反戦平和と教団の「合同のとらえなおし」(2004 沖縄・西中国・講演)

2004.7.19、於 宮島ホテル(広島)、日本基督教団 西中国教区信徒大会講演

主題「ヒロシマから沖縄を考える」

(日本基督教団教師、前川和教会代務者牧師(2002.7-2004.3))

0.はじめに

 私にとっての8月6日の衝撃。岩国から沖縄に行った時の基地の現実の衝撃。

1.教団における『合同とらえなおし』の現在

1-1.第33回 日本基督教団総会での「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同とらえなおし」(以下「合同とらえなおし」)に関する関連議案(特に沖縄教区提出で継続審議中であった「名称変更」議案)を審議未了廃案の扱いにしたことは、議事を司った山北宣久議長にもかなりの構成議員にも「政治的意図」(第32回は継続でも、第33回では否決の決着をつけなければならない)があったと十分に想像できる。会議制が本来の機能を失った、はじめから結論を持った総会議員多数派の尊大極まりない「教団体質」の表れであると、私は思う。

「合同とらえなおし」を新たに論じるのであるならば、まずその「非」をどのように克服しなければならないかを、この課題の原初に立ち返って顧みなければならない。それは「政治的」「神学的」に多数主流派の行動様式とその思考を批判するだけで克服されるものではない。

 まず、この課題を「沖縄」という歴史と現状の全体を背景に抱きながら「問題提起」をしてきた「人達」の問いと叫びとして受け止めねばならないと自戒する。また、十全に自分の教会的場で熟成をもって展開出来てこなかった、私(過去、教団のこの問題の委員をしていた)及び私たちの反省と責任を深く自覚するものである。

1-2.当面の課題として、自分の現場で行動を起こすことの一つとして「かながわ・明日の教団を考える会」(代表・北村慈郎)で相談し、さしずめ神奈川教区第111回総会(2004年2月21日)に議案第9号『沖縄教区との関係の回復を図る件』を建議、137名のうち83名の賛成を得て可決された(岩井も草案作成に参加)。

 この議案の趣旨は同教区112回総会(2004年6月26日)で議案10号「第34回教団総会に「『合同のとらえなおし』を引き続き日本基督教団の課題とする」ことを求める議案を提案する件」(提案者・北村慈郎)[末尾に資料添付]として提案され、121名のうち82名の賛成をもって可決された(岩井も草案作成に参加)。

 その討論のうち形式的に議案の門前払いをしようとする論議、問題を自分の問題(沖縄と本土の関係における『本土』の問題)にしないで、「沖縄問題」として対象化する、いわゆる「分別」発言はあった。これは「合同のとらえなおし」の最初から拭いがたく存在している。

 ここに見られるように、問題把握の非当事者性(自分の生き方、責任の問題にしない事)を、どのように乗り越えるかは、この問題の根本にある。「日本人の精神風土」という生き方、思考の在り方をも含んでいるのであろうか。

2-1.第33回教団総会以後の沖縄教区常置委員会声明の「教団と距離をおく」という判断とその後の成り行き

 沖縄教区の上記声明発表(2002年12月15日)後、教団三役は沖縄教区を訪問(2004年4月5日)した。私の推測では、山里勝一沖縄教区議長は「教団があの第33回教団総会の処置の『謝罪』を携えての訪問」を期待をもって受け入れたのではないかと考える。

 記録「教団三役との面談」を見る。沖縄側は「距離をおく」という政治的スタンスを破って、非対等性を覚悟の上で、なお言葉による対話で、問題の自覚を教団三役に訴えた。

 その努力・誠意には「被差別者」側のやむを得ざる状況性(つっぱねていても解決にならない)が滲んでいる。だが「事態は事柄を本来にもどそうとする」沖縄教区の思惑とは逆の方向にはたらいた。訪問そのものが、極めて「政治的」であり、第33回総会の暴挙(「時間切れ」の後の「廃案」は議長の判断を先決させたが本来は議場に問うべきもの)に対する、一言の「謝罪」もないままに、また、かの事態に対する責任の自覚もないままに、自分たち(本土側)のあの事態への見解も施策もないまま、現在の教団執行部に都合よく事を運ぶための「情報把握」の訪問となった。これは悪質な政治行動だと私には思える。

