1975年2月23日 岩国教会週報
(岩国教会牧師10年、健作さん41歳)
高校の学園闘争に参加した高校生を牧会の見地から友人の牧師にあずけて世話したことが犯人隠匿罪に問われたことに関し、信教の自由に基づく正当な活動として裁判を起こし争っていた種谷俊一牧師に20日、神戸簡易裁判所で無罪判決が下された。青木主任弁護人が、名判決として高く評価していることを考えれば、支援活動をしてきた者の喜びはひとしおである。また、種谷牧師をはじめ弁護団、事務局の人たちの4年余の戦いに頭がさがる。今後、国家権力と牧会権とがぶつかり合う前線での行動には大きな覇気が与えられる。この判決の中で私の感じたことを二つ記して今後の自分の歩みへの志としたい。
一つは、種谷牧師の日頃の地味な牧会活動の真実さが勝訴の底に光っているということである。日頃の真実な牧会が、法の領域に痕跡をとどめ得たのであって、その逆ではない。そして、この4年にわたる戦いを前進させる内容をもった牧会活動がこれからの教会と牧師の課題であると思う。第二は、種谷牧師を逮捕に踏み切った国家権力にとっては、高校生問題は一つのきっかけで、むしろベトナム戦争反対の国際的高まりの中で、脱走米兵の支援に関係があるらしいという牧師や教会への介入という意味合いを強く持っていた事件であったという面である。平和運動の戦う部分に先制の圧力をかけることで全体を抑えていくやり方が見られる。今後もこういうことは起こり得る。この度の歩みを省みて、種谷牧師を支えて「一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩む」という戦い方は教会の歴史に残るものであると信じる。
(岩井健作)
”もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。”(第一コリント 12:26)


