2007.11.20 加筆執筆
(明治学院教会牧師、「北村慈郎牧師を支援する会」世話人副代表、74歳)
(サイト記)本テキストは11月〜12月に、少なくとも3回加筆訂正されており本稿は第3版になる。
(この論考は11月4日「かながわ明日の教団を考える会」、11月11日「関西神学塾(第2版)」で発表したものを加筆・訂正したものである。3については、北村慈郎氏に修正を、5・6・8については渡辺英俊氏の筆者宛メモを参照にした。感謝をもって付記する)
1.経過。2007年10月23日、日本基督教団第35回総会期第3回常議員会は議長提案による「北村慈郎牧師に対する教師退任勧告を行う件」を議題として上程し、そして可決した。
その理由は、7月常議員会に懇談会を設け、山北宣久議長は北村慈郎牧師に聖餐についての発題を要請し、同牧師が主任担任教師を務める紅葉坂教会の実践報告を含めて「未受洗者への陪餐」につき見解を述べたところ、それが教団の「教憲教規」に違反をすることとして、結果法的処置がとられた。
議長は「教団が信仰上の組織として教憲教規によって立つ教会」であり「教団が教会として成立する枠組みとしての教憲教規を逸脱する自由が教団の教会・教職にあるということを認めるわけにはいきません」と述べ「聖餐に関する問題は規則で云々するべき事柄ではない」という主張に対しては「信仰共同体としての教会は教憲教規によって具体的姿を現しているものです」として、「異なる教会の在り方を主張、実践するのであれば、日本基督教団という教会においてではなく、独自の教会を建てられるべきであります」との主張を根拠とした。
結果は29票中16票で議案賛成が可決された。筆者はその場に居合わせたわけではないので、会議の状況には触れない。報告によれば討論は主張の形式的応酬であったようだ。参加した紅葉坂教会信徒は、当該教会の質問にも答えがなく、会議は「虚しい」の一語に尽きると語るのを筆者は聞いた。
2.北村慈郎牧師は「福音と世界」(新教出版社 2006年1月号)に自らの主張を述べている。補教師になって最初に赴任した足立梅田教会の聖餐式は浅野順一牧師が行った。「洗礼を受けていなくても聖餐に与かりたいと願う方はどなたでも」の言葉が印象に残ったと言う。主任牧師を務めた御器所教会は、70年代問題の最中であった。信仰の理解において相反する立場の信徒が十分な対話がないまま、信徒であるゆえに演出される教会の一体幻想を聖餐が作るのなら、と拒否者がいたことに心を痛めた。紅葉坂教会に赴任した。前任者・岸本洋一牧師は「未受洗者は待つように」との呼び掛け無しで聖餐を行っていた。同氏の「礼拝と音楽」(日本基督教団出版局 1977年第12号)の「現代における聖餐」を参照すれば、文言化しないまま未受洗者陪餐を許容していたと思われる。
そこの明確化を役員会から求められ、聖餐問題の研究を開始する。神田健次氏、荒井献氏など神学者・聖書学者を招き、教会ぐるみで学習をする。世界教会の潮流、新約聖書の根拠は「開・閉」いずれへの解釈も可能で、その選択は現代の執行者側にゆだねられていることを学ぶ。
北村氏は6項目提案を役員会に提案(教会規則第8条[聖餐にはバプテスマを受けた信徒があずかるものとする]の削除を含む)し「開かれた聖餐」に踏み出す。教会総会は83名中73賛成、反対7で可決。聖餐は恵みの伝達であるが、イエスの出来事をどう理解するかで幅がある。「この世の最も小さくされたもの」に開かれた宣教を教会の方向性とする時、戦時下の戦争協力のもとでの聖餐と現今の聖餐の連続性を問わなくてはならないという。「現在日本基督教団に所属する教会で執行される聖餐は、戦争責任の問題を避けては通れない」(cf.p.40)と論旨は明確である。
3.上程及び可決後の動き。「議案の取り下げ要望書」(瀬戸英二以下10名の呼び掛けで2268余名 [教会数262、他教派を含む]の署名)が議長のもとに届けられた。また6教区常置委員会、1教区議長、及び紅葉坂教会役員会からの「議案取り下げ要望書」が出された。
兵庫教区教育部委員会は10月30日付けで「教会の未来への希望が読み取れない」旨の「見解」を送った。西宮公同教会と菅沢邦明教師からは未受洗者陪餐を30年ほど前から補教師の資格のまま実施しており「退任勧告」が決議されればその理由を述べると、全常議員に意見表明がなされた。
