しるしのない時代(1971)

1971年5月23日 岩国教会週報
「先週説教より」マルコ8:11-21

(岩国教会牧師6年目、健作さん37歳)

しるしは今の時代には決して与えられない。(マルコ8:12)

 アンデルセンの童話『皇帝の新しい着物』によると、ペテン師がありもしない織物を織っているのを最初に調べに行ったのは、歳とった忠実な大臣だったという。「おかしいな」と彼は思ったが「役柄に忠実な利口者にだけ見える織物」という観念の方へ入り込んでしまう。結果は「裸の王様」の出現となる。そして、この観念による逆立ちを見破ったのが子供だとは、皮肉なことである。

 イエスがパリサイ派からの試み(誘惑とも訳しうる)を拒絶したのは、観念による逆立ちの拒否であった。「天からのしるし(マルコ8:11)」という既成の宗教理念の枠内にイエスの事実を当てはめ、自分の安心感を確保しさえすればよいという自己中心的(エゴイスティック)な姿勢に、イエスは心深く嘆息する(11節)。「盲人は見え、足なえは歩き……貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ11:5)という事実のみが重たさをもつというのに。マルコ8章14節から21節は、「パリサイ人のパン種…を警戒せよ」(8:15)という言葉に託して、弟子たちの無理解がマルコの著者によって表明される(なお「天からのしるし」についてのマタイとマルコとの発想の違いは興味深い)。

 さて、私たちも現実から目を離して、観念による逆立ちへ逃げ込むことで、独りよがりな「救い」を求めてはいないだろうか。「しるし」が大事なのではない。イエスが生き、そして死なれたこと、その事実が、我々をとらえて離さないことこそ、大事なのだ。そして、それは「しるしは…決して与えられない」(8:12)という言葉の響きと共に迫ってくる。

(1971年5月16日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

error: Content is protected !!