マルコ福音書 − 奇跡物語の担い手たち(2009 神戸聖書セミナー ②)

主題「弱者に対する聖書の視点」

2009.1.15(木) 午前、
第37回 神戸聖書セミナー2日目、第2回

(明治学院教会牧師、神戸教会前牧師、健作さん75歳)

1.

 新約聖書の福音書が、異端思想を排して今の四つに選ばれたのは2世紀の初めだとされている。27巻が「正典」として公認されたのは 397年のカルタゴ会議であった。排除された文書は「外典」とされた。まとめの原理は「主イエス・キリストを証しするもの」「使徒的なもの」とされた。これが後々の教会の聖書の解釈原理となった。その解釈基準として「信条」「信仰告白」「神学」が生み出されてきた。それは同時に「教会の権威」であった。しかし、16世紀以後の宗教改革者たちは、教会の権威よりも正典としての「聖書の権威」を重んじた。結果、聖書解釈の基準の多様さだけ「教会」を生み出し、「教派教会」の数ほどに聖書解釈の基準も多様になった。一方では「逐語霊感説」的聖書解釈をはじめ、各教派が「信仰告白」に従って多少力点の置き方は違っても夫々の聖書の「正典的」解釈を掲げた。これがおよそのキリスト教会の聖書解釈の現状である。

2.

 しかし、もう一方で近代になって、文献学的な、また歴史批評的な研究が聖書に向けられるようになり、聖書学として著しい発展を遂げた。特に新約聖書の福音書については「様式史」「編集史」「文学社会学」などの研究方法が確立、駆使され現在に至っている。さらに、聖書を一個の文学作品(物語)としてその文学機能を問題にする「文学(物語)批評」の方法が提唱されている。

「市井」の教会の説教は、これらの方法を断片的に駆使しながらも、「教会形成」の神学が大きな枠として作用しているので、聖書学レベルの聖書理解が日常的に為されているとはいいがたい。また、聖書を求める人も、人生論的、個人的、救済論的(「神の御言葉」である「聖書」に虚心担懐に耳を傾ける)に読めばよいとの考えが多いのも現実である。それはそれでよいが、それを聖書の普遍的価値、あるいは普遍的読み方として通用させるにはいささか主観的で偏りがある。

 現今は、聖書学の福音書研究を全く外して聖書を読むことが出来ないのも現状であってみれば、日本聖書協会は福音書の翻訳にあたって、原テキストにはない二つの付加を「新共同訳」に付した。

 例えば、61ページ「マルコによる福音書1章」には「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」という小見出しを付けている。これは、現代の読者への便宜のための「翻訳委員会」のサービスである。(「フランシスコ会訳」には見出しがある。米国聖書協会「文語訳」、日本聖書協会「口語訳」、最近の「岩波書店版」、近刊の「田川建三訳」にはない)。

 もう一つは、(マタイ3:1-12、ルカ3:1-9・15-17、ヨハネ1:19-28)という指摘である。これは、同じ内容の記事が他の福音書にもあるので、そこを参照して読むとよい、という指示である。

3.二資料説のこと

 福音書の間に、類似性があるということに気が付いたのは、18世紀「文学批評」の研究をしたJ.グリースバッハである。それが発展して、ホルツマンによって「二資料説」、マタイ・ルカは「マルコ」ともう一つの「イエスの言葉資料Q」の二つの資料を元にして、それにそれぞれの特殊資料を用いて成り立っている、という説である。

 さらに「様式史」研究は、夫々のテキストには初代教会の「生活の座」があって、それから「語られた物語、教訓、説教、言葉の断片」が生まれ「口伝伝承」となり「文書伝承」に発展し、福音書に集められた経緯を明らかにした。

「編集史」研究は、夫々の「福音書編者」はどういう意図で、編集されたか、編集者の手法(取捨選択、増補改編、配列、要約)、神学、読者の状況などを明らかにした。

 さらに「文学社会学」は、一つのテキストが、創造され、伝承され、解釈され、反復学習されてゆく過程にかかわった人々の人間相互の振る舞いの全体に目を注ぐ研究である。

 これらの研究の成果を踏まえずに現代は聖書を読むことは出来ない。「福音書」が何となく残されたのではなく、夫々に意図的な文学であり、その成立の時にどんな意味を持ち、それが今日、我々現代人の生にどんな意義をもたらしているのであろうか、という点を意識して読むことが大事なのである。

 ということは、今読み手が、どんな生き方をしているのかということと相互作用であるという認識に立って読むということでもある。読み手が問われる、という相互作用を持つし、「教会」共同体が生み出した書物であるから、「教会」共同体に身を置いて読むとき、その意味が最も鮮明になるという視点はある。

