閉塞の夜に朝を待つ(2011 礼拝説教)

2011.12.11 原宿教会 礼拝説教

(明治学院教会牧師 健作さん78歳)

詩編 130編1節−8節

「わたしの魂は、主を待ち望みます。見張りが朝を待つにもまして、見張りが朝を待つにもまして」(詩編130:6)

 今朝、お読みいただいた詩編130編の冒頭には「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」という一句があります。私は個人的には自分の信仰生活で、この詩編130編に自分の歩みを重ねて「深い淵から」という罪の自覚の思いが歳を重ねるごとにますます深くなっている気がします。個人的な経験はさておくとして、歴史的な出来事に自分を重ね合わせて見ると、今もって「深い淵」の罪の自覚から逃れられない思いをいたします。

 歴史的な順序にしたがって4つの出来事があります。

 第一は、日本基督教団が「戦争責任告白」を発表した頃のことです。この発表は1967年、鈴木正久教団議長の名でなされました。その一年前、戦争責任の表明を教団として行うことを(鈴木先生が校長であった)教師研修会で若手教職が求めました。その一人は私でした。その時には、何故か痛切に、太平洋戦争でのアジアの戦争犠牲者のことを思い「主よなんぢ若(もし)もろもろの不義に目をとめたまはゞ誰かよく立つことをえんや」(文語訳)というこの詩編130編の3節の言葉が重くのし掛かっていました。もちろん私は戦争時、小学生で太平洋戦争で戦争に参加した人間ではありません。しかし、どんな言い訳があるにせよ日本基督教団が戦争に積極的協力をしたのです。その日本基督教団の牧師になって伝道しているのです。アジアにおける戦争犠牲者は一千万と言われます。日本の侵略戦争の犠牲者です。加害国の責任から免れることはできません。日本での戦争犠牲者は310万人です。3月10日の東京大空襲犠牲者、長崎、広島の原爆犠牲者などはむしろ戦争被害者でありますが、この国が戦争を進めたことに依る犠牲者ですが、アジアからみれば加害者です。戦争を食い止められなかった民衆の責任と言う負(マイナス)の日本の歴史の責任、負の遺産を受け継いでいることを思う時、「もろもろの不義」「罪を罪とし給う」神の前での「罪」を深く自覚をせざるを得ませんでした。

 この12月27日、横浜で、南京虐殺の日本の罪責を表する「地獄のDecember−哀しみの南京」という演劇があります。実行委員会代表は関田寛雄先生です。私はご一緒に実行委員会に加わって、主催者の渡辺義治さん横井量子夫妻を応援することにしています。それは、いまだに国家が謝罪しない戦争加害者の罪を償うためなのです。

 第二は、沖縄から問題提起を受けた時です。「戦争責任告白」の後、あの「戦争責任告白」にはアジアと日本の犠牲者のことが覚えられていたにも関わらず、沖縄の犠牲者のことが自覚されていなかったのです。沖縄と本土の関係の歴史を考えると、終始、抑圧し、差別し、犠牲を強いてきた沖縄への「本土」の罪責を言い表していないことに気付かされた時です。1976年、日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同が沖縄を切り捨てる本土の体質を自覚しないままの合同であったことを深く反省して、日本基督教団は「合同のとらえなおし」の作業に踏み出しました。私は、その役目の「本土」教団側の委員をずっとさせていただきました。「あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ誰が耐ええましょう」という言葉が身に染みました。今、野田政権は官僚のトップが沖縄を侮辱し女性をないがしろにした発言をして、また防衛大臣の不見識があったにも関わらず、辺野古への基地建設を強行しようとしています。太田昌秀元知事は沖縄は日本の質草に過ぎないのだ、と訴えておられます。何も出来ない自分に「深き淵」を感じます。

 第三は、阪神淡路大震災の時です。6437人の人が死にました。うち子供が518人死にました。死んだ人の多くは、神戸の沿岸部の壊れやすい家の人達です。近代の神戸の重工業の下積みの労働者層の人たちです。山の手の中産階級の家では死者は少なかったのです。そうして、神戸のキリスト教はその中産階級を地盤にしていました。地震は天災ですが、キリスト教が、神戸の貧困層の問題を抱えて一緒に困難を担ってこなかった近代主義のキリスト教の「罪」を大いに感じました。賀川豊彦がすでに葺合・新川から指摘したところですが、あの震災ではそれが顕になりました。私は、その近代主義を代表するような神戸教会の牧師でした。ここでも「もろもろの不義」を感じました。このことは兵庫教区が大いに反省し、地震以後「長田活動センター」を立ち上げ、最も困難な被災者の問題を一緒に担う体制を作りました。

