アモス書 − 正義への叫び(2009 神戸聖書セミナー ①)

主題「弱者に対する聖書の視点」

2009.1.14 午後、第37回 神戸聖書セミナー1日目、第1回

(明治学院教会牧師、神戸教会前牧師、健作さん75歳)

1.初めに

 今回のセミナーの講師にと、昨年12月初めに委員長の岩村義雄先生から急な依頼が電話であった。この先生のバイタリティーと「強引」とも言える説得に押し切られて、結局お引き受けした。予め構想とか準備があったわけではない。なにしろ電話一本で3日間5回の講義内容を即座に決めてしまうという急ぎ足であった。

「弱者の視点」というのが誘いを促した。今まで教会での説教を振り返り、自分では「弱者の視点」を大事にしてきたので、その点から聖書を振り返るという思いが、咄嗟に浮かんだ。三つの書物を取り上げることにして、年末年始ににわか勉強でまとめてみた。真に不完全極まりない講義になると思うし「高い聴講料」まで出してお出かけくださった方々に、どれだけお応え出来るか、申し訳ないという思いはあるし、かなりのプレッシャーであるが、私なりの精一杯の取り組みということで御容赦を願う次第である。

2.旧約聖書のアモスを取り上げた。

 そこに弱者が、時の政治権力者・支配層の人々・その国の富める人々によって徹底して虐げられている現実が書き留められている文書であること、そこに痛みを持って、この人達に心繋げつつ、そこを現代の痛みに重ねることが聖書を読むことではないか、という気持ちがあったからである。

3.この文書一切の「解題的」な解説を抜きにして、まず、最初からありのままの本文に触れることにする。

 このアモスという人が目にした現実がそこには出ている。これらは「イメージの連鎖」として現代に繋がる。( )は岩井コメント。

① 1:3「鉄の脱穀板(虐殺)」
② 1:6「とりこにした者…引き渡す(奴隷として売る)」
③ 1:9「兄弟の契りを…(契約の破棄)」
④ 1:11「憐れみの情を捨て(人間に凌辱)」
⑤ 1:13「妊婦の引き裂き(領土争いの結果)」
⑥ 2:1「王の骨を焼き、灰にした(死者への冒涜)」
⑦ 2:4「掟を守らず(ころすな!を含むあのモーセ律法の拒否)」
⑧ 2:6-8「正しい者を金で、靴一足の値で人を売る(司法が金[賄賂]で曲げられる、極貧者は靴一足に値で奴隷に売られる)、弱い者の頭を地の塵に踏み付け([解釈が4つぐらいに分かれる]貧者への横暴)、悩む者の道を曲げ(弱者への侮辱)」、「父も子も同じ女の…(神殿娼婦の所へ…宗教的慣習の悪事)」、「質に取った衣(衣は寝具を兼ねる、夜は返すのが法の定め)」「科料の…酒を…神殿の中で飲む(弱者から巻き上げた金の酒が…神殿に堕落の渦が…)」
⑨ 2:12「ナジル人に酒を飲ませ…(神に仕える人の世俗への買収)」
⑩「不法と乱暴を城郭に積み上げる(軍事の腐敗)」
⑪ 3:12「豪奢な寝台…長いすに身を横たえ(上流階級の生活)」
⑫ 4:1「バシャンの雌牛ども…弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げる女たちよ(夫を唆す女の徹底した堕落の正体)」
⑬ 5:10「町の門(裁判)で訴える公平を扱う者を憎み、真実を語る者を嫌う(不義の拡大悪循環)」
⑭ 5:11「弱い者を踏つけ、彼らから穀物の貢納を取り立てる(搾取で家を建て酒を呑む)」
⑮ 5:12「正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている(富める者は殺人を犯しても賄賂がものをいう)」
⑯ 5:13「知恵ある者はこの時代に沈黙する(批判は身の危険を招く、身の安全が第一)」
⑰ 5:16「悲しむために農夫が、嘆くために泣き男が…(職業的泣き女が不足になる程の現実の悲しみ)」
⑱ 6:9「死体を焼くものが…(普通は土葬、死体のころがる緊急事態の現場でさらなる災いをまねかないための嘘)」
⑲ 8:4-5 不正の商人。「新月祭はいつ終わるか…安息日はいつ終わるか…(一般の休日、神の日でも貪欲に商売をする)」。「エファ枡を小さくし…(不正な取り引き)」「弱い者を金で、貧しいものを靴一足の値で買い取ろう。またくず麦を売ろう(商人が人を奴隷にまで落ち込ませる過酷さ)」

