2008年4月「求め、すすめる通信」第9号所収
沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会
岩国教会 山口県岩国市(2006 教会と聖書 ㉖)
「教会と聖書」50号(2006年4月1日発行)所収
(明治学院教会牧師、健作さん72歳)

この1月、神奈川教区基地自衛隊問題小委員会の10名が岩国基地見学スタディで西中国教区を訪れた。錦帯橋近くの岩国教会で学習会と西中国との交流会を持った。
この教会で13年間の牧会をさせて戴いた僕には、建物の細部の一つ一つに思い出がある。娘が幼稚園に入園した折り、植えた門の桜の木は40年を越えた年輪を刻んでいるが、建物の風景は昔と変わらない。
あの頃も「米軍基地撤去」を叫んで行動した。ベトナム戦争の時はこの会堂で反戦米兵が密かに集会をした。「公安」が張っていた。基地依存の経済に甘んじているかに見えた岩国市民がこのたびの厚木基地の米空母艦載機の移転受け入れの賛否を問う3月12日の住民投票案には妨害を配して58パーセントの人々が参加し、9割が反対をいれた。「住民投票を成功させる会」の共同代表を現牧師・大川清さんが務めた。
この教会が「地域に仕える教会」を標榜したのは私の前任・今は亡き、高倉徹牧師からだった。
政府は住民の声を聞け、国防は大義ではない。

民意を聞くことが憲法の大義である。


鎌倉教会(2006 教会と聖書 ㉗)
反戦平和と教団の「合同のとらえなおし」(2004 沖縄・西中国・講演)
2004年7月19日、宮島ホテル(広島)、日本基督教団 西中国教区信徒大会講演
主題「ヒロシマから沖縄を考える」
長府教会 山口県下関市(2001 教会と聖書 ⑧)
「教会と聖書」15号(2001年3月6日発行)所収
(神戸教会牧師、健作さん67歳)

下関の長府教会を初めてたずねたのは神学生の時だった。
当時牧師は杉原助氏(下の写真は岩国教会時代の一枚。中央右が杉原氏、中央左は健作さん)。

続いて川上潔・千葉宣義・尾崎牧夫・小林平和・板垣弘毅の諸氏が牧会にたずさわっている。
小林平和さんは、御父君亡きあとの東長崎ウェスレー教会に移り、同時に教団嘱託幹事を務めた。彼の癌の末期、かつて描いた長府教会のスケッチを持って、池袋まで行ったが、もはや面会は不可能だった。彼と共に眠っていた一枚である。
「合同特設委員会」の席での彼の眼差し、訥々とした語り口が忘れられない。
その思想は今も活きている。

エルサレム ヴィア・ドロロ一サ(2001 教会と聖書 ⑨)
「老い」の断章(1993 清鈴園)
1993年10月24日 神戸教会週報 所収
“「老い」の断章(1993 清鈴園)” の続きを読む自衛官「合祀」拒否訴訟 二審勝訴 – さらなる支援を -(1982 中谷訴訟・広島高裁・兵庫教区)
1982.6.30 発行「日本基督教団 兵庫教区 社会部ニュース No.14」所収
(中谷康子さんを支える兵庫の会 事務局長 岩井健作)
「信教の自由」への道、遥か −自衛官合祀拒否訴訟控訴審にむけて−(1979 中谷訴訟・山口地裁・兵庫教区)
1979.5.10 発行「日本基督教団 兵庫教区 社会部ニュース No.8」所収
“「信教の自由」への道、遥か −自衛官合祀拒否訴訟控訴審にむけて−(1979 中谷訴訟・山口地裁・兵庫教区)” の続きを読む「君が代」に喰われまい(1977 投稿)
1977年8月21日発行「岩国市民タイムス」p.4 掲載
“「君が代」に喰われまい(1977 投稿)” の続きを読む教会と清鈴園(1973 戦争責任告白)
1973年12月1日「働く人」No.189号 掲載
(日本基督教団社会委員会・伝道委員会 発行)