 第四は、今度の「東日本大地震」です。地震・津波・原発事故を伴った複合災害ですが、そのうち原発事故で、生活、仕事、住み慣れた町を失い、棄てられた民、難民として分散させられた生活を強いられている人たちのことを思うと、首都圏に住み、原発をほとんど意識しないで、電気を使ってきた我々の「加害者責任」を覚えざるをえません。「原発には都会に引き受けられないリスクがある。そのリスクを都会の住人は社会的に弱い立場にある過疎地の人たちに押しつけている」。原子力学者の小出裕彰(ひろあき)さんの言葉です。何故、あの過疎地に原発が建設されたのかには、日本の自由主義経済の構造的メカニズムがあります。ある意味では、あの地域の人達は首都圏の人達の犠牲、「贖罪」なのです。我々はこのことを通しても「もろもろの不義」「罪をすべて」を深く自覚せざるをえません。

 この詩編130編は、詩編150の詩のうちでは数少ない7つの「懺悔の詩編」の一つです(6、32、38、51、102、130、143編)。嘆きの祈りです。

 このたびの震災では被災地の外の人がまず、この詩で告白されているような罪責を懺悔することから歩み始めなければならないことを教えられました。

 4回もこの詩編の言葉に打ちのめされているうちに、この詩編を読む「こつ」を覚えました。それは3節と4節の間に間をおかないで、一気に読むことです。ここで一息継ぐと、罪の重さに足を取られてしまいます。「しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです」(4節)を、一気に走り抜けることです。

 ルターはこの詩を「罪と恵みの本質についての最も深い理解を示している歌」としてあげています(32、51、130、143編)。最も深い罪の不安から恵みと赦しの確かさへと引き上げられた、信仰の出来事を歌っています。

 我々は「罪の認識」があって、それに「赦し」が続くと思いがちですが、それは、われわれの経験の世界でそのように捉えていることであって、人間の生存の真実な姿はその逆なのであります。「赦し」があって罪の認識が初めて鮮明になるのです。この順序が大事なのです。これは神の側の順序です。

 これは、聖書の救いの理解の基本ではないでしょうか。

 ルターはこの詩編はパウロ的詩編だと言っていますが、それは、生活体験という面から言えば、罪の認識に苦しむという経験がまず初めにあると考えがちですが、でも過酷な現実を生き抜こうとすると、実は罪の暗黒にも拘らず、救いは神からの光をして、恵みとしてもたらされるというのです。事柄としては罪の認識よりも恵みが先なのです。

 パウロは、この出来事を知るまでに大変な葛藤をした人です。それを自分なりの言葉で、ローマの信徒への手紙3章23-24節で表現しています。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」いう告白です。私たちが馴染み深い、福音書の表現でこのことを言えば、はゲッセマネで眠ってしまっている弟子にイエスは「もうこれでよい」(マルコ14:41)と、背く弟子を赦しています。

 そもそもこの130編の詩は「主に呼ばわる」という第一声から始まっています。「呼ばわる」ことで始まり「赦しはあなたのもとにある」と告白する信頼の詩編なのです。4節の「赦しはあなたのもとにあり」がその事を語っています。

 その土台にしっかり立って、5節−7節では、人を罪に絡め取る現実の中を生き抜く姿勢が語られます。

「主に望みをおく」「主を待ち望む」のスタイルです。

「日本基督教団の戦争責任のこと」「沖縄への関わりのこと」「教会が社会の底辺にある人々に関わること」「脱原発にはっきりした姿勢をもつこと」、どれを考えても、自分の力は弱く、いつも「深い淵の底から」の祈りを抱き続ける以外にありません。しかし、「見張りが朝を待つにもまして、主を待ち望む」という言葉に励まされます。

『週刊金曜日』という雑誌があります。この資本主義の世界で広告をとってその経費で運営すると、広告主に気を使ってジャーナリズムの基本が揺らぐと言うので一切広告をとりません。だから値段の高い雑誌です。しかし、歯に衣を着せぬ、論陣をはっています。少し前の号の表題は「閉塞するニッポン − 蘇る構造改革の悪」という題です。すこし荒っぽい表現をすれば、強いものが弱いものを蹴散らし、食い物にして、生きてゆく社会が広がっているという事です。表紙には、野田総理大臣の顔が掲げられています。時代の閉塞の闇は新聞の読者の「声」や「発言」の欄に満ちています。その暗闇を例証する事実をあげれば切りがありません。

 被災地の南相馬市長は「心か金か?心が大事だ」と叫んでいます(東京新聞 12月10日)、事故の収束の目途すら立たない中で原発を輸出する体制を維持、つまりお金が第一だという、今の権力に立ち向かうことは、旧約聖書の譬えでいえば、武器を持ったゴリアトに素手で少年ダビデが立ち向かっている構造をもった世界です。

 しかし、この詩編には「朝を待つ」という言葉が二度出て来ます。朝は来るのです。終わらない夜はないのです。闇が最後ではないのです。

 この朝を待つという言葉を縮めて「待晨」(たいしん)という言葉があります。「晨」(しん)は日(漢字の「ひらび」)の下に、辰年の辰(シン)を書きます。朝の意味です(晨明は明け方)。待晨は朝を待つことです。漢和辞典を引いみてもこのような術語はありません。「待望」(望みを待つ)はあります。多分詩編130編を読んだ人が作った造語かと思われます。無教会派のキリスト教では酒枝義旗(よしたか)さんという方が『待晨』という雑誌を600号まで出しておられました。昔、待晨堂というキリスト教の本屋さんがありました。