 例えば、編集史的な視点からは、マルコを下敷きにしながら、ルカやマタイは、それを自分の「教会(共同体)形成」に都合よく改編している箇所などに出会うと、その改編の思想的視座が、現代の問題に関わって、プラスにもマイナスにも意味を持ってくるであろう。

 また、様式史的視点からは、同じような「奇跡物語」伝承が読まれても、奇跡物語が伝承される過程で、何が大事にされ、伝えられて来たのかを明確にすることで、奇跡行為者イエスと治癒された者との関係は何であったか、がはっきりしてくるし、イエスの治癒行為の、その時点での、社会的意味が何であったかを明らかにすることに繋がる。

4.マルコによる福音書とは

 マルコによる福音書は一つの信仰共同体(教会)を背景に創出された(3:34-35)。イエスのガリラヤでの直接の活動に基づく共同体であり、迫害の許にある(4:17、10:30、13:9)。終末におけるイエスの来臨を待ちつつ(9:9、13:35-36)、宣教を使命とした(3:13-14、6:7f)が、イエスの「身内」や「弟子たち」の権威を掲げる教団の内部に系列化される危険にさらされている。そこで、イエスが民衆の側に身を置いたこと、特に「罪人」の立場に立ったが故に、ユダヤの支配者によって十字架に追いやられたその生涯と振る舞いとを改めて示して、十字架に向かうイエスに従うことが自分たちの共同体の進むべき道であることを説いた文書である。

 成立は A.D 50年代末から60年代初期、場所はガリラヤと関係の深い地域、というのが妥当な素描である。

 マルコを考える場合に「受難物語(14-15章)」をどう見るかでマルコの捉え方が変わってくる。「受難物語」は原始教会の礼拝を「座」として高度に整えられまとめられた物語である。これを採用した意図をどう理解するかが問題である。

 受難物語の前(1-13章)までは、マルコが集めた独特な伝承で構成されている。

 研究者の意見は二つに分かれる。

① 14-15章を中心に考え、受難と復活における「イエス・キリストへの告白」に人々を誘うことに重点がある。

② 受難物語は二次的で、主眼は1-13章のイエスの生涯とそこでの振る舞い、特に奇跡物語にあるという。読者に「歴史をつくり出して」生きるイエスを示し、その様に生きるようにとの促しを訴えている。

 この二つのうち前者は受難と復活に示された「イエス・キリスト」への信仰を示す立場であり、後者は十字架に至る道を示し、それをたどってイエスに従うことを命じている。後者は復活に関しては、それを信仰の対象とする即事的な理解を避けている(16:9-19は後世の付加が定説)。

 もう一度、ガリラヤでのイエスの日常に引き入れること(16:1-8)を理解の中心にする。この場合、8:27-35のイエスによるペトロへの「キリスト告白」の沈黙命令は示唆に富む。

 マルコはキリスト告白をしながらも受難のイエスに従わない弟子批判を持っていたし、「告白」の在り方への批判を持っていた。私は、この点から、①の立場を取る。②は定着化した「信仰告白」ではなく、「十字架に向かうイエス」を説いている。10:35-42の如く「仕えよ(奴隷であれ)」をもってイエスに従うことを促している。弱者への視点は、この福音書の通奏低音として響いている。

 マルコの福音書文学としての独自性を鮮明にしたのは、田川建三著『原始キリスト教史の一断面 福音書文学の成立』(勁草書房 1968)。

5.奇跡物語伝承の様式の変化に見られる、最も古い担い手はどの様な社会層であったのか。

 奇跡(治癒)物語で、若い層の伝承A/古い層の伝承Bとの違い 

① Aではイエスの主導性が拡大、Bは「求められて」(マルコ6:35-36ではイエスは求められて。ヨハネ6:5-6ではイエスが主導)。

② 癒しの奇跡では、Bではイエスが呼び掛けられても、その称号にキリスト論的尊称がない(マルコ1:40の「らい病人の癒し」並行文ルカ5:12は「主よ」が付加。同じことマルコ7:26→マタイ15:25)

③ 治癒奇跡物語群で、Aは癒されたものへの関心が薄れ、奇跡とその効果へと関心が移っている。マタイ8:28-34とマルコ5:1-20を比べると、マルコでは本文が最後まで癒された男の家族のもとに帰るまでに関心が持続しているのに、マタイでは関心が途中で途絶えている。マルコ10:46-52(盲人バルテマイの癒し)と並行本文マタイ20:29-34・ルカ18:35-43を比較すると、マルコは帰還命令があるが、マタイ、ルカではそれが失われている。様式史的には、伝承のより古いものは、帰還命令があり、癒された者へに関心が中心点になっている。

