ともしび(1980 神戸教會々報 ⑦)

神戸教會々報 No.95 所収、1980.12.21

(健作さん47歳)

「なんとつらい、苦しい毎日だ。ひとふきの風、ひとしずくの雨でも、ともしびはきえてしまう。きえないようにと、そればかりをねがいながら、ラニエロは旅をつづけた。こんなかよわいものを、ひっしでまもろうとするなんて、うまれてはじめてのことだ。」

『ともしび』(きどのりこ文、すずきやすまさ絵、教団出版局 1980)という絵本の一節です。ラニエロはとほうもない力もち、けんかっぱやい男で、いくさ手がらをたてた兵士でしたが、ひょんな約束で小さなローソクのともしびを消さないようにエルサレムから遠いフィレンツェまで運ぶ旅をします。そして旅をつづけるうちに、いくさでの手がらや、めいよなど、どうでもよくなり、あらあらしいいくさをにくみ、やさしくなごやかなものをよろこぶ人に変わっていったということです。

 この本を読んだ岡山県の木安茜さんという方がある雑誌にこの本に「励まされて」と題してこう書いておられます。「わが家には、重度障害の娘がいます。……10歳の今も小さく、身辺自立すら未だの状態です。『ともしび』を読みながら……『灯』は、私たちにとっては、この娘のことだとわかりました。ラニエロがその灯を消すまいと、馬に後ろ向きにまたがったように、私たちも世間とは逆方向を向き、この灯を消すまいと必死で胸にかばいつつ歩んでいます。……」

 灯を消さないためには、労苦がつきまといます。ラニエロも人々から、あざけりのことば「パッツオ」をあびせかけられます。しかし、最後にはそれがラニエロの名誉のしるしとしてのことばに変えられてしまいました。木安さんが「世間とは逆方向を向き」といっておられますが、それがやがてかけがえのない尊いことになるものなのでありましょう。

 聖書はクリスマスのメッセージを「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。……世は彼を知らずにいた」(ヨハネ1:9)といっています。光を知らない世の中にあって、光の方を向き、またその灯を守り通すことが逆方向であっても、光(灯)を与えられていることが大いなる喜びです。

 1980年のクリスマス、闇に輝く灯として金大中氏のことを思わざるを得ません。韓国キリスト教界の長老・咸錫憲(ハン・ソクホン)氏は、この灯を守るために韓国では「祈りの集会さえできないのだ」(朝日80.12.9)といっています。灯を守ることがどんなに大変なことかを世界中が経験しています。

 ラニエロは旅の終わりで、1わの小鳥によって火を消されてしまい、なみだをにじませます。しかし、最後に光は人の手によるのではなく「神御自身自らが」守り給うことが暗示されています。この絵本の中には、私たちが日頃心の体験としてかかえ込んだり負ったりしていることを「灯」として捉えていく促しがありますし、また長い人生の道のりというものや一つの仕事、運動の過程というものが人を成熟へと変えていく慰めが示されていますし、何よりも、聖書が告げようとしている、イエスの存在そのものへの暗示があります。幼ない子供たちに読みきかせをしながら、大人も何か、しみじみと考えさせられるお話です。

(サイト記)表記はオリジナルのままにしてあります。「神戸教會々報 No.95」1980年クリスマス号の表紙は小磯良平画伯(当時77歳)のカットと健作さん(神戸教会牧師として3回目のクリスマス、当時47歳)のテキスト。小磯画伯のカットを本サイトで紹介して良いものかどうか、答えが出ませんので、誰が見ても会報の表紙で使われたカットであるとわかる、画像を置かせていただきます。関係者にご迷惑がかかる場合、すぐに削除させていただきます。


(絵本『ともしび』の「おわりに」より)
 ラニエロは、かしこい、あわれぶかい人として一生をおくりました。このラニエロがともしびをもってかえってきた日は、フィレンツェのお祭りとなり、その日、人びとは、つくりものの小鳥に火をつけて、聖堂のなかをとばすといいます。そしてラニエロのまもりぬいた、小さい、かよわい、けれどもかぎりなくとうといともしびのことを思い出すのです。また、あざけりの言葉としてなげつけられた「パッツオ」は、名誉のしるしとして、ながくラニエロ一族の称号となりました。
 この話は人びとによって語りつたえられ、スウェーデンのすぐれた女流作家ラーゲルレーヴの「ともしび」という小説にもなりました。この絵本はそれをもとにしたものです。

「神戸教會々報 No.96」未入手のため「神戸教會々報05」はスキップ。

教会の歴史と私達の信仰(1981 神戸教會々報06)

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