群衆とパン(1971)

1971年5月16日 岩国教会週報
「先週説教より」マルコ8:1-10

(岩国教会牧師6年目、健作さん37歳)

『パンはいくつあるか』(マルコ8:5)

 マルコ8章1〜10節の物語を、イエスと弟子たちとの会話に中心をおいて読んでみたい。イエスは集まってきている群衆の空腹の問題に心を痛めている(他人の空腹のことは案外平気でいるのが我々の姿ではないだろうか)。群衆の問題に身を置いたイエスに対して、弟子たちは「こんな荒野でどこからパンを手に入れて、これらの人々に十分食べさせることができましょうか」と言っている(田川建三氏のいう「弟子たちの無理解」)。注目したいのは、弟子たちが相手(群衆)の空腹の事実よりも、それに関わる自分の主観的気持ちに重きを置いてものを言っていることである。イエスは、弟子たちの主観的な苛立ち・気分には関心を示していない。ただ『パンはいくつあるか』とだけ問う。この問いの切り込みに、弟子たちの主観性・気分は吹き飛んでしまう。相手の必要に用いることが出来るもの、それを今自分がどれだけ持っているか、という事実の重さこそ大切なのだ。「七つあります」という答えこそ重要なのだ。七つのパンで勝負する生き方が祝福を受け、多くの人を養うというのが、後半の物語(聖餐式の説明)のポイントでもある。「七つある」というのは肯定である。自分を他との関わりで、肯定文で語るところまで生を煮詰めるのが、信仰における生である。お互いが持っている「七つのパン」の重要さを自覚しよう。

(1971年5月9日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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