1977年1月2日 岩国教会礼拝説教
1977年1月9日 岩国教会週報「先週説教より」
ガラテヤ 3:23-29
(岩国教会牧師12年目、健作さん43歳)
”あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである”(ガラテヤ 3:26、口語訳)
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られたのである」(第2コリント 5:17)とパウロは言っています。聖書が示す新しさは、時の流れに節目を付けて出直す心機一転の新しさ(そういう活力も生活の知恵としては大切ですが)ではなく、神が福音の出来事を通してもたらされた新しさであります。パウロにとっては、現実にある民族差別を打ち破って「もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく」(28節)と堂々と言い切れる力を持った新しさでありました。ユダヤ律法の熱心な遵守者パウロがこのように造り変えられた様がガラテヤ書には出ています(2:16、5:2参照)が、これは驚くべき人間変革です。しかし、人間が内面的に変革されるということは、外面的な人間関係も変革されるということではありません。パウロが先の民族差別の言葉に続けて「奴隷も自由人もなく、男も女もない」(伝承の引用だと言われていますが)と言う時、当時の実際の社会的差別を素通りしてしまっているという批判が向けられます。つまり、民族差別で血みどろの内面的また実際的戦いをしても、それが他の差別にパスポートのように通用する訳ではないのです。私たちも、個々の問題に対しては、それを通して、また新たに自分が福音の根本に触れて、罪のゆるしを受けていることを知らされるための課題として受け取らねばならないことを知らされます。新しい課題を福音の新しさにつなげることが許されるゆえに今年も「神の子」であり続けたいと思います。
(1977年1月2日 岩国教会礼拝説教 岩井健作)