『待晨』という表題の本があります。すでに世を去られましたが、群馬県安中の新島学園中学高等学校で長らく生物の教師をし、後、校長を務めた新藤二郎さんの随筆集です。キリスト教信仰は若き日、無教会の矢内原忠雄先生の集会でその基礎を養われ、安中教会に奉仕をされました。生涯、キリスト教の人格教育を地方の小さな学校で地味に励んだ教育者です。信仰の基礎を詩編130編におかれていました。青年前期に肺結核を患い悩みましたが、2年も遅れた人生に、そこにこそ神の意志があることを知り「すべてのこと相働きて益となる」の聖書の言葉を信じて歩んだと記しています。そして内村鑑三が訳した詩集『愛吟』のゲーテの詩をこよなく愛しました。

 それは「急がずに休まずに」という詩です。

「『急がずに、休まずに』、これぞなんじの胸飾り(むなかざり)、心の底の奥に留め(とめ)、浪風(なみかぜ)荒く吹くときも、花咲く小径(こみち)たどるにも、世を去るまでの旗章(はたじるし)」(内村鑑三全集 4巻330頁、1879(明治30))

 待晨の気持ちを表したものだと思います。朝を待つ信仰を教育に懸けて生きた人です。この方の最後の病床に立ち会う機会を与えられ、枕もとにあった愛用の聖書をいただきましたが、実に聖書の全般に渉って、書き込みをして読み込んでおられる方でした。詩編130編のところにはびっしり赤線が引いてありました。時代の重さのなかで、まず一歩踏み出すというように朝を待ち望んだ人でした。

 この詩編130編で教えられる、もう一つのことは、これは初め「個人の嘆きの歌」でした。それがいつごろからか「巡礼の歌」にされて、エルサレムに巡礼の旅で歌われるようになったということです。7節前半「イスラエルよ、主を待ち望め」、8節全体「主はイスラエルをすべての罪から贖ってくださる」は巡礼歌集に納められるに際して加筆されたものだと研究者は言っています。今で言えば、デモ行進のときのシュプレヒコールのように唱えて元気を出したのだと思います。共同の意識「結束力」を高めるために用いられたのです。「結束力」は大事です。

 私は、7月初め5日間ほど、東日本の震災の見舞い・問按に、東北を訪ねました。南三陸町歌津字馬場の集落、中山センターの会長・阿部倉善さんを尋ねました。ヒョンな事で、お尋ねする切っ掛けを与えられました。

 リアス式海岸では、ただちに高台に避難して死者を出さなかったのです。震災直後から漁民家族約220名が高台の集会所での避難共同生活を外部との一切の連絡が途絶えた中で始められました。「なじょして生活をしたらよいか」の打ちひしがれた状況で、阿部さんのリーダーシップは日頃の漁業生活の共同意識がベースにあって、災害緊急時を乗り切りました。5月、NHKの放映でその様子を私は知りました。孤立する部落での内々の「結束力だけは自慢できる」と語っていました。11月と12月にもう一度NHKスペシャルでこの「馬場中山生活センター」のことが「どっこい被災地は生きている」という番組で放映されました。壊滅の中から、散らばらないように住居の目途をつけ、漁業の回復に取り組んでいる姿が写し出されていました。「なじょにかなるさプロジェクト」は困難な中にも希望を与えています。部落の人がやっと函館で見つけた古い船に「福福号」と名付けました。福福コンブの生産をやがて開始しようとしています。津波の海を村人が「我々には太平洋銀行がついている」と語る朝を待つ姿が印象的でした。

 災害時の立上がりは「自助」(自ら励む)、「共助」(助け合う)、「公助」(行政が動く)の三つが大事だと言われています。見知らぬ私が訪ねた時も阿部さん夫妻はこれまでの4か月の歩みを涙を流しつつ語ってくださった。地震・津波・原発災害には悲しい想い、解決の目途のない話がたくさん続いています。しかし阿部さんのように、日本の地域力・「民力」を象徴する力が見られることが希望でした。阪神と時には感じられなかった力でした。政治や社会、それに身の周りに起こる出来事をみていると、絶望的気持ちに襲われます。しかし、被災者自身に触れて「深い淵」から、朝を待ち望む思いを抱かされす。

 主の恵みのうちに、朝を待ち望んで生きて参りたいと存じます。

祈ります。

 神様。今日は原宿教会の皆様と待降節の時、あなたの救いを待つことを聖書に教えられ感謝いたします。個人的にも、社会的にも、世界の成り行きも、闇の夜を感じさせることはいっぱいあります。だが、私たちは目を凝らし耳を澄ませる時、朝の気配を、私たちよりももっと苦しく弱く、あなたの助けだけが頼りの人々の存在に感じとります。嘆きをとどめ、愚痴をとどめ、あなたに向かって目をあげ身を乗り出して、一歩を踏み出す力を御与え下さい。石田牧師の健康を守り、教会の兄弟姉妹一人一人に力を御与えください。この祈りを主の御名によって御捧げいたします。ア−メン。

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