2-2.記録の随所にでてくる山北氏の発言から伺われる意識(沖縄教区とすれ違う点)

「沖縄教区は、教団なんですよね。」「審議未了が……『琉球処分』……に重なるとか…それは理解できない」「『沖縄問題を』はね。……どういう風に共有していくかと……」。「(山里)我々が言ってきたようにアリバイを造るため……虚しい気がする」「(山北)『私はよかった』」。「(平良夏芽)『どっちみちまた、政治的に利用するんだろう』。(山北)『そんなことありません。まあ見ていて下さい……どれだけ根にあるものに近付けるか』」。

2-3.その後「沖縄教区総会」は、第34回教団総会には、沖縄教区は総会議員を選出しないとの議案を可決した。これに対して、山北教団総会議長はこの沖縄教区の行為を教団信仰職制委員会に諮問した。その答申が本日の「西中国教区信徒大会参考資料」として、同教区「合同特設委員会」作成の添付資料(4)に挙げられている(これは、信徒大会参加者への何かの促しなのか)。

 私見では(抑圧されている側の)事柄の止むを得ない訴えを、圧倒的力のある権力側が「法」を盾に取り締まるという手法は(悪しき・形式)民主主義の権力行使による「民衆」の訴えの押さえ込みの常套である。現在の世界は「法」(契約である国連の合意を含む)を超えて、軍事力が「正義」となるという米国権力者とそれを支える同盟国および富裕支配層(それに繋がり、繋げられる無自覚大衆)の論理となっている。その考え方の系譜からみれば「教団執行部」もその流れに身を置いていることには気付いてはいないであろう。

3.『西中国教区の記録(1976-2003)』(日本基督教団西中国教区「合同のとらえなおし」特別委員会、2004年5月5日発行)を読んで。

 この冊子は教区総会で配付済み。今度の大会の主催者の資料(2)に「前文のみ」入っている。A4版96ページのこの記録を、今度この教区にお招きを戴いたおかげで、私は、全部エンピツの線をいれながら読みました。若干の感想。

3-1.経過から言うと、これはに西中国教区第52回総会可決の第10号議案「全力で取り組む件」(正式名称は資料参照)により設置された「特設委員会」の「全力」の賜物。

① (25年間の)議長総括、常置委員会、各分区、各委員会(宣教・伝道・社会・教育・宣研[4教区+沖縄]・靖国・核)、平和と人権センター、西中国キリスト者遺族の会、そして各個教会の「合同のとらえなおし」への取り組みが、丹念に収録されている。

② 沖縄からの講師(総会問安使に選ぶ等)を連続して、教区、分区、各教会がよく招き、学び、また「相互問安」など沖縄に人を派遣をしている。

③ 受け身で「沖縄」を学ぶだけでなく、教区の取り組みの問題「ヒロシマ(核廃絶)」「呉・岩国の基地(安保体制)」と関連させて取り組んでいる。

④ 交流の旅を頻繁に行っている。

3-2.これからの課題(資料の纏めも含めて)と思われる点

 教団についての歴史認識の問題(なぜ、第二次大戦下戦争協力をしたのか)。そこでの 「信仰理解」(「教団信仰告白文」に完結されている)。

「戦責告白」(歴史性からみた良否)など、さらには「聖書の読み」と「合同のとらえなおし」との関係、などなどの議論は、あったであろうが、今後 整理・発展されると良い。

 なければ、新たに起こされる必要があろう。

4.「戦責告白」

(「第二次世界大戦における日本基督教団の責任についての告白」の略。資料に添付)は「合同のとらえなおし」を考える基礎的基盤であろう(私には1966年の教団教師夏期講習会参加の夜行列車の思い出がある)。

