1975年11月9日 岩国教会週報
「先週説教より」マタイ11:28-30
(岩国教会牧師11年度、健作さん42歳)
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい(マタイ11:29)
引用したマタイの箇所は、新約聖書の福音書に出てくる「イエスの言葉伝承」に属する句です。どのような状況下でイエスが語ったかは、はっきりしません。多分ユダヤ教の律法を学ぶことを重荷と感じて苦労している人々を半ば批判しながら、それでいて聴く者を自由へと招き寄せる響きを持った言葉であったかと想像させます。
律法の言葉(文言)は、学べば学ぶほど自分たち(もちろん師を含めて)の言葉と行いの不一致な姿を悲しく重い現実として感じさせるものがあったでしょう。それに対して、イエスは「わたしは柔和な者」といいます(単なる温和や優しさというよりも、神の意志に従うへりくだった様を意味する)。イエスの十字架の死に至るまでの生き様の中で、言行不一致は超えられ、破られています。
そのイエスが示している「くびき(軛)」(生活の規準、”二頭の馬や牛をつなぐ横木”)とは、私たちを謙遜へと導きこそすれ、単に重荷を負わせようと私たちを追い詰めるものではありません。イエスがユダヤ律法に自由であったように、そのようなイエスに学べ、との招きを聴き取りたいと思います。学ぶ心があって初めて教えることが成り立つのは、私たちが日頃身近なところで経験していることです。
イエスに従う者が「弟子」と言われたことには深い意味があります。弟子の語源は「学ぶ」という言葉です。学ぶ心を持って、信仰生活・教会生活を送りたいと思います。
(1975年11月2日 岩国教会 岩井健作)


