「神の国は近づいた − スケッチ・教会 −」合同展に寄せて(2009 スケッチ)

展示会日時・発表誌不明、文脈から2009年後半と推測

(明治学院教会牧師時代、健作さん76歳)

「教会と聖書」第1号の表紙絵には桑原さん菅沢さんと一緒にフランスの旅をした時描いた「シャルトルの大聖堂」を使ってもらった。右と左の塔の様式が異なり長期の建築期間が目の当たりに感じられるのが印象的であった。「この教会の聖俗の時が刻まれている」と一文を寄せた。教会堂は建築学的な表現をすれば「天と地を繋ぐ空間」であり、その時代の中での「用」と「美」、さらには民衆あるいはキリスト教徒の「信仰心」を示している。キリスト教国では「教会の権力」の一面を顕示する遺産ともいえる。何よりも、その時代にその場での「教会」を担った信者とそれを取り囲む人々の生活の匂いと歴史が刻まれている。

 私が担当した表紙絵は37枚になると思うが、何らかの意味でその教会に私自身の関わりのある教会堂のスケッチである。一枚一枚のスケッチには、語れば長い出会いの物語がある。

 例えば、神戸には24年間生活をしたが、そこでは阪神淡路大震災を経験した。多くの教会が、被災し、倒壊し、姿を消した。今にして思えばその全容を描いておけばよかったと思う会堂もある。 が、残った会堂、崩壊の現場やテントの会堂を含めて教会への思いを描いた。

『神戸の街の教会を歩く- 文・イラスト岩井健作』(平凡社『別冊太陽119 八木谷涼子編 日本の教会をたずねて 2002 AUTUMN)として残ったのは思いがけない僥倖であった。

 さて、このたびの「合同展」も思いがけない試みでいささかの戸惑いを覚えないでもない。奇抜な企画とその労の重さを思うと感謝に堪えない。

 趣旨には「神の国の現場であるべき教会が、人の生きる現場たり得ているか否かが厳しく問われ、かつ問うことで一枚の絵と文章になりました。」とある。

 それほど思い詰めてそれぞれの絵を描いた訳ではない。しかし、単に情景としての絵として見過ごしには出来ないものも含まれている。

神戸栄光教会(テントの会堂)

 一枚の絵に注目戴こう。「紅葉坂教会」。この教会は箱のような形で、絵にすると特徴がない。会堂の表にあたる十字架は隣のビルとの壁の間にあって、それを入れて会堂全体を描くとしても何とも風情がない。蔦が生い茂って会堂の風格が出てきたので、絵にしてみた。しかし、この教会を描くことは、この教会が取り組んでいる「聖餐式を受洗していない者にも開かれたものとして実施する」という問題と、それゆえにこの教会の牧師・北村慈郎氏が日本基督教団教師委員会から「免職処分」を受けていることに思いを寄せない訳にはいかない。まさに「神の国」の現場を絵にするような気持ちで描いた訳である。

 僕は、今「教会堂」のない教会の牧師をしている。明治学院教会である。日曜礼拝は、明治学院大学横浜校舎のチャペルを使っているので、300-400人は入る堂々たるチャペルでパイプオルガンも毎週演奏されている。そこで20人余りの礼拝が持たれている。だが、その場は大学のチャペルであって、「教会」の会堂ではない。この教会の設置は「学院理事会」の「理事のキリスト者条項の弾力的運用」と引き換えに決議された。曲折を経て、この場所で礼拝を実施する小グループが「単立明治学院教会」を名乗っている。法人と合意書を交わし、チャペルを使用している。しかし日曜日以外は、ここに「教会」はない。 週日に来てもそこは大学の宗教部があるのみで「教会」はない。牧師の僕が、 大学門衛では「宗教部」に行くと言わなければ、学内に入場は出来ない。チャペルの事務所にもなっている宗教部を訪ねたら「何のご用事ですか」と事務員に言われた。チャペルの倉庫を約束で教会の週報棚や用具の置き場にしているが、狭い暗室のような一角だけが教会の匂いがする場である。一体週日は「教会」はどこにあるのか。

 1950年代だったか、WCC(世界教会協議会)の V・トゥーフトが「集められた教会・散らされた教会」という表現をした。礼拝に集められた時以外は、教会は、信徒一人一人の日常の生活に散らされて働いているという考え方である。もし、散らされた教会が「神の国」の現場ではなくて、世俗そのものであるなら、週日には教会は存在しないことになる。たとえ教会堂のスケッチをした所で、それはもぬけの殻でしかない。「会堂」を絵にするということは、「散らされた教会」が存在して、「神の国」の現場が信徒の日常で戦い取られていることを予想してのことであり、そこでの織烈な戦いが、営まれていることを信じての「絵」なのである。

 68号にのせた川崎戸手教会は多摩川の河川敷に杭を打って建てられている。 国有地であるが、この河川敷に「朝鮮人」が住み続ける限りは、と国の移転勧告を断ったという。教会の看板より大きく「戸手地区活動センター」の標識が建物の上につけられている。描かれた教会の建物は即時的な意味で会堂の絵ではない。教会は地域のセンターの役目を果たしていて、その全体が絵になっているのだ。描きたい教会はたくさんある。その教会の日常そのものが「神の国」であることを願いながらである。

 54号の中濃教会は僕の出身教会である。この教会の設立の日に僕は受洗した。純農村の教会で今でも現住会員21名、教師謝儀は年間291万(2009年鑑)。ここに若手牧師が家族と共にずーっと定住していることが不思議である。サイドワークで生活を保ち、使命を果たしている。日本の「農」の問題を視野に入れ、宣教の展望を抱いている教職を生み出した神学校が背景にある事を含めて、一枚の絵は成り立っている。前から、後から、何枚も描きたいところである。

 描きたいと、下書きもしながら未だ果たせない教会がある。西宮門戸教会である。次の機会には何とか絵にしたいと思う。お詫び尭々。

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