証し人(1978 説教要旨)

1978年1月15日 岩国教会礼拝説教
1978年1月22日 岩国教会週報「先週説教より」
使徒行伝 5:22-32

(岩国教会牧師13年目、退任3ヶ月前、健作さん44歳)

”聖霊もまた、その証人である”(使徒行伝 5:32、使徒行伝 5:22-32)

 この箇所では支配者と官憲が三たび使徒たちを連行してきている。彼らは使徒たちの活動を「あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」(28節)といってイエス殺害の報復をする政治的行動だとみているが、使徒たちは「神理解」の真理問題だとして完全にすれ違ってしまっている。つまり「わたしたちの先祖の神」(30節)といって、支配者をも含むユダヤ人全体の共通の神を土台としながら、その神は「あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ…このイエスを導き手、救主として、ご自身の右に上げられたのである」(31節)という全く新しい理解において捉え、そのことの証人であるといっている。使徒たちもユダヤ教の神理解に以前は立っていたのであるから、ここでは神理解において自分が変わったこと、変えられたことを証ししようとしている。このようにイエスに関わることで神理解が状況の中で変えられていく様は、決して変節ではない。むしろそこに、イエスを証しする証人の姿がある。

 ひとりの人間がイエスを証ししようとして、それ故に変わってゆく姿が証しそのものである。「聖霊」により変えられつつ証しが果たされていくところが「聖霊も、その証人」(32節)といわれている。

 中谷裁判も山口地裁では終わりに近づいたが、この中で注目すべきことは、中谷康子さんの中に始めから論理が作られて戦われたというより、この中で中谷康子さんの信仰と生活が変えられていったことが証しではないだろうか、と思う。

 私たちも、自分が神の前にくだかれつつ歩む生活の取り組み方が証しそのものであることを忘れないようにしたい。

(1978年1月15日 岩国教会礼拝説教 岩井健作)

BOX-1. 岩国教会所蔵史料

error: Content is protected !!