言葉を残す(2009 礼拝説教・アモス・阪神淡路大震災から14年)

2009.1.11、明治学院教会(140)降誕節 ③

(阪神淡路大震災から14年、単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん75歳)


アモス 7:10-17

”主は家畜の群れを追っているところからわたしを取り”(アモス 7:15、新共同訳)

1.アモスの時代、なぜ富める者と貧しい者ができたのか。

 古代イスラエルでは部族の宗教的連合体の形で民族共同体を培ってきた。

 この時代は基本的に農耕と牧羊を中心とする平等社会であった。

 だが、王制国家が形成され(サムエル記)、土地の意味(私有)を含む経済諸関係の根本的変化が起きる。

 王権を支える官僚機構、国家祭儀のための祭司階級、軍人機構など、直接生産に携わらないで、特権的力を持つ階級ができて、権力構造の上部を占めることとなった。

 大土地営農が成立し、その生産物が流通商品となり、彼らの生活基盤となる。農業労働には土地を失った没落農民や奴隷が動員された。王国時代にこのような社会層の分化と格差が広がった。

 この不義に対して「主はシオンからほえたけり」(アモス 1:2)と切り込む。

2.今日の箇所は、アモスと大祭司アマツヤとの対決場面、国家の礼拝所ベテル である。

 アマツヤは、アモスを王への反乱罪で訴え、国外ユダへの退去を命じた。「そこで糧を得よ」(アモス 7:12)。アマツヤは預言者を職業と考えていた。しかし、アモスは預言者を生計のためにしていたのではなかった。

”「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。”(アモス 7:14、新共同訳)

 アモスは羊を飼い、いちじく桑の生産者であった。いちじく桑は貧しい者の食料。彼はヤハウェに召されて預言者となった。

”イスラエルは、必ず捕らえられて、その土地から連れ去られる。」”(アモス 7:17、新共同訳)

 国家の滅亡の審判預言は、権力者からの弾圧を招き、身の危険が及ぶ。彼の行為は、神自らが彼を捕らえ、強制し、神自らの決定を伝えることであった。語らざるを得ない言葉の使者であった。専門家によれば、アモスが預言活動をしたのは1年程度だという。

3.旧約学者・木田献一氏は「古代社会の中で宮廷や聖所以外の所で文書が書かれ、保存されたことは極めて稀なことであった。」(『イスラエル予言者の職務と文学―アモスにおける予言文学の成立』日本基督教団出版局 1976)という。

 権力批判の文書保存の貴重さが指摘されている。民衆の側の記録が残るということは如何に大きな出来事か。

 かつて1970年代の山口県「自衛官合祀違憲訴訟」、中谷康子さんの例。中平健吉弁護士の言葉「行政訴訟の費用1000万円はその国の裁判制度の公正を欠く」、結果は敗北だったが、文書は民衆の記憶と言葉を残した。

 木田氏は、アモス7章10-17節の物語の文学類型を「アポフテグマ」(状況描写をつけて本人の言葉を残す文学形式)だという。最初の文書は、8棚の羊皮紙2枚と6棚の羊皮紙に書かれていたと分析している。

(サイト記:中谷裁判の弁護士の言葉は詳細不明。羊皮紙は丸めて棚に収めるものだが、この部分の記述の詳細不明。木田さんの著書引用部分については未確認)

 アモスは農民であって農民ではない。高い言語文化とイスラエルの教養・国際情勢に通じる情報の保持者。アモスを用いて神が成し給うた出来事は「言葉を残す」業であった。

 人は人生のある場面で、唐突であるような役目を負う。

 言葉を残す証(あかし)に「神の言葉」は貫かれてゆく。短編でも言葉の証(あかし)を大事にしたい。

 預言者とは言葉を残す者。

140_20090111

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