1972年4月9日 岩国教会週報
「先週(イースター)説教より」使徒3:11-16
(岩国教会牧師7年目、健作さん38歳)
神はこのイエスを死人の中からよみがえらせた。(使徒行伝3:15)
この短い句は、初代教会が伝えている「イエスの復活」についての告知であり、使徒行伝には他に4回(3、4、10、13章)も出てくる。「このイエス」というのは、"僕"(しもべ、使3:13)として人に仕えたのに、イスラエルの人たちが殺してしまったイエス(14節)のことを意味している。人を殺してかまわないという状況は閉塞状況である。閉ざされた空間で、一つのものの考え方が人々を内と外から支配するとき、そこでは恐ろしいことが起きる。ユダヤ教の律法が支配する社会は他民族をはじめリベラリストまで殺した。そして、私たちも知らない間に、こうした閉塞状況にのめり込まないという保証はない。いや、知らないうちにそのような閉ざされた状況を作り、見捨てられた者の叫びが届かないところに居る、そのことに気づいてさえいないのではないか。それに対して引用の句は「神の行為と啓示は、人間たちがイエスに対してしつらえた死からイエスを全く甦らせたことに存している」ことを示す。「イエスの甦りは、見捨てられた者の叫びに対する回答であり…イエスの十字架は輝かしい未来への途上にある克服された過去」であるとモルトマン(組織神学者)は言っている。またブルームハルト(牧師)は「もし私が一人の人間を放棄せざるを得ないならば…イエスは私のためによみがえられなかったのだ」とまで言っている。我々には、野の花のなかに神の装い(マタイ6:30)を見るごとく、葬り去られようとする一人の人に、その人を通して閉ざされた空間が開かれていく"Something more"としての未来を見ることが許されている。
(1972年4月2日 イースター礼拝 岩井健作)


