1978年1月29日 岩国教会礼拝説教
1978年2月5日 岩国教会週報「先週説教より」
使徒行伝 5:33-42
(岩国教会牧師13年目、退任3ヶ月前、健作さん44歳)
”使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら…出てきた”(使徒行伝 5:41、口語訳)
使徒行伝 5章33-42節の中には3つのタイプの人間が登場しています。第一、民族激情型の人たち。33節ではこの人たちは使徒たちを殺そうとしています。単一思考をしている民族の中でイエスを通しての神理解なるものは許せなかったのです。愛憎の世界だけで生きるならこの人たちもよい人たちであったに違いありません。しかし自己の真理を相対化できない誤りは人を殺すところまでつながっている(セクトの内ゲバ、中世の魔女狩り等)こと、我々も例外ではないことを憶えておいて頂きたいと思います。第二、律法学者ガマリエルの如き知性型。信教の自由型。知的には真理の相対性を認めます。39節を参照下さい。しかし、使徒行伝のガマリエル像は実際とは違うようです。他人の真理の自由をこんなに物分かりよく認めるほど人間は政治的・社会的に自由でないし、また観念的に認めたところで力にはならないでしょう。
第三、御名のために苦難を負う型。イエスの十字架の意味を否定するユダヤ人になお関わりをもって証しする故に苦難を負うタイプ(例えば、在日朝鮮人の苦難を少数者を含めた在り方を知らない単一思考的日本人にとって必要なものと理解して受け取っていく在日朝鮮人のタイプ)。
今、日本では第三のタイプの生き方が必要ではないでしょうか。そこに証しがあります。
(1978年1月29日 岩国教会礼拝説教 岩井健作)

