1974年11月17日 岩国教会週報
「先週の説教より」マルコ10:44、コリント第一7:17-24
(岩国教会牧師9年目、健作さん41歳)
神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。(コリント第一7:17)
第一人者たらんとする者は、万人の奴隷となれ。(マルコ10:44、私訳)
コリント第一7章17〜24節は「結婚問題について」の質問にパウロが答えた文章の間に挟まれた「奴隷と自由人について」の勧めです。この箇所の要点は、神の召し(福音の根本)に生きる者は、それぞれ自らに与えられた状態が、たとえ運命の如きものであっても、そこに踏み留まり、そこから逃げることなく、「信仰生活を全うせよ」という点にあります。
「知恵の言葉」に立つパウロの論敵には、鋭い指摘です。その意味では私たちにも同じくでありましょう。ただし、パウロが「奴隷」という言葉をキリストとの関係を表し、「召された自由人はキリストの奴隷なのである」(7:22)と信仰の姿勢を表す言葉として受け取る時には「奴隷」は単に関係を表すだけの言葉になります。しかし、それでは当時のコリントの街で自由を奪われて生きていた「奴隷」たちの日々の重い苦しみが抜け落ちてしまいます(街の人口60万人のうち、3分の2の40万人が奴隷であったと考えられています)。その点、イエスの言葉には、社会的弱者である奴隷の立場に立つことによって、自分の置かれている状態を見直していくという視点が、はっきりと示されています。
私たちには、社会の底辺に追いやられた者の真実の苦しみは、見えないかもしれません。しかし、自分の召された場において、神の召しとして踏み留まりながら、なおイエスの「万人の奴隷たれ」という語りかけを聞きつつ、歩んでいきたいと思います。
(1974年11月10日 岩国教会 岩井健作)