「かながわ明日の教団を考える会(世話人代表・北村慈郎)」は11月4日、緊急集会を開き36名が出席、筆者が発題し、協議した。結果「神奈川教区宣教方針」(「さまざまな理解の相違や対立は存在する。……性急に一つの理念・理解・方法論に統一して他を切り捨てないよう努力する。忍耐と関心をもってそれぞれの主張を聞き、謙虚に対話し、自分の立場を相対化できるよう神の助けを祈りもとめることによって、合意と一致を目指すことができると信じる……」1994年)の線で、教区内教会・信徒に広く問題を知らせ、同時に、他の諸教区機関とも連携し、まず「聖餐に関わる問題の扱い」で教区常置委員会に働きかけ「教団議長・常議員会」に意見表明と抗議を続けることを確認、担当者を選び12月2日に集会を企画する事とした。少なくとも「聖餐」に関して、複数のやり方が並行する状況を作り出していく必要を感じ、声明をまとめ賛同署名を求める動きを起す方向の了解で今後をすすめることとした。この時点(11月11日)で兵庫教区は11月18日にこの問題についての「緊急協議会」が計画されている。
4.教団内の重要問題の扱いについて。まず、特に信仰上の問題での見解の相違についての取り組みの仕方については「法的措置の前に必ず神学的議論の領域が設定されることが必要であろう」(1950年10月[会派問題についての報告]、『教団史資料集第3巻』p.128)の事例にならうことが必要であろう。現行教憲教規の文言を尺度にして、多数決で神学上の問題にまで決着をつけるる方法は、亀裂激化を招き、「十字架を媒介としての共生」を計る福音の本義から外れる。なお、筆者は現在ガラテヤの信徒への手紙を講解しているが、パウロは、律法主義の自己完結的論理を批判している。山北論は「教憲教規」をただ一つの尺度とした自己完結的論理であり、閉ざされた論理である。ユダヤ律法主義者及び回心前のパウロが、ヘレニストキリスト者のステパノ一派への迫害を行った論理と同質である。割礼の相対化は絶対に許せないと、律法の延長上に「神」を見る。パウロはそれに荷担したが、回心後には「十字架につけられしままなるキリスト」(文語訳、ガラテヤ 3:1)に「神理解」を変化させ、「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は、皆呪われている」(3:10)と述べる。律法の自己完結的な適用では「共生」の可能性を閉ざし救済(解決)に至らない。福音の逆説に依拠しない「福音主義」は教会の実態を形骸化させる(なお、この事を含めて、筆者は山北宣久氏宛に2007年11月6日付けで書簡を送った ▶️ 「山北氏への手紙」)。自己完結の論理を避けて「共生」を目指すのが「神奈川教区宣教方針」であり。苦心の末可決された。その背景には、今日の教団の現状を身にかぶった宣教論の積み上げがある。それは同時に、価値観の異なる諸民族・現世界への開かれた思想的視点の核をもつ。多様性の豊かさ、また多文化共生時代の福音の在り方へと道を開く。
5.「教師」の進退に対する常議員会の権限について。教師の進退に関わる教団の直接介入は、戒規手続きによる以外に認められていない。教区を飛び越え、また、教師問題を扱う委員会の議を経ないで、特定教師の進退に介入することは、会議制の枠を犯す「教規違反」である。特に、現在の教団総会・常議員会が「諸教区での総会議員選出」に多数派工作が行われた上で、見解を同じくする多数者によって占められるように計られている教会政治的状況では、多数者を前提ににして「懲罰的議案」が上程・可決されるに至る過程は「権力犯罪」に等しい。このことは、ある特定政党が絶対多数を占めている事の上に法案の強行可決をした状況に似ている。
6.聖書的根拠の視点
福音主義教会(プロテスタント)は、聖書を唯一の規範とする。他の教会的諸伝統(規則)が聖書的根拠に基づかない場合は、規則への不整合を理由として教会や教職を排除の対象とすることは、聖書原理に反する行為である。現在聖書学的に見て、未受洗者を聖餐から排除する明確な根拠は聖書からは出てこない。
7.「教師」の召命への軽視の視点
