みんなで生きる(1972)

1972年5月28日 岩国教会週報
「先週(ペンテコステ)説教より」使徒2:1-14

(岩国教会牧師7年目、健作さん38歳)

 使徒行伝の五旬節・聖霊降臨(ペンテコステ)物語から二つのことを学びたい。

 第一、理を尽くして語るということ。使徒行伝の著者のこの箇所の主張は、異言(コリント第一14章にあるような恍惚状態)が宣教の手段とはならないということであり、理を尽くし、旧約を解釈し説明し、相手に分かる言葉(自分だけの感情のおもむきとしてだけ語るのではなく)が宣教を担うということである。「他国の言葉」(4節)を「彼ら自身の言葉とは異なる言葉」と意訳した訳(荒井献訳)もある。ひとりの人との交わりを「あの人は言っても分らない人だ」と感情のレベルで処理してしまいがちな私たちの生き方を突破させる力と勇気が「御霊が語らせるままに」(4節)という信仰である。言葉において出会うこと、人間であることの大切さをここで思う。

 第二、言葉を通い合わせる広さのこと。5節以下の原資料は、バベルの塔(創世記11:1-9)の言葉の混乱(バビル)の物語に対応して語られている。あらゆる民族の人が、ペンテコステの日に新しい言語を受けて神を賛美する。聖書による言葉の普遍性を著者は主張する。私たちはあまりにも内輪の言葉を語りはしないか。日本の歴史は一貫してアジアの民衆に対して加害者の立場だった。その独善に気が付かなくては、内輪の言葉は超えられない。朝鮮の問題、ベトナムの問題にまで広がりを持つ言葉を語ることが、聖霊によって生かされることである。

 『みんなで生きるために』。これはネパールで山また山を越えて重病人を黙って運んでくれた行きずりの青年が岩村昇医師に残した言葉だという。心に染みる深さと、現代文明を鋭く批判する普遍性を持つ。

(1972年5月21日 ペンテコステ 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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