの言葉「ただ、あなたがたは、キリストの福音にふさわしく生活しなさい」は、この地震災害の只中で、もう一度私たちに呼びかけられている言葉です。「福音にふさわしく」という招きが、苦難を展望へとつなげていくことを信じ、励みたいと思います。

 祈ります。
 父なる神、私たち、それぞれは、険しい山中にあって、ある者は尾根に、ある者は斜面に、ある者は沢の谷底にいるように、それぞれ抜き差しならない自分の場におります。安易に歩み寄れる平坦な広場にいる訳ではありません。しかし、それぞれの場での苦闘の負い方が、主にあって、私たちを結びつけています。どうか「一つの霊によって堅く立つ」ことが出来ますように。「一つ心になって福音の前進のために力を合わせて戦う」ことができますように、導いて下さい。この祈りを主イエス・キリストのみ名によって捧げます。アーメン。