弱者に対する聖書の視点 − アモス、マルコ、ヤコブ、小磯良平のルツ、聖書の読み方(2009 神戸聖書セミナー)

2009.5.7 執筆、「SOWER」(日本聖書協会)原稿

(明治学院教会牧師、日本基督教団 神戸教会前牧師、健作さん75歳)

 今回の神戸バイブルハウス主催の第37回「聖書セミナー」の担当にあたっては、ちょっとしたエピソードがある。

 昨年11月末「第9回 日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」に「矯風会」から出席した私の連れ合い溢子が会場で「久し振りにお会いした」というのが、神戸でこの問題に取り組んでいる岩村義雄牧師だった。

 しばらくしてこれがきっかけで電話が掛かってきた。同牧師とはかつて神戸で一緒に「神戸聖書展」に取り組んだ仲だ。「神戸バイブルハウス常任理事」だという。

 (2009年)1月に3日間、5講義の聖書セミナーのために時間を作ってとの依頼。やっとそれを決めたら、テーマは「弱者の視点」、ビラを作らねばならないから、思い浮かぶ題を今考えて、とのこと。

 咄嗟に、第一回はアモス。第二回はマルコ。第三回はヤコブ。ここまでは説教で扱ったことがある。そこでちょっと詰まった。日本聖書協会が久し振りに出版した『小磯良平 聖画入り聖書』のそれぞれの絵について講話をしていたのを思い出した(▶️ 洋画家・小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ)。ルツの「落ち穂拾いは使える、あれは社会のセーフティーネットだ。最後は「聖書の読み方」とした。ここには徹底して「貧しくされた者」の視点で聖書を読んでいるサンパウロの「ベルボ聖書センター」のことが念頭にあった。

 この間、一本の電話で、30分にはならなかったと思う。降って湧いたような「セミナー」の輪郭ができた。

 神戸は24年間、私が宣教と牧会に携わった地、支援してくださる方々もそれなりにあり、無事終えることができた。岩村牧師からは「お褒めと感謝」の言葉をいただき、おまけに本誌への執筆推薦をいただき、全国の『SOWER(ソア)』読者に文章を通してお交わりいただくことになった。

 さて、本題に入る。

 第一回 アモス

 イスラエル民族の王国形成までは、生産物を分かち合い、部族連合としての共同生活が営まれていた。王政以後、王・貴族・軍人など権力者を、農民が年貢と過酷な税で支える構造に変化して農民は徹底して虐げられてゆく。司法は機能しない。「正しい者を金で、靴一足の値で人に売る」(アモス 2:6-8)。そこに「一介の田舎人」(浅野順一『預言者の研究』新教出版社 1961)預言者アモスが、王と貴族・御用祭司に向かって叫びをあげる。「正義を洪水のように、恵みを大河のように尽きることなく流れさせよ」(5:24)。アモスの働きは、木田献一『イスラエル予言者の職務と文学』(日本基督教団出版局 1977)の研究によく示されている。生活破壊層の痛みに無感覚な現代日本人が聖書を読むならアモスは欠かせない。

 第二回 マルコ

 元来マルコ福音書の成立は、ガリラヤの辺境の貧しく病める人々の伝えた民衆の伝承を集めたものによる(田川建三『原始キリスト教史の一断面 − 福音書文学の成立』勁草書房・新装版 2006)。さらに治癒奇跡物語伝承をマルコに見ると、伝承の新しい層は、関心がキリスト論的・価値観統一的であり、古い層は癒される個人への関心が中心である。盲人バルティマイの物語をマルコ(10:46-52)・マタイ(20:29-34)・ルカ(18:35)と比較した場合など顕著である(大貫隆『福音書研究と文学社会学』岩波書店 1991)。弱者への視点は一般論では済まされない。個に向かう関心がイエスのまなざしであった。そこにマルコを学ぶ大事さがある。 

 第三回 ヤコブ

 パウロの「信仰義認論」が金持ちの自己正当化に用いられ、その当時の教会では貧しい者を軽んじる論理として作用したことへの批判の書簡である。「富んでいる者は草花のように滅び去る」(ヤコブ 1:10)。参考書は辻学著『ヤコブの手紙 現代新約註解全書』(新教出版社 2002)。

 第四回 小磯良平さんのルツ

 聖書挿絵の中で「ボアズの畑で落ち穂を拾うルツ」は、ルツ記 2章1-23節を描いている。「落ち穂拾い」は寡婦の社会的地位をささえる社会法の意味がある。その枠の中で地主ボアズと差別的眼で見られていた「モアブの娘」(この表現には差別がある。荒井英子『旧約聖書略解』日本基督教団出版局 2001)は出会う。この物語には通奏低音のように「主の慈しみ(ヘセッド)」が示される。それはまた弱者への聖書の視点である。

 第五回 聖書の読み方への提言

 教会では「神学的解釈」(「信仰告白」を基準として読む)が中心になるが、それをかなり相対化する素養と勇気が現代には必要であろう。「聖書学的解釈」を基本的に身に付けることは歴史を生きる者の豊かさになる。「文学的解釈」。これは自分の経験との呼応関係で聖書テキストが生きて響いてくる習練である。さらに、弱者の叫びに答える神を見出だす読み方に目を留めたい。中ノ瀬重之神父(司祭・真言会・ベルボ聖書センター所長)は、聖書を「○の神と△の神」の拮抗する歴史の記録として捉える。貧しい弱者である民衆が息づくことができるのは○の神である。極貧のラテンアメリカの民衆の学びに、中産階級が主流の日本の教会は耳を傾けねばならない。

第37回 神戸聖書セミナー(2009年)全5回

アモス書 − 正義への叫び
マルコ福音書 − 奇跡物語の担い手たち
ヤコブの手紙 − 貧しくされた人々の重み
小磯良平の絵画と聖書 − 弱者との関連で「ルツの落ち穂拾い」
聖書の読み方への提言