「私を母の胎内にあるときから選び分かち」(ガラテヤ 2:15)はパウロがエレミヤなど預言者に倣って言った言葉。一人の教師の誕生もそれと同質である。一人の教師は、教会の祈り、本人の決断や学びなど幾重にも重なる「神の導き」としか表現できない出来事の連鎖によって成り立つ。そこにはその召命の受け皿としての「教会」が存在する。また教師はそこで養いを受ける。教師と教会との関係は密接である。この度の決議には北村慈郎牧師を招聘した紅葉坂教会への言及は全く無い。それは、発議者議長始め常議員会多数者の奢りの現れ、教会の軽視としか言い様がない。特に、教団は合同教会であり、現実に、合同前の教派教会の諸伝統は「教憲教規」との関係のぎりぎりの線で生きている。各個教会を全体教会に優先させる教会観の教会にとって、教会と関係なく「教師退任勧告」など許せるものではない。
8.未受洗者陪餐の執行ははたして教憲教規違反か
教規には未受洗者に対する配餐禁止規定の明文はない。教規第6章(第134条−140条)に「陪餐会員」を「信仰を告白しバプテスマを領したもの」と規定しているところから、「陪餐」者はバプテスマを領したもので、未受洗者を除くという推測が成り立つに過ぎない。明文の禁止規定がない場合は、教規を広く解釈する立場をも受け入れるべきであって、その推測をあたかも明文規定かの如く解釈して、懲罰的措置をとるのは、律法主義のそしりを免れない。
9.未受洗者者陪餐への模索の必要性
現代は、宣教の展開において、既定の事柄に固執しないで、新しい教会の実践が求められている時代である。特に、聖書学の展開により、キリスト教の初期歴史の成立が明らかになり、キリスト教そのものの規定が問われている。伝統的定義では「イエスをキリストと認め、その人格と教えとを中心とする宗教」(広辞苑)とあるが、「イエスにおいて人間の本質と可能性を知り、イエスの生死に学ぶ宗教」とまで問題意識を持つ聖書学徒は提起する。(「人間の本質と可能性」を、キリスト、メシヤと置き換えは可能」。佐藤研『福音と世界』2007年10月、p.32「キリスト教はどこまで寛容か(3) − キリスト教を再定義する試み」)
日雇い労働者の町・釜ヶ崎で、オープンな聖餐を執行するカトリック司祭・本田哲郎神父の実践は、北村氏の「この世で最も小さくされたものに」「開かれた」教会と重なる。このような時代にあって、少なくとも洗礼と聖餐の事柄の互換性と順序を現実的に解釈し、実践する教会や牧師が存在することは、我々への「神」が起こされる問題提起であり、決して消極的に考えてはならず、これを契機に、開かれた神学的思考を教団・教区・各個教会的規模で宣教論と共に展開すべきである。今や、キリスト教は、教義の固執にこだわるだけではなく、並行して、教義の歴史的意味を検証しつつ、その相対化の視座を、イエスの生と死において再吟味すべきである。その具体的、戦線として、このたびの「北村慈郎牧師に教師退任を勧告を行う件」可決の暴挙がある。これを批判的に克服してゆく努力をしてゆかなくてはならない。その目指すところは、イエスの生涯を貫く「貧しきもの」との共生であり、それを自己の状況で逆説として生きたパウロの実存であろう。
10.なお筆者は、現在日本基督教団「隠退教師」であって、教団の教会の責任は持っていない。しかし、神戸教会主任担任教師であった時代、阪神淡路大震災の後の、最初の聖餐式を「お受けになる志をお持ちの方はどなたでも」と「未受洗者」を含めての聖餐に踏み切った。それは「地震」を契機にしての内的問い掛けであった(▶️「牧会の日常で洗礼と聖餐を考える」)。役員会はそれを事後、討議し承認し、総会はその報告を承認する事で、教会が、いわゆる「開かれた聖餐」に踏み切った。その論理は割愛するが、北村慈郎牧師の主張と重なる部分が多い。現在、単立明治学院教会の「牧師」を務めているが、ここでも協議の後「開かれた聖餐」に踏み切っている。「教師退任勧告」に十分値する「教団教師」である事を表明しておく。
(第4版)“教師退任勧告決議”批判と克服をめぐって
−「法」の日本基督教団から「開かれた」日本基督教団への訴え
前後の説教:キリストのかたち(ガラテヤ⑩)2007.11.25
前後の説教:目に見えない財産(ガラテヤ⑨)2007.11.18