2009.4.5、明治学院教会(150)棕梠の主日
(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん75歳)
ルカ 23:50-56(マタイ 27:57-61、マルコ 15:42-47、ヨハネ 19:38-42)
1.今日は「イエスの埋葬」から学ぶ。
バッハのマタイ受難曲の終わりの部分は「イエスの死」「降架と埋葬」「哀悼」と続く。なんとも哀感と静謐が漂う厳粛な思いで会場を後にした経験がある。
アリマタヤのヨセフがその役を担う。福音書でのこの箇所にしか出てこない人物である。身分の高い議員(マルコ)だという。生前のイエスの場面には現れていない。密かにイエスを想っていた人のようだ。
2.「埋葬」の記事を見ると、イエスの死を「遠くに立って…見ていた」ガリラヤから従ってきた婦人たちが手伝った様子はない。ヨセフに声をかけるような知り合いでもなく、また身分の違いもあったのであろう。
こんな大事な場面で、イエスを囲む人々が互いに知り合いではないということも、読者に目を開かせる。イエスとのいろいろな関わりがあり、いろいろな出番があってよいことを教えられる。
3.4つの福音書の「埋葬」の場面を比べてみると、ヨセフをイエスのシンパサイザー(共鳴者)として好意的にみる(マルコ、ルカ)か、弟子なのに隠していた(卑怯者)とみる(マタイ、ヨハネ)か福音書の意見が分かれている。
いずれにせよ「埋葬」は彼でなければできない行動であった。
イエスは、ユダヤの宗教権力者(サンヘドリン《議会》、祭司、律法学者)、及びローマ帝国当局(総督ピラト)による十字架刑の結末を招いた。
「十字架刑は、極めて不名誉な処刑方法とされ、また、何時間も断末魔の苦しみが続くので、最も残忍な処刑方法……イエス誕生時には、すでにエルサレムの丘陵で2000名以上のユダヤ人暴徒が十字架に架けられたといわれている」(『イエスの実像を求めて − 現代のイエス探求』ハイリゲンタール、新免貢訳、教文館 1977)
政治犯への共感は、身の危険を招いたに違いない。ルカはヨセフを「議員、善良な正しい人、同僚の決議や行動には同意しなかった、神の国を待ち望んでいた人」(ルカ 23:50)と最大限の行為をもって記している。
このことは、イエスの処刑がいかに政治的であり、正義にもとるものであったかを暗示し、ヨセフの埋葬の申し出が止むにやまれぬ行為であったと想像させる。
またそれが可能であったのは、処刑という最悪な事態であるとはいえ、ピラトがヨセフに「埋葬」を許可する雰囲気もあったのであろう。そこにはヨセフへの人格的信頼が厚かったと察せられる。しかし、なお「勇気を出して」(マルコ 15:43)といえる行動であった。
4.「埋葬」の場面は、ヨセフの独特な、彼一人の場面である。
イエスの生涯にこのような出番を持つ人が登場することは慰めである。
ある意味で彼は挫折者である。しかし、なお彼ならではの出番を与えられている。私たちは多かれ少なかれ、イエスに従うことで挫折者でしかあり得ない。あの「神のラディカル(激しさ)」を生ききれない。が同時に「勇気をもって」私のイエスへの関わりへと招かれている。
5.北村慈郎著『自立と共生の場としての教会』(新教出版社 2009.3)を読んだ。「本のひろば」に岩井の書評 ▶️ 教会は生きている − 住宅街と寿地区の狭間での教会論。
彼は神学校を卒業して赴任した下町の教会で「バタ屋さん(リヤカーを引いてボロ切れ、紙くず、古新聞、鉄くずなどを集める仕事)」の壮絶な死に出会う。
貧しくされた人々に敷居の高い住宅街の教会で、イエスが皆と食を共にすることの象徴としての聖餐式を行い、「教団教師退任勧告」を受けた。
彼も現代の教会で「アリマタヤのヨセフ」の役回りでイエスに関わる人だと思った。
150_20090405◀️ 2009年 礼拝説教