 アモスが記す現実から、現代の我々が、どのようなイメージを描くことが出来るか。その、想像力(イマジネーション)の広がりが、実は「聖書」を読むことではないか。

4.なぜ富める者と貧しい者が出来たのか

 古代イスラエル史を素描する。この民族は族長部族時代(アブラハム・イサク・ヤコブ)後、エジプトに移住、専制君主パロのもとで奴隷であった。その苦難の叫びを「神ヤハウェ」が聞きとどけ「出エジプト」の奇跡的解放がモーセを指導者としてなされた。その後、荒れ野の放浪が続き、パレスチナのカナンに浸入し土地取得を行い、部族の宗教的連合体の形で民族共同体を培ってきた。この時代は基本的に農耕と牧羊を中心とする平等社会であった。土地は神からの嗣業で売買の対象ではなかった。

 後に外敵・海洋民族ペリシテに対抗するため王制国家が形成された(サムエル記)。ここで土地の持つ意味を含む経済諸関係の根本的変化が起きる。王権を支える官僚機構、国家祭儀のための祭司階級、軍人機構など直接生産に携わらないで、特権的力をもつ階級が出来て、権力構造の上部を占めることになる。彼らの地位と生活維持のため、国家の租税機構が整えられる(サム上8:15f)。

 土地について言えば、王宮領や官僚・軍人たちの封土が必要になり、これらは自営農民の「嗣業」が犠牲にされて供給された。さらにこれらは資産となりこれを基盤として、大土地営農が成立し、その生産物が流通商品となり、彼らの経済基盤となる。農業労働には土地を失った没落農民や奴隷が動員された。王国時代のこのような社会層の分化と格差の広がりは遺跡にも、富裕階級の住宅区域と密集したスラム街として残されているという(『現代聖書講座』第一巻 P.80 山我哲雄)。

 王国体制下、自給自足の原則は崩され、貢租の義務、自分の生計の生産、強制労働や徴兵、加えて飢饉で農民は土地担保や身体担保で大土地所有者から種子を借りることさえ起こったという。自営農民が奴隷化して土地の寡占化が進行し、その中での権利回復のための裁判が経済力で曲げられた。この事実に「主はシオンからほえたけり、エルサレムから声をとどろかせる」(アモス1:2)と切り込むのが預言者であった。

5.アモスの時代とは

 今から2700年余り前、パレスチナでの出来事である。イスラエルの王国が北イスラエルと南ユダに分裂をして二つの王国があった。舞台は北イスラエル王国でヤラベアム2世(BC.786-746)の治世である。隣国シリアと北のアッシリア帝国が弱体化していて、侵略戦争のない時代、国の内外は繁栄の空気が漂っていた。それが奢りを産み、不義不正を行う支配者の横暴は目に余るものがあった。特に、宗教は繁栄を祈り、祭りを行う国家祭儀となっていた。

6.アモスの人物像(7:14-15)

 紀元前750年頃、ユダ王国のテコアという小さな村で牧畜(牛を飼う)を生業とし、いちじく桑(貧しい人の食料)の栽培も兼ねていた一介の田舎人であり「都市文化に対し燃ゆるが如き憎悪を以て之を弾劾」した(浅野順一『預言者の研究』P.26)。

 同じ預言者でもイザヤ、エレミヤ、ホセアが誇るべき父の名を持ったのとは異なる。エルサレムから南に15キロほどの寒村で小家畜飼育以外には特に産業を持たないところの出身。当時活動をしていた宗教者集団、職業的預言者とは何の関係もない人であった。しかし、その彼が主(ヤハウェ)に召されて、預言活動をした。その期間は1−2年間だといわれる。彼の言葉は自らの記録や彼の弟子たちが残した「アポフテグマ」(状況描写の導入がある言葉とセットの物語。木田献一『イスラエル予言者の職務と文学』)として残った。

7.アモスの預言の特徴

① 彼は審判の預言者。「主の日(5:16)」が政治主義的・民族主義的に特権選民のイデオロギーとなって支配層の守護の論理となっている。「彼らは、災いは我々に及ばず近づくこともない、と言っている」(9:10)と指摘している如き傲慢に対して、徹底してそれが「裁きの日、光ではなく闇」であることを告げた。諸外国の裁きと同時にイスラエルは裁かれる(諸外国からイスラエルに言及する「2:6」の導入の勢いを見よ)。「救い」と「裁き」の意味の逆転、逆説を説いた預言者であった。

 裁きの主体であるその神は「超越的人格神」「倫理的一神教」(浅野)。「主(ヤハウェ)を(バアルではなく)求めよ、そして生きよ(5:4-6)」と「出エジプト」以来の信仰の基本を説いた。その基本を歴史へと展開することは預言者の職務であるが、アモスはそれを北イスラエルに徹底した。「審判」とは「自分に」及ぶことを外して、その外にあるのではない。

