1998.11.15、同日の神戸教会 週報掲載、降誕前 ⑥
(牧会40年、神戸教会牧師 20年目、健作さん65歳)
(サイト記:本テキストは全体の7割が引用文で「説教の補助」になります。実際の説教題は「言葉を食べる」でエレミヤ書をテキストにしています)
エレミヤ書 15:16
”あなたの御言葉が見いだされたとき
わたしはそれをむさぼり食べました。
あなたの御言葉は、わたしのものとなり
わたしの心は喜び踊りました。
万軍の神、主よ。
わたしはあなたの御名をもって
呼ばれている者です。”
ことばを食べる、この表現に出会うとどうしても思い出してしまう松居直さん(福音館書店会長)の文章があります。
”1987年に俵万智さんの『サラダ記念日』(河出書房)という歌集がベストセラーになりました。……歌はまぶしいばかりの若さと生命感にあふれています。ことばが噴き出してくるようです。とりわけ私が強い印象を受けたのは、作者の観察力の鋭さと、何よりもことばに対する感性の豊かさでした。
……俵さんは二歳から三歳のころ『三びきのやぎのがらがらどん』(福音館書店)という絵本をそれこそ一日に幾度もお母さんに読んでもらっていました。幼児は好きな物語や絵本を繰り返し読ませます。それは一ヶ月、半年と続くこともあります。……幼い俵さんはお母さんが読んでくれる絵本を通して、物語を通して、ことばが楽しみと喜びを与えてくれるものであることを体験しました。
ことばを聞く喜びを知ったのです。ことばには見えないものを見えるようにし、生き生きとした喜びをもたらしてくれる力があることを、本能的に感じ取りました。
……ことばは知的なものであるよりも、本来生理的なものです。音声を伴って語られることばは特にそうです。乳幼児にとっては、ことばは頭で記憶したり理解するものではなく、全身全霊で感得するものです。……こうして耳から身体の奥深く入ったことばの喜びは、やがて身体から口をついて溢れ出ます。
俵さんは三歳のとき文字をまだ読めなかったのに『三びきのやぎのがらがらどん』の文章を一言半句違わないように語ったと書いています。それは「本を読んだつもりごっこ」だったそうです。
……俵さんは特別な子どもでもなく、これこそすべての幼児に、二歳から四歳のころに備えられている不思議な力です。
……私は、子どもはことばを覚えるのではなく、食べるのだと悟りました。”
私は、よく皆さんから「説教が難しい」と言われて悩んできましたし、今も悩んでいます。
もちろん、不信仰の故と思っています。
その方は「信仰のないわたしをお助けください」(マルコ 9:24、新共同訳)の言葉に依り頼んで、泥沼の道を、祈りによって越えています。
しかし、もう一方で、私は自分の「語彙の貧しさだ」とつくづく思っています。
これも致し方ありません。
でも、子どもたちと一緒にいると、すごく励まされます。
彼らの言葉は、概念や理念ではなく、表情を含めて、心のうちから噴き出してくるからです。
子どもは神の国に近い、と思わざるをえません。