4-1.積極的評価の面

4-1-1.神の救いの働きを社会や歴史の中にあって生きる人間の全体の出来事として捉えていること(「祖国の歩みに対して正しい判断をする」という高踏的な表現であっても)は評価出来る。信仰を歴史から切り離された「個人の救いとして」しか考えてこなかったことに対する反省が含まれている。このことは、戦時中も教会は信仰の告白において過ちはなかったと言って「戦責告白」を全く受け入れない、今の教団のかなり教会の「信仰告白」の在り方に対しに継承されている(この位置付けをしたのは「5人委員会」)。ここは「教会か社会か」と言う問題の立て方に禍根を残した。

4-1-2.国家の戦争政策に協力したことを、神(信仰の弱さ、自己保身の過ち)と人(隣人への加害者となったこと)に対する罪責として告白していること。罪責の告白は歴史への関わりの基本的部分。ここは評価出来る。

4-1-3.これが、発表された1960年代後半の、日本の歴史の右傾化(祝日法、靖国神社国家護持法案)への自覚と、教会が国家の在り方に危惧を持っていることの表明がある。

4-2、反省的評価の面

4-2-1.国家や社会に対する関わりの視点が神学的(「『見張り』の使命をないがしろにした」、「『世の光』『地の塩』である教会」)に過ぎる点。

4-2-2.戦争を政府からの要請・協力の反省から捉えるが、戦争被害者の苦しみ・痛み・悲しみの現実として捉え、そのことの重荷の共苦として捉えることからの思考がなされていない。

4-2-3.アジアの諸国、教会の兄弟姉妹。わが国の同胞が意識されているが、身近な沖縄は意識されていない(これは、戦責告白が問題になったと同時に課題となった)。

4-3.戦争責任の問題と私たちのあり様

4-3-1.宗教者、宗教教団の戦争責任の問い方

「病気」への対処に例をとるなら「対治」ではなくて「同治」。

 その宗教・教団の成立にまでさかのぼって、その全体と付き合いながら自己批判的、宗教批判的になされるべきこと。この点は、1970年代、「万博キリスト教館出展批判」をした人々の視点でもあった。

5.運動としての「合同とらえなおし」の諸側面

「合同のとらえなおし」は、制度的決議(名称・教憲・沿革・創立記念日)の側面を持ちながら、かつて教団総会で決議されたように(第23回-31号議案)「沖縄に集約されている諸問題を担いながら、その根源にある国家と教会との関わりを宣教の中で明確にする」という課題を持っている。

 これは従来なされてきた神学のテーマとして「国家」の神学的位置付けをするという枠を遥かに超えて、現実の国家(アメリカであり、日本である)との実践的対峙を含めている。沖縄の辺野古で「米軍普天間飛行場移設予定地調査阻止」の座り込みがなされているが、市民の活動に合流して沖縄の教会が加わっている。そこにおける行政(国家)との向かい合いは、個人のことで「教会」には関係がないという分け方ではなく、「教会」の説く「愛の共同性」と国家が権力でおしすすめる「力の共同性」が、しのぎを削っていることを実践的に含んでいるのである。以下その実践的課題に触れてみる。

5-1.「罪責」/「歴史認識」の問題。運動の主体の問題

 日本国家の在り方は、歴史の認識を重要視しない(ドイツと異なる)。例えば、日本国憲法は、米国主導の制定であったにしても、歴史の成果である、民主・人権・政教分離・平和を過去の歴史から学び取っている。特に前文と9条の平和条項は、太平洋戦争の惨禍を繰り返さない事の決意の表明でもあった。それはまた、日本の近代が「富国強兵」を機軸にして進んできた事の反省であった。戦争責任の自覚が暗に秘められている。この中で「沖縄」と「本土」との関係史(その他、アジアに対する植民地支配)における「国家(本土側)」の罪責認識は重要であるが、このような歴史認識はない。だからこそ、日本キリスト教団では、その轍を踏まず教団史/沖縄の教会との関係史においての歴史認識が大事である。

 第4回教団総会の沖縄支教区の「切り捨て・放置」、その後の「沖縄(教団、後教区)」との関係(1969年「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同」とその「捉えなおし」作業)における非対等性・非当事者性は何故起きたか。

