剣を取る者は皆、剣で滅びる(2009 礼拝説教・マタイ)

2009.3.29、明治学院教会(149)受難節 ⑤

◀️「ベトナム戦争と岩国市民」(2009年3月25日、岩国教会)
▶️ 剣を取る者は皆、剣で滅びる(2013 礼拝説教・慰霊の日)

(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん75歳)

マタイ 26:47-56

剣を取る者は皆、剣で滅びる。”(マタイ26:52、新共同訳)

1.私は、先週、山口県岩国に行ってきました。

 山口県立大学の三宅義子教授(女性学)の依頼で「ベトナム戦争と岩国市民」(2009年3月25日、岩国教会)のテーマで研究発表をするためです。

 結論からいうと(ベトナム)戦争は暴力で、(岩国)市民は(戦争に協力した人もいるけれど)平和への努力をした、そこに反戦米軍兵士がいたことが大きかった、ということを述べました。

2.福音書の受難物語のイエス逮捕の場面に「剣」の話が出てきます。

 大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした(マルコ)。イエスがその耳を癒された(ルカ)。剣を抜いたのはペトロだった(ヨハネ)。

 しかし、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)の言葉はマタイのみです。

 古い諺がイエスの言葉とされます(創世記 9:6「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される」、黙示録 13:10「剣で殺される者は、剣で殺される」が関連する)。諺ですが、イエスの考え方をよく表しています。

3.この言葉は不思議な言葉です。

 一語で、ある人の生涯を動かす力を持ちました。

 私は、沖縄の伊江島の農民の土地闘争の小屋でこの言葉に出会いました。この人は、沖縄の北部、本部町の貧しい農家の生まれです。父の願いで師範学校に行きますが、学費のため無理をし病気になり、療養で別府のキリスト教の牧師に世話になり、信者になります。

 元気になり、南米の移民に加わります。過酷な労働で帰国します。京都の一燈園で西田天香に師事、諭されて帰沖、伊江島で結婚、雑貨屋をやり、お金を作って、土地を買い続け、四万坪に木を植えます。デンマークのグルンドウィーの思想を継ぎ、学校を作り、神と人と土を愛する人を育てることを理想とします。

 一人息子を教育者に育てますが、沖縄戦で失います。伊江島の畑と森は、米軍の侵攻で徹底的に破壊され、土地を収奪されます。沖縄で初めて土地闘争を戦います。「乞食行進」(1955-56)の訴えをします。

 その名は阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんです。岩波新書に『米軍と農民』『ぬちどぅ宝 − 命こそ宝』が残っています。

 土地を耕して作物を作り、命を養う農民が、一番神に近く偉い人と考え、戦争の暴力行使者は低劣だと考えます。晩年、自宅の側に「ぬちどぅ宝の家」(資料展示館)を建て、戦争で使われた者を拾ってきては展示し、若い人への語り部を務めます。

「戦争を起こす人間こそ本当の悪魔だ」(『米軍と農民』p.218)と述べます。教えを説くだけの人は「悪魔の召使だ」、「剣の放棄」を実行して生きてこそ神に近いと言います。阿波根さんは、2002年3月21日に101歳(肺炎)で亡くなられました。「学習こそ平和の武器と説き続けた人」でした(朝日新聞追悼文)。

4.マタイの「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26:52、新共同訳)の根底を支える大切な言葉は、50節のイエスの「友よ」という言葉です。ユダに向けられた言葉です。

 パスカルは『パンセ』の中で言っています。「イエスはユダのうちに敵意を見ず、かえって自らの愛する神の命令を見給う。敵意を認めなかったからこそ、彼はユダを友と呼び給うた」。

 剣よりも愛と信頼が勝ることが「イエスの出来事」です。私たちもその「出来事」の跡を辿ることができるように祈り続けてゆきたいと思います。

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