② 彼は正義の預言者。イスラエル宗教が、神の選び(出エジプトの救済、「紅海の歌」[出15]「デボラの歌」[士師5])に基づく契約の信仰に基礎があることを鮮明にして、この契約が、同時に、人間相互の共同体諸関係の社会法に徹底されていない危機を痛烈に批判した。「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように(5:24)」の叫びをあげた。

 自営農時代にはなかった、貿易の拡大と王の政策で自己資本の増殖とその陰険な手段と術策を、イスラエルの社会生活の基盤は崩壊の危機として弾劾した。

③ 彼は祭儀批判の預言者。「私はお前たちの祭りを憎み、退ける(5:21)」、「お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ(5:23)」。

 本来イスラエルの祭りは、細かい規定がレビ記(1-7章)にあるように、和解、贖罪、賠償、穀物、葡萄酒、随意の献げ物など神との関係での、悔い改め、感謝、祈願、執り成しが内容だった。しかし、その時代は宗教がカナンのバアル宗教の影響で変質して、生産性向上と自己拡張が第一になっていた。人々が動員されたベテル、ギルガル、ベエルシバの国の祭壇では、王室の楽隊が繰り出されて騒がしい音を出していた。それを厳しく弾劾した。ベテルの祭司アマツヤとの対決(7:10f)の託宣の言葉は激しい。

③ 彼は執り成しの預言者。7章1節−6節「主なる神よ、どうぞ赦してください。ヤコブは…小さい者です」。「イスラエル」は国名である。しかし、そこに生きる民衆は「ヤコブ」である。「二番草」「畑」の破壊という審判には生活者は耐えられない。民衆(生活の主体)を執り成す預言者(言葉の主体)の役割を自覚していた。

8.アモス書の構造

 現在の編集に添って概略を分けると、①6つの隣国およびイスラエルへの審判(1-2章)、② イスラエルに対する罪の指摘(3-6章)、③ 審判の幻(7:1-9、8:1-6、9:1-10)、④ 聖所ベテルにおけるアモス(7:10-17)、⑤ 主の言葉の飢饉(8:7-14)、⑥ 結語、罪の赦しと回復の希望(9:11-15)となる。

 実際は、アモスは3回言葉を語ったと思われる(木田『イスラエルの信仰と倫理』)

① ベテルでの第一回の預言(4:4-5,27、8:9-14)
② サマリヤでの預言(3:9-4:3、6:1-14、8:4-7)
③ ベテルでの第2回目の預言(1:1-3:2、9:7-10)
④ 預言の根拠を述べた知恵的な文章(3:3-8)
⑤ 五つの幻の記事(7:1-9、8:1-3、9:1-4)
⑥ 伝記的記事(7:10-17)

9.旧約聖書における「アモス書」の位置

 書物としての旧約聖書は元来ユダヤ教の聖典である。「ヘブル語原典」では『律法(トーラー)、預言者(ネビーイーム)、諸書(ケスビーム)』と3部の書物。

 時間や歴史を軸に考えると「律法」は時を超えた「神の言葉(法)」、「預言者」は時に向き合い切り込む「神の言葉(裁きと叱責、慰め)」、「諸書」は時の中での「神の言葉(文学、詩歌)」。

 アモスは「預言者中の預言者」。「出エジプト」は奴隷の苦難の民の解放がヤハウェ(主)の主導で起こった救済の出来事。ここが原点。その出来事の具体化として「モーセ律法」が存在するが、その律法への背信がイスラエル民族の歴史的現実。

「神の言葉(法)」と現実との乖離で苦しむ現実存在(実存者)が預言者である。すでにその役目はモーセ、サムエル、エリヤ、エリシャが負ってきた。言葉としてそれを明確に残した最初の預言者がアモス。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、第二イザヤと続く。

10.アモスの今日的意味

「非正規85,000人失職」(2008/12/26 朝日夕刊)
「『過ごす場もない』人々の波、『派遣村』の訴え」(2009/1/3 朝日朝刊)

 に始まり、「高齢者介護」「母子所帯」「外国人労働者」「障害者介護」など、加えて、イラク、パレスチナ、飢餓の中の子供たち。それぞれの個別問題を、アモスを読むことから与えられるイメージと、その言葉を現代に移して時代を生きる感覚を養われることが、聖書に相対する私たちの役目ではないだろうか。

弱者に対する聖書の視点
− アモス、マルコ、ヤコブ、小磯良平のルツ、聖書の読み方
(2009 神戸聖書セミナー)

▶️ マルコ福音書 − 奇跡物語の担い手たち
(2009 神戸聖書セミナー ②)

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