 近代国家日本の成立の理念としての「富国強兵・和魂(天皇制)洋才(無思想性)」に対峙する「福音受容(個人の救いの完結性)」「戦後キリスト教宣教」への批判的歴史認識の希薄さはなにゆえか。

「戦争責任告白」の役割の位置付けと「教団信仰告白」の再検討の学習のなさ。宣教の課題としての個別状況からの問い掛け(性差別、障害者差別、部落差別、核、など)と「沖縄」との関連への学び、これらを運動として深める必要があるであろう。

5-2.「基地」/「状況への闘い」の問題。運動の主題の問題

 日米安保条約体制が日本国憲法体制を現実的(有事諸法の制定により)に凌駕する事態の中での、沖縄における「基地闘争」「反戦地主闘争」の視点の再認識。(教区内米軍・自衛隊基地地帯)等の闘いを沖縄との繋がりとする視点。現状況下(パレスチナ、アフガニスタン、イラクでのアメリカの軍事強硬策・経済グローバリズム支配)での反戦・反基地・反核の運動を視野にもった日常の教会の宣教活動。

5-3.「交流」/「喜び、希望」の問題。運動の展開・組織化の問題

「合同とらえなおし」は「教会・隣人」という理念としての共同性がまず指向(教会論、社会倫理)され、それに向けて復帰・回復という面がないではないが、このテーマにより、足下からクローバルな「交わり」への展望が深まり進展する事に射程がある。

 教団(常議委員会、宣教委員会、社会委員会など)の「沖縄」ヘの関わりの現状認識はかなり閉塞的な見通し。しかし教区(西中国、他教区)の「沖縄」への関わりの点検、各個教会の関わりの実情、有志グループの関わりの情報交換、個人の関わりの情報などはその閉塞性に息を吹き込む要素をもつ。

 今具体的に、そう無理をしないで何ができるのか。方向としては、教団教区の公的組織によるものと、各個教会・信徒レベルの流動的動きとの連携が計られるのが大切ではないか。

6.戦争と日本の国家の現在

6-1.列強植民地再分割下での日本の近代国家形成の歴史

「富国強兵・和魂洋才」は今でも変わらない。独占資本主義、軍国主義、天皇絶対主義、技術の無思想化(「安寧秩序を乱さない限りの信教の自由 − 思想・良心の自由の制約」は明治憲法であったが、現在は、操作された『民主主義』を乱さない限りの思想・良心・信教の自由に自主規制されつつある)。

 日本近代の戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、十五年戦争(アジア侵略)、無謀な太平洋戦争 ー 結果としての、広島・長崎の原爆被災、本土防衛のための沖縄地上戦。本土焦土化。

 天皇制絶体政権の終焉は連合国の武力による(国家の覇権の変化)。

 近代日本の形成における民衆の力の非力(市民革命をへない近代化)と潜在力(自由民権運動、その関わりとしてのキリスト教平和主義の積極的働き)。

6-2.理想としての戦争をしない国

 日本国憲法前文と9条(第二次大戦の負の遺産の継承 ー アジア2000万・自国民310万人の死者、人類の「人権・平和・民主の遺産 ー 憲法草案作成の米民間人)による国内施策。

6-3.現実として戦争が出来る国の方向への外圧と為政者努力、その軋み。

 冷戦(米ソ二極対立)構造下での単独講和、米国の傘と日米安全保障条約。安保条約下での経済大国と経済侵略。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争への実質的協力。アフガン戦争、イラク戦争での軍事にまで踏み込んだ協力。

6-4.「国民」の意志、および近隣諸国民衆の力が憲法精神の実質を支えてきた(戦後民主主義の底力)。

「解釈改憲」による既成事実作り(警察予備隊から自衛隊)とその限界。

6-5.戦争が出来る国へ

 冷戦後の米国一極グローバリゼーションの多国籍企業に伴う、日本企業の多国籍化。その結果としての地域紛争やテロへの対抗の企業の要請。

「国民」の意志の操作・誘導と押さえ込み(マスメディア操作、教育管理、批判勢力の労働組合の再編・解体・弾圧、小選挙区制の実施)

