紅葉坂教会 2

 横浜の紅葉坂教会を前回とは違った角度から描いてみた。背景にすぐ前のマンションやランドマークタワーが入って都心の地が一層濃い風景になる。ここは神奈川教区の社会的集会の会場には頻繁に用いられる。

 牧師・北村慈郎さんが委員等の寿地区の集会はもとより、性差別、基地自衛隊、核問題、国家秘密法、多民族共生などなど、どれも現代の教会の宣教課題である。寿の炊き出しはJRで二駅先の公園で毎週金曜日に行われているが、それが「開かれた聖餐」の原点でもある。この教会は「聖餐」についての学習を長年重ね、北村牧師と共に「未受洗者陪餐」に踏み切った。教団は「不法な」手続きで北村牧師を、そのことのゆえに「免職」にした。こんなことがあってよいのか、と「教憲教規主義を標榜する教団現執行部体制」に強い憤りを持つ掲示板には1月30日の説教題が掲げてあった。”「岐路」北村慈郎牧師”と。北村さんを免職にした教団は、もはや近代日本に何の意味も持たない閉鎖宗教集団に陥る「岐路」に立っている。「北村牧師免職撤回」運動と同時に紅葉坂の姿勢を範としたい。


(サイト追記)日本キリスト教団 紅葉坂教会(外部リンク)

横浜市西区宮崎町 1 日本キリスト教団 紅葉坂教会

神奈川教会

神奈川教会は横浜駅から東横線で一駅・反町を降りて駅の南東徒歩で3分のところ、丘の上にある。横浜はキリスト教開教以来、改革長老派の教会が多い。そんな中、メソジストの伝統の教会で、創立は1875年(明治8年)、昨年134年を記念した。R.A.マクレー宣教師夫妻の開拓が起源である。夫妻はかの有名な青山学院をも創設した。教会員・二宮ワカ姉が1893年(明治26年)神奈川幼稚園を始めたが、太平洋戦時下、横浜大空襲で途絶えたものを教会が1948年教会付属神奈川幼稚園として開設。国の学法化政策の嵐の中にも宗教法人立(102条園)として見識ある運営をしてきている。1967年、現会堂・幼稚園舎を建築、以後エレベーター、冷暖房などを設置し、幼児教育を通じ地域に根付いたモダンな教会である。歴代牧師は31人を数える。戦後の発展には牧師・滝沢陽一の働きが大きい。1996年以来、阪口吉弘牧師が赴任。同氏は魚住せつ牧師の「門下生」、同志社神学部出身、兵庫教区では甲南教会に働いた。そんな誼があってか、創立記念礼拝に招かれ、この教会に出会った次第である。

千葉教会

『千葉教会宣教125年記念誌』を読んで、私はこの教会の特徴を四つに捉えた。①成熟した長老主義教会 ②開拓伝道に積極的でよく捧げる教会 ③「戦責告白」を踏まえ、社会実践に取り組む教会 ④県文化財指定の1895年献堂の古い会堂を積極的に保守し地域に貢献している教会。古いことはわからないが、その性格は、主任高倉謙次・担任倉田鶴子両牧師(1975−1997)、主任三好信彦・担任三好明両牧師(1998-現在)と二代四人の牧師の働きとそれに呼応する信徒に負うところが多いと察した。JR千葉駅からモノレールで「県庁前駅」で降りる都心部に所在する。林立する高層ビルの間に、古典的木造会堂が鎮座する。絵本『ちいさいおうち』(バートン)を連想させる。教育館兼牧師館を隣接地に建て、駐車場用地を確保し、さらに会堂前の2階建ビル(本スケッチ)を借用し、第一礼拝(含む子ども)をするなど、活発な宣教活動を展開している。第二礼拝の説教と午後の社会部主催の集会に招かれた。要望があり「人間を破壊する『米軍再編』と向き合う」のテーマで講演したが、違和感がないのが不思議であった。

紅葉坂教会 1

紅葉坂教会の会堂の外観はシンプルでかえって絵にし難い。無機質な外壁を今年は蔦が覆って緑の教会になっていた。1973年の献堂である。『百年史』に当時の写真が載っていないかと思ってページを繰ったがなかった。代わりに北村慈郎氏の文章に出会った。「私が母教会である紅葉坂に伝道師として着任したのは、1974年でした」で始まり、教会に訪ねてきた一人の日雇い労働者の自殺の悲しい話が記されていた。彼は今、寿地区委員会の委員長をして、横浜の底辺に心を寄せている。貧しくされた者の視点からの「聖餐論」の萌芽を覚える。会衆派教会は宣教師D.C.グリーンにより神戸教会が日本に最初に設立された。横浜在住の会衆派の信徒7名が相会して横浜講義所(現教会)を開設したのが1893年。「教会は信徒の教会である」とは会衆派の理念。「どなたでも」と「開かれた」聖餐式も信徒の研究・協議の結果の教会総会の結論に拠っている。各個教会の尊厳を無視する現教団総会議長の振る舞いは許されない。私は二度ほど講壇に立たせて戴いた。自由の雰囲気を覚えた。紅葉坂と北村慈郎牧師の壮図を祈る。

