子どもの死の意味を考える (1)

「子どもの文化」2002年1月号所収(子どもの文化研究所)
2005年版『地の基震い動く時 – 阪神淡路大震災と教会』所収(コイノニア社 2005)


同じ悲しみを抱いて

 地震から7年が経ちました。地底から突き上げてきたあの一撃で、子どもさんを亡くされた親にとって、家族にとって、「なぜあの子が」という問いは、日常の時の切れ目から、心の痛みとなって浸み出てくるであろうと思います。と同時に、死んだ者たちが生きている者たちに語りかけ、そして励ますという、不思議な体験がこの何年間の、生きる力の支えであったであろうと信じます。

 「”母さん”、オレだってA子とB子に、毎日弁当を、君に負けないくらい作ってるぜ」。

 あの日、天に帰っていった妻と長男を天上の家族として、地上で、今までよりも二倍も三倍も、密度の濃い生活をしているKさんの言葉です。
 いつだったか、Kさんに電話をしました。この一年、連れ合いを亡くされた父親たちのために開かれた「お父さんのための料理教室」に通って、同じ仲間と話ができて楽しく過ごした、とのご返事でした。ところが、そのKさんがついに、二人の娘を地上に残して、癌で倒れ、天に召されました。50歳半ばです。震災後の激務、心労を思うと涙がこぼれます。

 彼は、一人で印刷業をやっていて、住宅も仕事場も失った中から、小学生二人の娘を守り、やっと借家で印刷の仕事を始めました。震災後まとめた私の小さな本を出してくださった方です。震災の打撃が私のところにも、今、どっと押し寄せてきました。

 家族の死を経験しなかった者たちは、子どもの死を胸に宿し続けている人たちと、どうやって心を通わしたらよいのか、そんな荷物をずっと持ち続けてきました。悲しみは、同じ悲しみを心に宿す人同士でなければ分からないからです。だからきっと、亡き愛する人を偲ぶ者たち同士のつながりが芽生えていると信じます。私たちはそっとそれを包むほかはありません。

 被災地が、地震前よりもはるかに斬新で明るいデザインで、機能的な設備や建物の街に変化する中で、そこに潜む虚構性を見据え、悲しみを悲しみとし、死を忘れず、そこから逆光に照らされつつ心を豊かにしていきたいとの思いで、この文章を綴っています。

 Kさんの娘さん二人は、神戸を離れて叔父さんのところに行きました。天上の三人の遺影が、二人を毎日見つめているでしょう。お父さんの遺影を除けば、あとの二人のは少し古びたようで、それでいて、まなざしは過去になったり、今になったり、不思議な思いがしているでしょう。遺影は、今日はどんな表情でしょうか。ただの写真だから変わることはないはずなのに、でも、ある朝は笑っていたり、ある夕べは悲しげな表情だったり、そんな思いをしているでしょう。


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