 日米安保条約秩序の優先(新ガイドラインから周辺事態法 ー国民協力の明記へ)解釈改憲の拡張としての「武力攻撃事態法」指定公共機関の責務明記。有事の国民統合指揮権を政府が掌握(「国民保護法」ー 罰則規定「有事三法」)。

6-6.戦争をする国へ

 集団的自衛権の行使(国土防衛型から軍事介入型へ「首相『改憲で行使容認』を発言 6月27日 NHK討論番組」)
「民間防衛団の編成示唆(福田)」「日本核武装論」「戦略ミサイル防衛構想」「非核三原則の破棄へ」も登場。

7.キリスト者は何を反戦平和の根拠とするか

7-1.聖書には「正義の戦争」「神の名による戦争」(ブッシュもそれを使う)という思想が記されており、そのために自分が選ばれた者であると考え、「戦争」を遂行するものの立場に引き寄せて戦争を繰り返してきた人類の歴史と重なる部分がある(キリスト教原理主義の立場は批判されねばならない)。

7-2.しかし、イエスは、そのような「選びの民」の考え方を否定し、それに抗って「失われた」もっとも小さいものの命を尋ね求めることで命の回復を実現された。

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ 2:17)
「見失った一匹を見つけだすまで、捜し回らないだろうか」(ルカ 15:4)
「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)

 など、武力によって相手を屈伏させる考えとは全く違う考え方を実践された。その言葉は、私たち人間の主体的在り方を呼び覚ます、鋭い響きと、また慰めを持っている。

「平和を実現する人は、幸いである」(マタイ 5:9)

 と創り主なる神との関係がもたらす平安・平和に基づく生き方を促したかと思うと、

「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく剣を投げ込むためにきたのである」(マタイ10:34)

 と、権力との一元化がもたらしている偽りの平和・平穏な状態の欺瞞を指摘した。

7-3.「殺すな」

 相手を殺して自分が生き残る生き方を批判した言葉として律法の「殺すな」がある。

 それを「殺さざるを得ない現実」という外圧への倫理とすれば、イエスは「なんじの敵を愛せよ」と内面の倫理性・宗教性を深く呼び覚ます語りかけをした。イエスの教えが、国家・政治の共同性に対抗する力の共同性を超える、愛に基づく促しの共同性であることに注目すべきであろう。

8.イエスに従う

8-1.日本国憲法は、天皇制条項については、アメリカ(マッカーサー)の占領政策を色濃く反映している。しかし、平和・人権・民主・政教分離では、西欧の市民革命以後の歴史的遺産と思想を反映している(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』岩波書店 2001年)。その中でも特に「前文」の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」および第9条の「戦争の放棄」は、根本的には軍事力による国際紛争解決の考えではなく、信義に基づく関係の持ち方を表明している。

 そこには歴史における、幾多の戦争・抑圧・飢餓・人災で抹殺された人間(民衆)のおびただしい不条理の死がある。ヒロシマと沖縄はその民衆の死を象徴的に訴え続けている。その負(死)の遺産の上に、憲法の文脈の反戦平和がある。そうしてイエスの十字架の死は、また不条理の死の極限であった(大貫隆『イエスという経験』岩波書店 2003年。「イエスの死」理解を参照)。

8-2.イエスの種蒔きの譬え(マルコ4章)の文脈に「合同のとらえなおし」を置けば、われわれの反戦平和の営みの経験は、イエスの出来事(福音、十字架の贖い)の内なる出来事に繋げられている出来事であってこそ力を得ている。失敗・無駄・行き詰まり・「十字架」の破局、と重なりあって「種の実り」が告げられている。

8-3.”NO WAR, ONLY THE PEOPLE CAN STOP THE WAR”はイラク戦争に「否」の意思表示をする世界の民衆のデモのスローガンであった。「PEOPLEとは誰か」その存在に対する終末的信を、実践的に持ち続けたい。

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