大船教会

大船は、東海道線、横須賀線、根岸線、湘南新宿ライン、湘南モノレールが交差する交通の要路。中通り商店街には庶民の活気がある。安い。駅から歩いて10分位のところにある大船教会も足の便が手伝って沿線各地から信徒が集まる。メソジスト系の鎌倉教会の高田彰牧師の開拓に依るが、今年創立75年を迎える。岡崎晃牧師の時、地域環境から宗法の幼稚園の廃園に踏み切った。今、園舎は地域にも開かれた諸活動に使われている。野宿者支援の夜回りをする市民グループもここで会合を持つ。手狭で借地のままの老朽化した礼拝場所に代わって、1996年初めて取得ができた園庭だった土地に今年、新会堂を建設した。ヴォーリズ設計事務所に拠る「船の先端を思わせる幾何学的デザイン」の会堂である。これを「神の元にある人間の普遍性と安定性を知覚させ、人は神によって人生の完成や成熟へと導かれることを表現した祈り」「命の深みを追い続ける旅」の象徴だと現牧師・渡辺誉一氏は語る。古い礼拝堂の最後の礼拝の昨夏、礼拝説教と婦人会講演の招きを受けたことが印象に残っている。

明治学院教会

学校法人・明治学院は「理事のキリスト教条項の弾力的運用」を決議すると同時に、明治学院「教会」の設置を決めた。想像を超える紆余曲折を経て、今、私が「牧師」を受諾している単立明治学院教会は創立4年目を迎えている。教会の活動は、20年余り前、東京都心「白金」校舎から分離移転した横浜戸塚の広大な大学キャンパス内のチャペルを無償使用して行なっている。会員23名。学院関係者は少数であるが、宣教分野の人の繋がりには「明治学院」の背景が大きい。宣教師ヘボン、賀川豊彦、島崎藤村など、教師・学生の歴史は厚い。東京神学大学はここの神学部が前身である。同志社出身のリベラリスト、社会派の牧師を訝しく思う声もなくはない。この冬、初めてのこの教会会員の葬儀があった。「君は愛されるために生まれてきた」(イ・ミンソブ作詞・作曲)の歌のように、家族、教会員にこよなく愛された徳永ゆうちゃんは、6ヶ月で幼児受洗、1年3ヶ月でダウン症合併症の心臓手術後、帰天した。この幼子は無言のうちに両親、兄の家族を受洗・信仰告白に導いた。私は「学院」と「教会」の強烈な違いをゆうちゃんから知らされた。「学院」は幼子がいなくても成り立つ。しかし、イエスが招いた「永遠の幼子」がいて、初めて「教会」は「教会になる」ということを。

田浦教会

横須賀は人口42万。プロテスタントの教会が32、うち教団は9。田浦は戦後設立された横須賀キリスト教社会館と密接な関係で1948年に創立された。ここ20年近く、佐藤千郎牧師が牧会している。彼は長いこと神戸栄光教会での副牧師だったので、昔馴染みだ。この教会では会堂建築という重責を果たし終えてホッとしておられた。重厚で瀟洒な建物、使い勝手が良いのは、会員の協議の賜物だという。この7月23日、礼拝説教の招きを受けた。週報を手にすると、先週礼拝出席者87名。この週は地域集会が5ヶ所で行われている。会員の奉仕分担表を拝見したが、行き届いた気配りと牧会のきめ細やかさが感じられる。「組織の教会」には長年の積み上げが窺えた。会員の構成は、多様だとのこと。説教における例話など社会的射程を持つものには配慮した。時あたかも米軍再編、原子力空母配備の反対運動がこの地では盛んだが、海上自衛隊の幹部の方も会員だとか。しかし、戦争責任告白の基本線は牧師の姿勢としてよく了解されているという。この教会の大黒柱、福祉の大御所、長年の社会館館長、今は県の福祉大学学長の阿部志郎氏夫妻に久しぶりにお会いし、旧交を暖めた。田浦教会に祝福あれ。

サンパウロ福音教会 ブラジル

 私たちにとって、ブラジルは意識の上でも距離の上でも遠い。そのブラジルに「一緒に行きませんか」と旅に誘われた。今年7月。「解放の神学」のルーツを訪ねるという友人の渡辺英俊牧師に。

 計画そのものはサンパウロ福音教会の、小井沼国光・真樹子両牧師。この教会を牧会して9年になるという。メンバーは主として戦後移民した日系一世の高齢者。もう80歳代前後の人たちだ。7月25日、この教会の日曜礼拝の説教をさせていただいた。もちろん日本語、ブラジルの中にある「日本の教会」だ。

 サンパウロは1822年ブラジル独立宣言の都市。南米最大で人口は1000万人を超える。原住民インディオやアフリカから連れてこられた「奴隷」の子孫、ポルトガル、スペイン、イタリア、ドイツ、日本からの移民等、多民族多文化の国だ。南米最大の重工業地だが、今は失業率20パーセントで、ファベイラ(スラム)の大きいことも有名。

 第二次大戦後、宗像基牧師が1957年にこの地で活動した時から数えると47年になる。教会はほぼ街の中心部にある。今、すでに幼稚園は閉鎖され、日系一世のためのデイ・ケア・サービスが週何回か持たれている。道路を隔てたマツバラホテルからスケッチをした。季節は冬、冷えが身に沁みた。