④ 治癒奇跡で「歓呼」や奇跡の「印象」があるものはBである。例えば「湖上歩行の奇跡の結び」。マルコ(6:51)とマタイ(14:33)では、マタイには「本当に、あなたは神の子です」(33)の感嘆が付いている。大貫隆氏は新しいものAを「理念型」、古いものBを「原型」と呼んでいる(『福音書研究と文学社会学』大貫隆、岩波書店 1991)。

 大貫隆氏はこの二つを比較して、次のように指摘する。

 A「理念型」は、イエスが主導、奇跡の強調(癒しへの関心が薄い)、イエスの偉大さ・権威・キリスト論的意義の強調が為される。

 B「原型」は、イエスは外部から呼び掛けられる、癒された者への関心が最後まで持続する、イエスの偉大さを称える尊称や奇跡が及ぼした印象がない、などの違いがある。

 この方法で古いものを取り出すと重い皮膚病を患っている人をいやす」(マルコ1:40-44)、「ベトサイダの盲人の癒し」(マルコ8:22-26)、「重い皮膚病を患っている十人の人をいやす」(ルカ17:11-19)、「中風の人をいやす」(マルコ2:1-12)は非常に古い伝承に属する。

 北ガリラヤ地方に遡る奇跡物語においては、キリスト論的動機が乏しく、歴史のイエスに最も近づくことができる。大貫氏は「原型」のことば伝承に最も適合する社会層を以下のように言っている。

「奇跡に対して、ことば伝承が付与したような終末論的解釈と神学、すなわち、統一的な理念が全く欠けている。イエスはここでは、ことば伝承におけるように人々に価値観の統一的・根源的な変革を迫って、家族・社会の日常的同胞関係の外側へと呼び出す人格ではない。癒されようと欲する者は癒しという明確なる御利益を求めてイエスのもとにへ赴き、癒された後は家族と社会へ復帰する。そこには価値観の断絶は生じない。したがって、この原型全体を支えるエートスは明らかに功利的・御利益宗教的なそれである。その担い手としては、社会復帰と家庭関係の回復が最大の願望(価値)であるような社会層、すなわち、「らい病人」に典型的に象徴されるような家庭と社会とから儀礼的に遮断されているか、常にそのような遮断の対象となりかねない危険に不安定に曝された社会的最下層を考えなければならないであろう。これは当時のユダヤ社会においてはいわゆる「地の民」、その中でもとりわけ「取税人や罪人」という標語で言い表わされた部分と一致する。」(『福音書研究と文学社会学』大貫隆、岩波書店 1991、p.277)

 この社会層はユダヤのラビ層とは決定的に異なる。これらの伝承は、キリスト教会内外の特定の「生活の座」によって担われたのではなく、組織化の外の個々別々に伝承されたものであろうと大貫氏は想定する。

 とすると、マルコがこの伝承を集めるには、その様な感覚と、努力、現実的実践があって、社会最下層で言い伝えられていた伝承を集めてきたに違いない。少なくとも福音書文学は方法において、自覚的であった、といわざるを得ない。当時、キリスト論的に教会をまとめていく教会勢力に対して、かなり挑戦的にこの「福音書文学」を構築したであろう。

6.弱者とは誰か

 1世紀前半のユダヤ社会では、病気や障害は病理学的な説明で済むことなく、宗教的、社会的イデオロギー(神の刑罰、ヨハネ9:2)による差別の渦中におかれていたことはよく知られるところである。

 身体と社会的、経済的、政治的な二重三重の差別の中にいる人間にイエスは「神の国(支配)」を宣べ伝えた。それは人間相互の根源的つながりの発見と回復、万人の和解、支え合いへの招きであった。

 それは、人間の社会プログラムを超え、そこに切り込んでくる「神の行動」であり「神の出来事」であった。

 イエスはその「神の国」の到来を実践した。それは最下層の人々の現実へ自らの身を投げ込むことであった。

「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ6:20、新共同訳)

 これはイエスがそこに共に存在することの逆説であった。イエスが弱者と共にいることが奇跡(驚くべきこと)なのである。

弱者に対する聖書の視点 
− アモス、マルコ、ヤコブ、小磯良平のルツ、聖書の読み方
(2009 神戸聖書セミナー)

▶️ ヤコブの手紙 − 貧しくされた人々の重み
(2009 神戸聖書セミナー ③)

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